一票の格差の問題。一種の思考実験です。非難覚悟で、あえて書きます。
地方の票が重く、都市が軽くてもいいのでは。自分の票の価値を高めたい人は、居住は自由なんだから、地方に引っ越せばいい。
地方への移住者が増えると、新たな文化が加わり、ハイブリッド化された文化が芽生える可能性がある。長野県東御市にワイナリーを作った、東京出身の玉村豊男さんのような例もある。もっとも彼は、一票の価値の高い地方に、と考えて移住したのではなく、単に自然が豊かで、ワイナリーができる場所を求めて移住したのだろうけれど。
ところが一人一票が実現すると、都市型の政策が取られ、人口の都市集中が加速し、ますます地方は衰退する。道路を通すから立ち退けなど、公共の福祉のために私権が制限されることがある。これと同じで、国土の均衡ある発展のため、一票の価値の制限もある、というのも有りでは。
富山市では、ダム機能があると中山間地の田んぼに水を張るだけでも補助金を出しているとか。国土の均衡ある発展とは、童謡『ふるさと』の環境を守るということ。このために、地方に都市より重い一票があってもいいのでは。
小学生の手紙を載せた『僕のお父さんは東電の社員です』には、「電気を浪費する都市の人は悪いと思います」「原発受け入れを金で釣った政府は悪いと思います」といった二元論が目立つ。二元論で問題は解決しないとはいえ、地方は原発を受け入れ、都市は電力を享受する、というのは事実。都市型政策では、ますます二元論が深まりそうと心配なのだ。
薄利多売。都市の意見は一票の価値(粗利)は軽くとも、数を売る(人口が多い)ことで政策に反映できるのでは。二重生活。半年は都市で仕事し、半年は地方で別荘暮らし。そんな生活が実現できるとして、やはり『ふるさと』の環境でないと別荘を建てようという気にならないのでは?
『ふるさと』の環境を守るためにも地方重視(箱物でなく、環境維持・人口維持)の政策は必要と思う。
かくいう自分は東京在住で、都市のメリット・快楽を十分に享受しています。僕の一票が地方在住者の10分の1しか価値がないとショックだが、5分の1くらいなら許容範囲と思います。
要はバランスの問題。そのバランスが、現代は「より厳密に」を求められるようになったということ。これって、デキる子もデキない子も受ける同じ難度の授業、一斉にゴールする運動会の駆けっこと同じでないか。
長くなりました。失礼します。