夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

三越が不採算店舗を閉鎖/商業の使命とは何か

2008年09月26日 | Weblog
 伊勢丹と経営統合した三越が不採算店を閉店すると言う。その中に東京・池袋店が入っている。池袋に三越がある? と不思議に思う人もいるはずだ。同店はかなり影が薄い。しかし池袋にあるデパートとしては老舗の内に入る。
 最盛時、池袋には、西武、東横、丸物、東武、三越の5店舗があり、しのぎを削っていた。国電は山手線と赤羽線、私鉄は東武と西武しか無い。同じ副都心の新宿や渋谷に比べて集客率は落ちる。そこで5店である。
 丸物は経営破綻して、京都の本店も消滅した。そこは今では近鉄百貨店になっている。丸物の跡は西武がパルコを作った。東横は小さいながらも本格的なデパートで(創業当時、西武は木造の二階建てだった)信用もあったが、東武と東急が地下鉄を通じて相互乗り入れを実現したのを機に、東武の地元である池袋から撤退し、東武に譲った。
 こうして東武、西武、三越の三つ巴合戦が始まった。東武と西武は鉄道のターミナルデパートだ。だから地の利が良い。その点で、三越は駅からはちょっと離れている。だが、そこはブランド力。頑張りを見せて来た。
 だが、それもとうとう、終焉を迎える。

 気になるのは、同店がどれほどの損失を招いていたか、である。不採算とは言うが、東京で言えば、銀座店、日本橋本店の利益を食いつぶしてしまうほどだったのか、と言う事である。
 冗談言うな、店とは一店だけでも採算が取れなければ意味が無いのだ、と言うのかも知れない。もちろん、店としてはそうした気概が必要だろう。よその支店が儲かっているから、うちはいいんだ、などと考えている経営者が居るはずも無い。
 しかしそれは店の事情である。客にとっては、そんな事はまるで関係が無い。損してまで経営せよなどと馬鹿な事を考えている客はいない。けれども、商売には連結決算と言うのがある。グループ全体で利益が挙がっていれば良い、との考え方のはずである。
 三越の本店は江戸時代からの信用がある。ご存じとは思うが、同店は元は呉服屋の「越後屋」である。落語家・木久扇の「越後屋、お主も悪よのう」の越後屋ではない。関西で、お歳暮やお中元で一番喜ばれるのはどこのデパートの包み紙か知ってますか、と私は京都で聞かれた。京都には四条河原町に阪急があるから、当然に阪急ですか、と答えた。
 正解は大丸だった。それと同じく、東京で一番喜ばれるのが三越の包装紙なのだ。ずっと変わらない、あの白地に赤の包装紙である。東京では大事な品物は三越で調達するのが相場と決まっていた。正田家が、皇室への輿入れの時に、花嫁道具を高島屋で調達したのが話題を呼んだくらいである。それほどの地位を三越は持っている。今では権威はそれほどではないにしても、腐っても三越なのである。

 いや、もしかしたら、三越も腐ってしまったのか。と思わせるのが、今回の池袋店閉鎖である。ブランド力、そして顧客の利便性を考えたら、不採算だから、と簡単に撤退すべきではないだろう。いかに不採算が続いていようとも、なにくそ、と踏ん張るのが老舗ではないのか。長い間のご愛顧を考えれば、ここで踏みとどまらなくてどうする、との気概があっても良いのではないのか。
 結局はすべて金、金、金なのである。伊勢丹だって、意地を見せた事があるではないか。文房具で、何か、おもちゃのようなのが流行った事がある。それが何だったか思い出せないのだが、伊勢丹は、当店ではそのような商品は絶対に売りません、と見得を切ったのだ。『暮しの手帖』で花森安治氏がその根性を褒め讃えていた。それは金の問題ではなかった。それこそ消費者のための方針だった。

 今、そうした心意気が、あらゆる部門から消え去ろうとしている。すべてが儲けに繋がっている。そんな風だから、江戸幕府は「士農工商」と蔑んだのである。もちろん、これが根拠の無い、単なる幕府に都合の良い政策であった事は承知している。だが、他人のふんどしで儲けるその根性を汚いと考えた事は確かである。商業がなくては我々の生活が成り立たない事くらい百も承知している。
 だからこそ、儲け主義ではなく、世のため、人のための商売を心掛けなければ駄目だろう、と言うのである。儲けはそのお返しくらいに思っているのが、健全な商業なのではないだろうか。そんな甘い考えでは海外からの進出に負ける、と言うのであれば、それこそ、国民が一丸となって、そうした良心的な企業を守るべきである。これは単なる「攘夷」ではない。きちんと筋の通った人間的な「攘夷」である。