夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

テレビは人を短絡的にする

2008年09月11日 | Weblog
 テレビで映画「七人の侍」を見た。何度も見ているが、やはりまた見た。長い映画で、そのため、途中に休憩が入る。だが、集中力を破るのはそれだけだ。あとは、真剣になって画面に釘付けになる。
 昔は町の中に、本当に歩いて行けるような所に映画館があった。そこでは2時間ほどはしっかりと画面に見入っている。いや、2本立てもあった。そうなると約4時間だ。いやいや、3本立てもあったぞ。2時間の途中でトイレなんかに立とうものなら、話の筋が分からなくなる。だから、きちんと用を済ませて鑑賞に臨んだ。
 ところが、テレビがこれほどまでに盛んになって、町の映画館は廃れた。まあ、足を運ばなくても映画が見られるのは素敵な事である。だが、テレビでやる映画はほとんどが短く編集されて、無惨な姿になっている。しかも途中に何度でもCMが入るから、話はよく分からないし、ちっとも面白くない。集中しようと思っても、テレビの方でその集中力をぶった切るような事を平気でしている。作った監督はさぞかし嫌だろうなあ、と思う。あれほど滅茶苦茶にされて文句も言えないのだろうか。まるで、余分な所が一杯ありましたから、適当に整理して、充実させましたよ、と言われているみたいではないか。そして、その整理の仕方は、この人、頭悪いんじゃない? と思ってしまうような出来映えである。馬鹿ではないが、ニュアンスが分からない、結果しか目に入らない。

 こうして、我々は2時間近くも集中力を持ち続ける事が出来なくなった。その訓練をする場が無い。だから短絡的な人間ばかり増えてしまう。考え方が短絡的なら、行動も短絡的である。移り気だし、じっくりと構える事が苦手な人が多い。
 だからペットだって、さっさと捨ててしまう。生き物の命を何とも思っていない。その究極の果てが簡単に人を殺してしまう事だ。殺人は、バーチャル世界にのめり込んで、仮想と現実の見境が付かなくなったのが原因でもあるが、心のひだがなくなって、のっぺらぼうになってしまった事も大きな原因のはずだ。ひだが無ければ表面積は減る。すると外界と触れる機会も減ってしまう。
 心が豊かと言う事は、様々な艱難辛苦を乗り越えて、心がしわくちゃになって、それだけ心のアンテナが広くなった事を意味しているはずだ。ずんべらぼうで、つるつるした心は、見てくれはいいだろうが、物事を受け入れる面積が少ない。
 集中力があると言うのは、物事を考える力もまたある、と言う事である。様々な複雑な事を考えられるからこそ、人は進歩する。その集中力を奪うような事ばかりに熱中して、養う事をまるでしない。それが、細切れで番組を放送しているテレビに顕著に現れている。

 テレビはなぜ騒がしいのか、と言えば、うるさくしていないと、注目してもらえないからである。つまり、画面その物はまるで魅力が無い。だから音声で惹き付けるしか無い。その最たるものが、CMだ。本当は画面こそが絶好の手段なのだ。カラーだし、動きがある。無いのはにおいくらいのものだ。それなのに、その画面では有効な訴え掛けが出来ていない。そこで音声に頼る。
 その証拠には、CMで音声を消してごらんなさい。何を伝えているのか全く分からなくなるから。
 私はCMになると、即座に消音にする。たとえ解除が少々遅れても、あの悪名高き、少し前に戻って放送すると言う仕組みがあるから、ちっとも困らない。消音が遅れてちょうど良くなる。CMのたんびに消音にするのは煩わしいが、あのけたたましい音声を我慢するよりはずっとましである。何で、CMになると、途端に音量が上がるんだろうねえ。
 もしかしたら、別に音量は変わらないのかも知れない。しかし途切れる事なくしゃべるから、音量が上がったように聞こえるのかも知れない。だが、うるさいと感じるのは同じだ。そのせいで消音にする視聴者がいるのだから、結局は損をしているのではないのか。多分、私のように消音にするのはごく少数なのだろう。そして、これもまた「もしかして」なのだが、真剣になって見ていないから、CMだろうが、番組だろうが、関係が無いのかも知れない。ただ単に映像と音声が流れていればそれで良し、の人々は決して多くない、と私は思う。
 そして、CMって、果たしてどれほど効果があるのか、とも思う。かく言う私はCMに引かれて物を買った事がほとんど無い。なぜなら、CMではその商品の本当の価値を伝える事は全く出来ていないからだ。単にムードを盛り上げるだけだから、その手に乗ってその商品を買う人は、買い物をしているのではなく、買い物をさせられている操り人形に過ぎない、と私は思う。言うならば、金を使うための操り人形である。
 そう言う私も一度だけ、乗せられた事がある。風呂の洗剤で、洗剤を吹き付けるだけで浴槽がつるつるぴかぴかになる。だが、少しもきれいにならない。それを息子に言ったら、馬鹿だなあ、CMの言う通りできれいになる訳ないじゃないか、と馬鹿にされた。それ以来、私はCMで「こうなります」と言えば、「こうなりません」と解釈している。
 CM料金を上乗せした商品を心にもなく買ってしまう事で、またまた余分なお金を支払う。
 あーあ、そうやってお金を無駄に使える人が、心底うらやましい。ホントです。