夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

民主党政権の仕分け作業は素晴らしい

2009年11月28日 | 政治問題
 これは実に素晴らしい事だ。前代未聞の事である。今までどの政府も出来なかった、あるいはやらなかった事なのだから。やらなかった理由は明確だ。政府も省庁もぐるになっていたからだ。そこには国民のための政治なんてくそ食らえである。あるのは、自分達の都合しか無い。その「都合」は反省される事無く、延々と続いて来た。どんなに無駄な予算でも、余せば次は削られるからと無理に使う。そうした仕組みを一度根っから崩す必要がある。

 やり方が乱暴だと言う声もある。ある女性の役人は「私の言う事も聞いて下さいよ」と言って、その姿が何度も放映されて失笑を買っている。それはまことにみっともない姿だった。自分達の事しか考えていない。ノーベル科学賞を受賞したある科学者は自民党の会議で、科学分野での予算の削減は将来の夢を壊す事だと言っている。そうしたら、次にはそうした大科学者達が揃って、科学技術の発展を損なう、などと言い出した。
 そうだろうか。確かに夢は大切だ。夢から大きな花も咲く。だが、夢はあくまでも夢である。それと現実を計りに掛ける訳には行かないが、夢で人間は生きては行けない。
 人類の将来性を損なってはいけない。しかし現実の生活を損なってまで将来の夢に懸ける必要はさらさら無い。我々は将来のために生きているのではない。今、この現実を生きている。もちろん、将来の地球を損なうような「現実」を認めてはならない。だが、我々の大切にしている「将来」と、どうも科学者達が考えている「将来」にはギャップがありそうだ。科学者は自分の専門分野の「将来」だけしか見ていないのではないか。彼等が言う科学技術とは、どうも我々の生活とは離れた事のように思える。
 それにそんなに科学技術が進歩しなくたって、我々は現実に困らない。テレビの映像がどんなに精細になったって、肝心の内容がまるで進歩していなければ、何にもならない。むしろ反対に、映像の進歩に頼り過ぎて、内容を練り上げる事をおろそかにしている。
 それはテレビだけの話ではない。すべてがそうなのだ。すべてにおいて、内容よりも見た目だけが上滑りをしている。科学者達が言う科学の進歩にしても、それで日本の輸出に役立っているのか。
 技術が世界一で、その分野では世界の要求のほとんど全部を供給していると言う町工場がある。その町工場は、こうした科学者達が言う科学の進歩によってその技術を磨いたのではないだろう。
 介護の出来るロボットを開発するなどの事なら、誰も反対はしない。だが何の約に立つのか分からないような、「純粋の科学の進歩」と言うか、「科学と言う学問のための科学の進歩」なら、ひとまずは現実を優先にしてしかるべきだろう。

 省庁の役人もこの科学者達も自分の生活には不安が無い。だから夢に懸ける事が出来る。しかし現実には夢などはおろか、今この時点での生活に不安を覚えている人々がどんなに多く居るか。親の庇護の下に生きている青少年なら、自分の夢に懸けるのもいい。生活がきちんと成り立っている人なら、夢に懸けてもいい。だが、生活が不安な人間に夢に懸ける余裕は無い。
 多分、そんな事に関わっていては、日本の将来は無い、と言うのだろう。確かにそれは言える。しかし現実の日本人の現在の生活が成り立たない人々が居るのを無視してまでも、日本の将来を夢見る事が果たして健全な事なのか。科学とか技術とか、発展、推進、教育などなど、そういった言葉だけが、内容も吟味されずに大切だと言われている。みんな、言葉に騙されている。

 日本は世界で指折りの金持だと言うが、本当にそうなのか。我々は決して自分達が金持だなどとは思ってはいない。ウサギ小屋のような家に暮らし、何が裕福な国か。ODAの援助が削られた事に文句を言うが、そんな余裕があるのか。聞けば、JICAの役員が海外出張する時は、ファーストクラスだと言うではないか。そんな事が悠々と出来るから、日本は豊かだと思い込んで、他の国に援助を与えるなどと言うのである。

 我々はテレビで、省庁の役人根性まるだしのみっともない姿を見る事が出来ている。そこには特権に乗った自分勝手な考えしか見えない。その役人を応援する人々にも同じみっともない姿が見えている。しかし彼等はそれに全く気が付かない。そんな程度の人々にこの国を任せたらどうなるか。
 この仕分け作業の現場を見たいと大勢の人々が詰めかけている。子供でさえ、蓮舫議員の厳しい切り込みを見たいと言っている。こんな素晴らしい事がかつてあっただろうか。賛否両論あって当然である。何しろいまだかつてやられた事が無い事が起きているのだ。一番大事なのは、今まで秘密に処理されていた省庁の予算が白日の下に晒されて、国民がしっかりと見る事が出来る事だ。私はもっともっと過激にやるべきだとさえ思う。
 国防に関しても仕分け作業は切り込んでいる。それをとやかく言う人が居る。国防の名の下に何でも許されると思っている。これまた言葉に騙されているに過ぎない。国防はもちろん重要な事だ。その必要な経費を削れ、と言うのではない。無駄な経費を削れと言っている。それを「国防」の名によって聖域にしてしまう。何と、卑怯で汚い行為か。
 考え違いをしては困る。役人は、省庁は、我々国民のために存在している。それを、省庁のため、役人のために存在していると錯覚している。
 長い事ぬるま湯に浸かっているとそうなる。仕分け作業は我が国始まって以来の事なのだから、色々と不手際があったって当然である。自民党のベテラン議員でさえ、何でそれが自民党政権時代に出来なかったのか、と悔しがっている。国民の拍手喝采なのだから、これほど政権の有利になる事は無いだろう。まあ、政権の事はともかく、こんな素晴らしい事を尻つぼみにさせては断じてならない。これは国民が主導権を握れる絶好のチャンスだと思う。
 そう言うと、役人は、何も知らない国民に何が分かるのか、と尻をまくるだろう。そう、知らなくて良いのである。詳しい内情は知らないにせよ、無駄遣いが駄目な事は分かる。だから何が無駄遣いなのかを検証しようとしているのだ。馬鹿を言って、自分達の援護をするのはみっともない。
 ある自民党の高名な議員はこの仕分け作業を酷評している。自分がどんなに馬鹿に見えているのかも分からないで。かわいそうに、と私は思う。