25日深夜から釣行しました。21時過ぎに町の家を出て、道志道経由で24時前に山の家に着き仮眠し、26日は4時30分・晴・気温7℃・日の出前に早川広河内の大古森沢へ直行しました。今回は源流状況の偵察が主目的です。
本栖道に入ると富士山が綺麗に見えます。

朝食を車の中で食べ、6時30分に奈良田第2発電所横の開運隧道前(標高950m)に出ると正面に源頭の残雪の大籠岳(標高2768m)が見えます。

林道のゲートを越えてしばらく歩きますと林道終点の第3堰堤前で白根三山の大門沢登山道(農鳥岳登山道)に入ります。吊橋を二つ渡ると取水設備・堰堤に出て、更に吊橋を渡るとゆっくり歩いて8時に小古森沢・高度計1210mに出ます。山腹の崩れ・土石流の跡があり、小古森沢の小さな丸木橋は消えています。土石流検知の目的で赤・青色テープが巻かれており踏み跡もあちこちにあり道に迷いそうになりますが、登山道は黄色マークを辿るのが迷わないこつです。


いつも毛鉤を振り始める大岩の手前から入渓し遡行を始めました。登山道はここからは山側の上方を巻いています。気温は15℃、水温は9℃、水量は少し多い状態で速い流れに入ると冷たいです。大岩はばっさりと割れて半回転しています。ガレの崩れも激しく新しい大岩が転がって水が噴出しています。5年前(二つ目の写真)はしっかりしていて、雀蜂の巣がありました。


フォッサマグナ(大地溝帯)ですから、太古の水成岩の山肌は風化が激しくて崩れては草木が再生することを繰り返していますのであまり大木は見られません。右岸の高台から大籠岳・大古森沢を展望するとその様子が良く分かります。5年前(二つ目の写真)は木々が小さかったです。流れは大きく変わっています。でも生き物はその環境に対応してしっかりと生きています。


渓魚の活性が低いのか、振り込んだ毛鉤への渓魚の出は全くありません。去年は渓魚が付いていた渕尻は崩れて大きく変わっていました。今年に新しくできた渕尻からは渓魚の出はありませんでした。


本流の大門沢と大古森沢の出会いに着き、左の大古森沢を遡行しました。


渓魚の出が全くありませんので、直ぐに登山道の大古森沢の丸木橋・高度計1300mに着きます。


更に遡行していくと、岩の向こうの斜面に直径40cm位の生き物らしい茶色い丸い塊を見つけました。どきっとして立ち止まると、その塊は顔を上げました。あかちゃん鹿だったのでほっとしました。生まれたばかりで母鹿の後を冷たい沢を越えて追えずにふてくされて寝ていたのだと思います。立ち上がって私を観察していました。あかちゃん鹿だったので良かったです。過去に岩の向こうに顔を出すと角の大きい2m近い大鹿が居てにらまれた時や、馬の背の尾根の向こうに顔を出すと出会いがしらに2m近い大鷲が地表すれすれを滑空して上がってきて衝突しそうになった時は恐ろしかったです。

渓相は良いのですが。渓魚の振り込んだ毛鉤への出が全くありません。水温は7℃で、雪解け水が入って冷たすぎるのだと思います。


12時30分に、渓魚の振り込んだ毛鉤への出も無く、遡行に疲れたので釣りを切り上げて、暖かくなった大石の上・高度計1420mでゆったりと昼食を食べました。結局は釣果は今日はぼうず(0尾)でした。


ところで、早川広河内は特に釣人・作業者の色んな忘れ物が目に余ります。今日は渓魚の出が無かったこともあったのですが、沢に忘れられた有名釣具店のシールが貼り付けられたみみず・くりむしの入れ物や有名コンビニストアのシールが貼り付けられた食器トレー・ラップを拾い捲りました。でも、何故か魚トラップ(毒流か?)やドラム缶・スチールワイヤー(工事燃料・仮設橋浮か?)が放置されおり、大きすぎて拾えませんでした。猟の獲物を処理したプレデター/映画に出てくるような血が付いた脊椎などもありますが自然に戻ります。新素材や金属は自然に戻りませんからなんとかしたいです。

新緑の大自然の中で充足した時間が過ぎて行きました。でも、私自身には源流の遡行は歳をとって心身にきつかったです。生活の仕事は2年前に離職しましたが、趣味の源流釣も今回が最後ではと実感しました。今回は偵察目的だったのですが、うすうすもうここには二度と来れないのではとも思っていたので、走馬灯のように色んな思い出が浮かびながらセンチメンタルな気分で帰途につきました。帰りにつむぎの湯に寄りフォッサマグナの濃い温泉を楽しみ山の家に寄り、高速道ETC早朝夜間割引を使い23時に町の家に帰って来ました。
本栖道に入ると富士山が綺麗に見えます。

