夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

東京新聞・星野智幸氏の「分かりやすさの罠」に拍手

2008年09月27日 | Weblog
 東京新聞に作家の星野智幸氏がコラムを書いている。9月26日、「わかりやすさの罠」と題して、「文学賞の応募作品が読みやすく分かりやすい作品が多いことが気になった」と書いている。その一部を御紹介する。

 本屋や相撲界を見渡せば「品格」の嵐。スポーツ報道では執拗に「感動」を強要される。政治に目を向けると、「自民党をぶっ壊す」に始まり、「改革」「テロとの戦い」といったワンフレーズに熱狂する。「エコ」と謳われれば確かめもせずに商品に飛びつき、「ワーキングプア」と口にすることで、「格差社会」なるものの実態を理解した気になる。
 いずれも、雰囲気や現象を表しているだけの言葉で、重要なのはその中身のはずだ。それを知るには、もっと大量の説明の言葉が必要となってくる。

 結局、その大量の説明は読みにくく、分かりにくい。それは当然だ。そんなに真実が簡単に分かるはずがない。けれども現代人は、分からない事を丁寧に読み解くと言う訓練が出来ていない。ものすごく短絡的でせっかちだ。だから、同氏が言うように「つまり、ひとことで言うとどうなんだ」の要求になって現れる。その「ひとことで言うと」が「分かった気にさせてくれるキーワードなのだ」。
 そのキーワードが「罠」なのだ、と同氏は言う。キーワードに別の説明が隠されていても、それに気が付かない。だから政治や経済に騙されるのだ、と言っている。非情に身近な事では、我々は常に食品の偽装に騙され続けているのである。

 こうした事については、「罠」とは言わないまでも、慧眼の編集者にはとうの昔に分かっていた事である。私の先輩の編集者達は、私の拙いわずかばかりの著書に対して、あんな分かりにくい事を書いては売れないよ、と忠告してくれていた。分からなくてもいい、分かった気にさせる事が重要なのだ、と。それは自分の作った書籍や雑誌が体験した様々な事柄から実感された事なのだと私は思っている。
 ベストセラーを連発していたある出版社からも、私の原稿に対して、内容はその通りだと思うが、当社では本にはなりにくい、と言われ続けて来た。「ひとことで言うと、どうなんだ」が私の原稿には欠けているのである。その編集者は言った。「分かりやすくなければ売れないと言う風潮は苦々しく思っていますが、残念ながらそうしないと売れない。当社もそうした商売を恥ずかしながらしております」と。

 水泳の北島康介選手が二冠達成で、感極まって「なんも言えねー」とだけしか言えなかった。その言葉の裏に、我々は数々の努力を見ている。知らなくても常識でそれくらいは分かる。だから彼の隠した涙と共に、大きな感動で受け取った。これこそ、まさしく「ひとことで分かるキーワード」なのだ。
 ところが軽薄な小泉氏が、それを真似して受けた。だが、我々は小泉氏の数々の言動を見ている。それは北島選手の言葉とは遙かに大きな断絶がある。小泉氏は常に「ひとことのキーワード」で世間を味方に付けて来た。はっきり言えば、騙し続けて来た。こうした事を星野智幸氏は「分かりやすさの罠」と言っているのである。

 自分の事で恐縮だが、私は今、「分かり易さ」と「大量の説明の言葉」をどこでどのように妥協させるかに悩んでいる。星野氏の作品は読んだ事がなかったので、こんど是非読みたいと思っている。