夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

テレビの「雑学」は程度が高い・クイズ「雑学王」

2008年09月25日 | Weblog
 テレビ朝日の「クイズ雑学王」を見たが、程度が高いのに驚いた。芸能人大会だったが、一般正解率3割の問題でも、大半の出場者が答えられている。私なんか、半分も分かったかどうか。
 和食の調理人はプラスチックのまな板は使わず、木製しか使わないが、その理由は? との問題があった。一般正解率と出場者の何人が正解だったかは覚えていないが、正解を答えられた人が居るのに本当に感心した。普通は「まな板」「俎」と書く。「俎」は常用漢字ではないから、一般に使われるのは「まな板」になる。だが、その前の漢字の問題では「真魚板」を何と読むかが主題されていた。これは「まないた」だ。ただし、なぜ「真魚」なのかは、出題としては全く問題にしていないので、分からないままに終わる。

 「まな」は普通には「仮名」に対しての「真名」であり、それは漢字の事だ。国語辞典でも「真魚」を説明しているのは少数だ。その一つの「新明解国語辞典」には「食用としての魚。雅語」とある。ただ、面白い事には、「まないた」の項では、「魚(まな)板の意味」とある。「まな」は「愛娘」「愛弟子」などと書くが、「真娘」「真弟子」でもいいらしい。意味は「いつくしんでいる」である。
 だから、食用にするような魚なら「まな=真魚」と書くのは分かる。だが、これは文字があってこそ成立する話で、「まな=真」をたまたま「魚」に使ったに過ぎない。従って、「まな板=魚板」は成り立たないはずだ。
 「岩波国語辞典」は「まないた」の表記こそ「俎板・俎」だが、「まな(=真魚)いた(=板)」で、もとは魚を料理する板の台、と説明している。同書には「まな=真魚」の項は無いのだが、あってしかるべきではないだろうか。

 この二つの辞書に限って言えば、私は「岩波」の方が良いと思う。「真魚」はあくまでも「まないた」があってこそ成立する話だからだ。それに、「食用としての魚」の説明はあまり感心出来ない。つまり、食用して親近感がある、との意味なのだが、「親近感」の説明は「まな=愛」にしかなく、その用例は「愛娘」「愛弟子」なのである。まさか娘や弟子を食ってしまう訳ではなかろう。それとも、食べてしまいたいくらいに愛しいのか。

・まな(愛)=その人がかわいがって育てているところの人間であることを表わす。
・まな(真魚)=食用としての魚。

 この二つの説明のあまりの断絶振りには驚くしかない。

 さて、肝心のクイズの答だが、「包丁の刃が傷まない」が正解であると言う。
 私はずっと木製のまな板を使っているが、まな板が傷だらけになるのが気になっていた。普通は良いのだが、食材を叩く時、細かい木屑が入り込むのである。まな板が削られている証拠である。だからプラスチックの製品を買って、叩く時にはそちらを使う。ただし、硬いせいか、どうもあまり手応えが良くない。適当にまな板に切り込んでいるくらいがちょうどいいのではないのか。
 それが実は包丁を保護している事にもなるのだと言う。確かに、硬い物にぶつけるよりは柔らかい物にぶつける方が、刃は傷まないだろう。
 だが、私はこの正解に疑問がある。
 調理の職人は仕事の前には包丁を研いでいるはずだ。大工が何よりも道具の手入れに時間を掛けるのと同じだ。一度切れば、刃は確実に傷む。刃が傷む事を心配していて料理が出来るのか。それよりも、私は自分で包丁を使っている感触からは、切り心地の方を大切にしたい。木製だから、生地に切り込む。その感触が良いのだと思う。
 プラスチックよりは刃が傷まないのは確かだが、そんなケチな根性で料理をやっているとは思えない。まあ、勝手な想像ですけど。

 こうしたテレビでのクイズは通り一遍の事が多い。なぜそうなるのかを追究したりはしないのだ。それは真実よりも面白さを一番に考えているからだと思う。そして解答者の瞬時に答が出る事に感心した。多分、編集して、考えている時間を短く見せているだけに違いない。頻繁にCMが入るからそれでごまかせるが、CMが入らない場合には編集をしているはずだ。そうでなければ、本当に芸能人達の頭の良さには関心するほか無い。これは妬みではありません。
 「雑学」でもいいから、もう少し芯のある番組を考えてくれないだろうか。