夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

「中国の民族独立が心配」の本意は何か

2008年09月01日 | Weblog
 8月30日の東京新聞夕刊に「冷戦後のきな臭さ」とのタイトルの記事が載った。筆者は東京外国語大学大学院教授。内容は納得が行く。そして次のように続く。
 オリンピックなどの華やかなイベントの陰に隠された国際情勢の不穏さが気にかかる。冷戦期に不自然に支えられていたものが今崩れてきた、と考えた方がいい。パキスタンやアフガニスタンがおかしくなったのは、反ソ防衛の前線としての役割が終わったからだ。

 ここまでは納得なのである。しかし締め括りの段落に私は引っ掛かった。それは次のように書かれている。
 冷戦後、二つのことが心配されていた。独立共和国がさらに民族ごとに細分化されるのでは、ということと、民族独立の気運が中国に波及するのでは、ということだ。十六年たって、今起きているのは、そういうことである。

 何に引っ掛かったかと言うと、二つの心配事の内の一つ、中国云々である。これを中国の事だけで文章にすると、次のようになる。
 「冷戦後、民族独立の気運が中国に波及するのでは、という心配があった」
 「心配」とは不安を抱えている事だ。どのような不安かと言えば、普通は、起きなければいいなあ、と言う不安である。そうしたごく単純な感覚で言えば、「冷戦後、民族独立の気運が中国に波及しては困るなあ」である。
 ね、引っ掛かるでしょう?
 オリンピックの聖火リレーを巡って、中国国内ではチベットやウイグル地区で暴動が起きて、政府は反乱として弾圧した。それを見て、ヨーロッパの首脳で、オリンピックの開会式には参加しないと明言した人が何人も居た。「自治区」とは言ったって、中国の一部であるからには、どこまで自治が許されているのかははなはだ疑問がある。
 民族が明確に違うのだから、私は独立していてしかるべきだと思う。旧ユーゴのように、様々な民族が一つの国家を作っていた歴史はあるが、それだって、強力なチトー亡きあと、瓦解した。チェコスロバキアだって、チェコとスロバキアに分離した。
 チベットやウイグルの人々が、我々は国力が弱いから、どうか中国の傘の下に置いて下さいと願った訳ではなかろう。
 
 筆者が「心配されていた」と言うもう一つは「独立共和国がさらに民族ごとに細分化される」である。こちらも複雑で、共和国の中に、更に異なる民族を抱えている。こちらは「細分化」の心配だから、独立して立ち行くのか、との心配があるだろう。そして立ち行かなければ、再びロシアの下に入って行く民族もあるだろう。結局は、独立して、親ロシアと反ロシアの二つに分かれて対立する構図さえ見えて来るのではないのか。だから「心配」と言える。
 それと中国のチベットやウイグルの独立は違うはずだ。筆者は外大の教授である。外国情勢に疎い訳が無い。よくよく考えてみて、これは言葉が不足している、あるいは表現が足りないのでは、と思った。
 「民族独立の気運が中国に波及する」ではなく、「民族独立の気運が中国に波及して、内乱状態になる」と言わなくてはいけないのではないかと。あの中国が「はい、そうですか。独り立ち出来ると言うのであれば、それは良い事ですね」と言って、独立を歓迎するはずが無い。反乱→鎮圧→反乱……の繰り返しになるに違いない。そう、筆者は心配をしたのだろう、と思う。

 自分の思っている事を正確に伝えるのは難しい。次に挙げるのは、私の勝手な思い込みだろうが、東京新聞の「ロングセラー」と言うコラムに『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(石井好子 暮しの手帖社)が紹介された。実は、私も今、毎晩寝る前に寝床の中で読んでいる。コラム氏も書いているように、「出てくるのはオムレツやポトフなど、ごく簡単な料理ばかり。食べたい、作りたい気持ちがわく」。
 その通りなのである。だから、私は同書に大きな親しみを持って読んでいる。採り上げたのは、その見出しが「遠いパリの味」だったからだ。一瞬、私は「パリの味とは遠くかけ離れている」と読んでしまった。なぜなら、現在の人々にとって、パリは決して遠くはない。私自身には遠いが、多くの人々、それも若者にとっては遠くはないはずだ。
 更には、内容はコラムの言う通り、身近な味ばかりなのだ。だから「近いパリの味」にはなっても、「遠い」とはならない、と思ったのだ。これは瞬間的に感じた事だから、理屈抜きである。
 同書の刊行は1963年。従って、当時は文字通り「遠いパリ」であり、料理としても「遠い」と言っても間違いではないだろう。そうした郷愁がにじんでいると言えば言えるのだが、ちょっと考えさせられる見出しである。じゃあ、どうすればいいんだ、と言われると簡単には答えられないが、「遠くて近いパリの味」なんて、どうだろうか。