朝食を車の中で食べ、6時30分に奈良田第2発電所横の開運隧道前(標高950m)に出ると正面に源頭の残雪の大籠岳(標高2768m)が見えます。

林道のゲートを越えてしばらく歩きますと林道終点の第3堰堤前で白根三山の大門沢登山道(農鳥岳登山道)に入ります。吊橋を二つ渡ると取水設備・堰堤に出て、更に吊橋を渡るとゆっくり歩いて8時に小古森沢・高度計1210mに出ます。山腹の崩れ・土石流の跡があり、小古森沢の小さな丸木橋は消えています。土石流検知の目的で赤・青色テープが巻かれており踏み跡もあちこちにあり道に迷いそうになりますが、登山道は黄色マークを辿るのが迷わないこつです。


いつも毛鉤を振り始める大岩の手前から入渓し遡行を始めました。登山道はここからは山側の上方を巻いています。気温は15℃、水温は9℃、水量は少し多い状態で速い流れに入ると冷たいです。大岩はばっさりと割れて半回転しています。ガレの崩れも激しく新しい大岩が転がって水が噴出しています。5年前(二つ目の写真)はしっかりしていて、雀蜂の巣がありました。


フォッサマグナ(大地溝帯)ですから、太古の水成岩の山肌は風化が激しくて崩れては草木が再生することを繰り返していますのであまり大木は見られません。右岸の高台から大籠岳・大古森沢を展望するとその様子が良く分かります。5年前(二つ目の写真)は木々が小さかったです。流れは大きく変わっています。でも生き物はその環境に対応してしっかりと生きています。


渓魚の活性が低いのか、振り込んだ毛鉤への渓魚の出は全くありません。去年は渓魚が付いていた渕尻は崩れて大きく変わっていました。今年に新しくできた渕尻からは渓魚の出はありませんでした。


本流の大門沢と大古森沢の出会いに着き、左の大古森沢を遡行しました。


渓魚の出が全くありませんので、直ぐに登山道の大古森沢の丸木橋・高度計1300mに着きます。


更に遡行していくと、岩の向こうの斜面に直径40cm位の生き物らしい茶色い丸い塊を見つけました。どきっとして立ち止まると、その塊は顔を上げました。あかちゃん鹿だったのでほっとしました。生まれたばかりで母鹿の後を冷たい沢を越えて追えずにふてくされて寝ていたのだと思います。立ち上がって私を観察していました。あかちゃん鹿だったので良かったです。過去に岩の向こうに顔を出すと角の大きい2m近い大鹿が居てにらまれた時や、馬の背の尾根の向こうに顔を出すと出会いがしらに2m近い大鷲が地表すれすれを滑空して上がってきて衝突しそうになった時は恐ろしかったです。

渓相は良いのですが。渓魚の振り込んだ毛鉤への出が全くありません。水温は7℃で、雪解け水が入って冷たすぎるのだと思います。


12時30分に、渓魚の振り込んだ毛鉤への出も無く、遡行に疲れたので釣りを切り上げて、暖かくなった大石の上・高度計1420mでゆったりと昼食を食べました。結局は釣果は今日はぼうず(0尾)でした。


ところで、早川広河内は特に釣人・作業者の色んな忘れ物が目に余ります。今日は渓魚の出が無かったこともあったのですが、沢に忘れられた有名釣具店のシールが貼り付けられたみみず・くりむしの入れ物や有名コンビニストアのシールが貼り付けられた食器トレー・ラップを拾い捲りました。でも、何故か魚トラップ(毒流か?)やドラム缶・スチールワイヤー(工事燃料・仮設橋浮か?)が放置されおり、大きすぎて拾えませんでした。猟の獲物を処理したプレデター/映画に出てくるような血が付いた脊椎などもありますが自然に戻ります。新素材や金属は自然に戻りませんからなんとかしたいです。

新緑の大自然の中で充足した時間が過ぎて行きました。でも、私自身には源流の遡行は歳をとって心身にきつかったです。生活の仕事は2年前に離職しましたが、趣味の源流釣も今回が最後ではと実感しました。今回は偵察目的だったのですが、うすうすもうここには二度と来れないのではとも思っていたので、走馬灯のように色んな思い出が浮かびながらセンチメンタルな気分で帰途につきました。帰りにつむぎの湯に寄りフォッサマグナの濃い温泉を楽しみ山の家に寄り、高速道ETC早朝夜間割引を使い23時に町の家に帰って来ました。