壁際椿事の「あるくみるきく」

東京都内在住の50代男性。宜しくお願いします。

『日本語が亡びるとき』を読んだ

2009年08月27日 | 読書
ポーランド人の経済学者、カレツキは、英語でなく、ポーランド語で書いたため、歴史に名前を刻めなかった。彼は、英国人、ケインズが英語で『一般理論』(※)を発表する3年も前に同様の理論を発表したにもかかわらず、ポーランド語ゆえ、世界規模で読者を獲得できなかった――。

『日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で』(水村美苗著、筑摩書房)を読みました。カレツキのような悲劇を例示し、「英語で書くことのメリット」と「非英語で書くことのデメリット」を、これでもかというほど具体的に繰り返しています。

(要約)
現在、世界では、各地で、現地語で詩や小説が書かれている。しかし、彼らの作品は、「英語への翻訳」を経ないと、世界中に読者を獲得でいない。一方、英語はそのままで世界中に読者を獲得できる。

昔から、どの国の人も、知識層は二重言語者だった。ヨーロッパでは、母語で話をするが、書くのはギリシャ・ラテン語だった。日本では、話すのは日本語だが、書くのは漢文(中国語)が正統とされてきた。彼らは、外部の先進文化の翻訳者であり、紹介者だった。

国民革命でナショナリズムという概念が生まれ、ギリシャ・ラテン語を操る知識人も、母語で書くようになった。それが国語だ。ヨーロッパでは、フランス語、英語、少し遅れてドイツ語が力を持ち、しばらく鼎立時代が続いたが、今では英語が世界語として定着しつつある。時代はかなり遅れて、日本でも、二葉亭四迷が『浮雲』を書くなど脱漢文の動きが盛んになった。大正時代末には新聞記事が言文一致した。(逆に言うと、それまで新聞は文語で書かれていた!)

日本語は、独自のカナを生み出し、平安文学の時代から、途切れることなく、日本語の文学を生み出してきた稀な言語だ。真珠湾攻撃で、日本がアメリカを攻撃してから、アメリカ国内で日本研究の必要性が高まり、国家を挙げて日本を研究する学者の育成に力を入れた。戦後、その研究を担った人々が、前述の稀有な歴史を持つ日本文学の英語への翻訳者となり、世界への紹介者となった。例えばドナルド・キーン氏らがそうだ。

日本文学は、こうした幸運もあり、「主要な国民文学」として世界史の中で生き残った。ノーベル文学賞作家を二人も輩出できたのも、このような歴史的蓄積と幸運があったからだ――。

まだ読んでいる途中です。この後、どのように展開されるか楽しみですが、それにしても政治や国力、軍事力といったパワーが、文学や学問の世界をも規定してしまうんですね。「いいものはいい」。私などは単純にそう思いたいのですが、そうは問屋が卸さない。「英語で書かれたものでないと、いい悪いの評価さえできない」んですね。ちょっと悲しくなりました。

言語にもあった帝国覇権主義
カレツキの手からスルリと栄誉かな

(※)『一般理論』は、正しくは『雇用・利子および貨幣の一般理論』。それまでの経済学の流れを変える巨大なインパクトを学界に与え、大西洋を越えて伝わったアメリカでは、フランクリン・リーズベルト大統領のニューディール政策として実際の政策にも応用された。