夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

無駄な仕事をしている人は身近にもいるらしい

2009年11月18日 | 社会問題
 郵便局でお金を下ろしたので、ついでに公共料金の支払いをした。番号札を取って、番が来て、現金と納付書を出しただけでは済まない。別の用紙に日付を入れ、名前と電話番号を書き、納付金額を書き入れて提出する。そして一旦引き下がる。でも簡単な事だから、すぐにお釣りと納付書の控えをもらえるものと思っていた。
 だが窓口氏は何かやってから、上司と思える人の所に行き、何事かのやり取りがあって、再び窓口へ。そしてまたまた上司の所へ。帰って来る途中では高い所に置いた帳簿らしきものに判を押している。
 結局4分ほどしてやっと呼ばれた。私はいつもはコンビニで払い込んでいる。コンビニなら順番を待つと言うほどの事も無いし、何よりも仕事が機敏である。バーコードを読み取り、判を押して、釣り銭と控えをくれる。最近は画面に金額などが出て、良ければ画面にタッチする手間が増えたが。その間、始めから終わりまで1分と掛からない。誰かにお伺いを立てる訳でもない。
 普通に考えても、そんなに面倒な事ではないだろう。確かに色々な納付書があり、宛先が様々に違う。それぞれに方式も違うのだろうから、面倒ではあろう。だが、結局は指定の金額と納付書を受け取り、控えを客に返すだけの作業である。納付書の金額と納める金額が合っていれば、あとはどうと言う事もなかろう。

 郵便局の窓口氏はベテランらしい男性の職員である。上司の判断を仰ぐような事は無いはずだ。だから邪推をする。多分、上司らしい人は一つ一つチェックするのが役目なのではないか。そうしないと彼の仕事が無くなる。彼の仕事を確保するために、窓口氏は行ったり来たりしなければならないし、客はその分、待たされなければならない。何ともあほくさい話である。もちろん、これは私の推測に過ぎないが。
 でも、コンビニなら、若い店員が躊躇する事無くやっている事なんだから。たとえ、郵便局には今までのやり方の歴史があるとしても、コンピューター時代に沿った方式に切り替えれば済む事だ。郵便局は今揺れているが、そうか、公務員の仕事とはこうした事だったのか、と思ってしまうような有様である。
 現在、各省庁の仕事の見直しがされているが、何とまあ、そこには要らない仕事が山積みになっている事か。ある自民党議員はそうした大鉈を振るう事に疑問を呈しているが、自民党の別のベテラン議員は、何で自民党の時にそれが出来なかったんだ、と改めて反省の弁を語っている。

 不要な仕事を確保するため、そこで働いている人の給料を確保するために、我々の税金が使われているのだ。そうした人達のために、我々は自分の子供達に多額の借金を背負わせている。
 不要な仕事でも、働いている人にとっては正当な労働になる。だから給料をもらって当然である。だが、我々一般は頼まれもしない仕事をして報酬をもらえるとは思いもしない。だから、不要な事はしない。ボランティア活動は必要だから無報酬であってもする。それなのに、誰が見ても不要な仕事をして報酬を、しかも少なくはない報酬をもらえる羨ましいような人々が存在している。そして私は思う。本当に彼らは自分のしている仕事が世の中の役に立ち、必要とされていると思っているのか、と。
 失職して良いと言うつもりは毛頭無いが、だからと言って、我々の税金を無駄に使って良い訳でもない。無駄な税金のために我々は余計に働かなくてはならないのだから。