夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

私には菜食は出来ない。そして愛犬は?

2009年11月03日 | 暮らし
 サプリメントの害を告発している流蛍さんは菜食だと言う。玄米を食べていますか、と聞かれたが、玄米の良さは知っているが、炊くのが面倒らしいし、と今一つ乗り気になれない。そして私は魚を食べるのをやめる事が出来ない。何しろ蟹には種類が何であれ、目が無い。それにこれからは蟹も牡蠣も旬だしなあ。今の所、懐具合が悪いので蟹は我慢しているに過ぎない。牡蠣は殻付きの新鮮なのが30個入って1500円程度で買えるから、何とか食べられるが。お陰で牡蠣の殻剥きも最近はかなり上手くなった。
 愛犬はテーブルの肉や魚の臭いを嗅ぎ付けて、自分の餌は半分ほど残して、我々の足元にやって来る。腹一杯では旨いものが食えない。魚までやめてしまったら、犬は一体どのような反応を示すのだろうか。
 と思ったが、そんな心配は無駄だった。何しろ、納豆かけご飯を喜んで食べるのだ。くれくれとしつこいから、妻が面白半分にやった。私は、おいおい、いくら何でも食べないよ、やめとけよ、と言ったのだが、案に相違してぺろりと平らげた。そしてお代わりを要求した。お代わりも残さずきれいに食べた。納豆だけは駄目だ、と言う人も少なくないのに。
 以前、大阪に行った時、飲み屋で納豆で酒を飲んでいる男性達を何人も見掛けた。へーえ、大阪の人も納豆食べるんですね、と私は馬鹿な質問をした。それまで、納豆は関東の物だとばかり思っていた。東京でも鱧を食べる時代なんだから、関西の納豆に驚いていてはいけないのだ。
 でも、東京で飲み屋で納豆を食べている人はほとんど見掛けないのだが。

 愛犬は中辛のカレーライスもマーボ豆腐ご飯も大好物だ。もちろん玉葱が入らないようにして与えているが、なんであんな辛い物が好きなのか。今までは多分肉の臭いに釣られているのだと思っていた。だが納豆で、臭覚ではないのかも、と考えるようになった。納豆のあの臭いが素晴らしい、と思う人はほとんど居ないだろう。人間と犬が大いに違うとも思えない。人間が旨いと思う物は犬でも旨いと思うのだから。
 息子は何でもやるからだよ、と我々を非難するが、朝晩にちょっとだけ犬と会っている人間に何が分かるか。我々はそれこそ朝起きてから夜寝るまで犬にまとわりつかれているのだ。私の足元にはいつも犬が居る。ちょっと外に行っただけでも、帰って来れば、大はしゃぎして、いつまでも跳び付いて困る。言う事を聞かず、こんちきしょう、と思う時もあるが、無邪気な顔を見ているといつか、そうかそうか、よしよし、との心境になってしまう。だから足の裏まで可愛く思えてしまう。ホント、あばたもえくぼである。
 変な話だが、私は犬の黒くて濡れて冷たい鼻が大好きだ。あの鼻で触られると、ぞくっとしてしまう。冷たく濡れた鼻をずっと触っていたいと思うのだが、そんな事をしたら鼻が乾いてしまいそうなので、やめている。濡れていないと臭覚が利かないのだそうだ。

 菜食の話が犬の話になってしまったが、私も野菜や果物は大好きだ。でも菜食になったら、献立に困るだろうなあ、などと思ってしまう。それに野菜だけで元気はつらつ、の自信が無い。まあ、だから禅寺では胡麻豆腐やがんもどきのような優れた味覚の物を作り出したのだろうが。私は魚は平気で食べるくせに、肉はちょっと躊躇してしまう事がある。何とか動物を殺さずに植物などから肉を作り出せないものか、と思う。牛にビールを飲ませて霜降り肉にするなどの話を聞くと、無惨だなあ、と思う。そんなにしてまで霜降り肉を食べたいとは思わない。オーストラリア産の肉だって、うまく調理すれば柔らかく、味も良く食べられる。身近に牛を見ていないで肉だけを食べているから平気で居られるのだろうが。だから、子牛でも子羊でもぱくぱく食ってしまうくせに、鯨は駄目だ、などと抜かす欧米人は偽善者だと思っている。
 今日は文化の日。あんまり文化的じゃないなあ、と思いながら発信しています。