(長文写真30枚です)前回のNo14竜王、前々回No13神保原に行ったが楽しかったのですが、堀切という河川防災手法の名がついた地域に興味がわき、天気が17日は快晴との予報で、続けて東京葛飾の荒川左岸の堀切周辺を歩くことを急遽計画して実行しました。ついでに、浅草の浅草寺(せんそうじ)辺りに行ったことが無かったので、今回の予定コースは墨田の東京メトロ銀座線の浅草駅から浅草寺・墨田川左岸・荒川左岸・堀切を周遊して、京成押上線の四ツ木駅まで周遊8.51Kmでした。
移動 34.1km:58分 新百合ケ丘駅06:05→07:03浅草駅
歩行 8.5Km:2時間30分+道草1時間 浅草駅→桜橋→千住汐入大橋→堀切橋→四ツ木駅
移動 38.6km:71分 四ツ木駅11:21→12:32新百合ヶ丘駅
当日の歩行実績は浅草駅から四ツ木駅まで地図に赤色破線付けした舗装道路と堤防・河原の歩道(台東・墨田・足立・葛飾各区の境界)を周遊11.64Km・1.9万歩・ハートポイント(強運動)30・時間4.3時間のインターバルウオーキングをしました。東京都心部なので、幹線道路・生活道路は交通量が多かったです。堤防・河原には遊歩道が整備され、休憩場所・公衆トイレが綺麗で多く設置されていました。早朝なので、ウオーキング・ランニング・サイクリング・・・をしている人達がそこそこいました。浅草の雷門・仲見世通・浅草寺・・・の人出は未だまばらで、報道で見る雑踏混雑状態ではありませんでした。コースがとうきょうスカイツリーの廻りを楕円周するようになっていたので、どこからも右方向に見えていました。天気は快晴で気象庁予報的中でした。今回は時間に余裕のある遠地ウオーキングで、楽しい一日でした。
遠地ウオーキングエリア(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)

浅草堀切周辺ウオーキング経路地図(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)

浅草駅ホームと駅前(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


地下の浅草駅を降り、西口から地上に出るとビル街です。道路を渡り進むと右手に雷門が見えます。右に折れて北に進む真っすぐな道が雷門・仲見世商店街・浅草寺に続いています。
ビル街 標高 5.1m(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)

雷門(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)

仲見世商店街・脇道(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


浅草寺 画像無しですが右側奥に五重塔(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)

浅草寺への参拝を済ませ、東(右)に)に進むと隅田川沿いの隅田公園に出ます。初めて隅田川を見た印象は、思っていたよりも 川幅が広い・ 綺麗・・・でした。
隅田公園 標高3.5m下流 東部鉄道伊勢崎線鉄橋と言問橋・上流 桜橋(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


隅田川の上流向かって隅田公園の川寄りの遊歩道を歩くと、チェックポイントの桜橋西端に着きます。桜橋はX型のめずらしい形の橋でした。南東側近くにとうきょうスカイツリーが大きく見えます。上流に白髭橋が見えます。
桜橋 標高5.2m とうきょうスカイツリー・上流 白髭橋(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


どんどん進んで行くと、花見大会で有名な両国墨田川花火大会の絵看板が飾られています。
下流・両国墨田川花火大会絵看板(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


道沿いに隅田公園を出て、快適な堤防上の路をどんどん進んで行くと、路の周りは山野草の緑と花が綺麗です。下流に振り返るととうきょうスカイツリーが最初に見えます。上流は左に廻り、対岸(左岸)に目をこらすと荒川の堀切との水路が見えます。
堤防上の路 標高6.5m 下流・上流(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


路の廻りの山野草は初めて見る花ばかりで、外来種の山野草だと思います。
堤防上の花 こがねしもつけ・かたばみやいぬのふぐり類似(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


路は墨田川から離れ道路は盛土段丘標高10.2m(車道とんねる2ヶ所あり)となり、歩く路標高6.5mも墨田川・水神大橋を少し離れています。川沿いの路標高1.9mもあります。景色の雰囲気は大袈裟ですが山梨信玄堤高石の雰囲気を感じました。路を進み、隅田川は大きく左に周り、千住汐入大橋が見えてきます。

どんどん路を進むと大きい交差点に出て、左側がチエックポイントの千住汐入大橋西端標高7.3mです。橋を渡り先に進むと千住曙町交差点標高1.6mに出て、先に堀切橋が見えます。
千住汐入大橋上流・千住曙町交差点(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)

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堀切橋は車道の標高は西側曙町側 -0.4mから荒川堤防8.5mに上がり橋となり、荒川・綾瀬川堤防8.8mから東側堀切町側 -1.2mに下る橋です。上流側に京成電鉄本線鉄橋があります。人・自転車が昇り降りするスロープ側道が設けられています。車道の下には子供公園などが設けられています。海抜0mを下回る地域の地理・活動・生活・・・を知り理解するのはたいへんなことです。
(補) 国土地理院 測量法では、東京湾の平均海面を0mの基準面とし、基準面からの高さは標高とよびます。
近隣の海面からの高さは海抜とよびます。
日本水準原点は東京都千代田区永田町1丁目で、東京湾平均海面からの標高24.39mです。
堀切橋標高8.8mの堀切寄り辺より荒川上流・下流(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


荒川橋を渡りきらずに途中の荒川と綾瀬川の間の分断堤防の道(車も通行)標高8.5mへ左に曲がり、荒川と綾瀬川の下流に進みます。左側が荒川、右側が綾瀬川です。首都高速の堀切ジャンクションの手前左に堀切町に渡る堀切小橋があり、渡ると近くに堀切菖蒲園があります。直進して堀切ジャンクションをくぐり進むと堀切菖蒲水門があり、説明パネルが置かれています。事前にインターネットで葛飾区堀切の地名の由来を調べた時には説明された名前の由来に納得しかねなかったのですが、説明パネルの説明を見て疑問が7割がた消えました。
葛飾区堀切の地名の由来は?
葛飾区情報「鎌倉時代の始め、葛飾一帯は葛西清重の領地で、御城蔵人正房が居を構え周囲に堀をめぐらせたために地名が起こりました。 応永5年(1398)「葛飾御厨(みくりや)注文」に載り、城下町として栄え、昭和7年には葛飾区堀切町となりました。 花菖蒲が6,000株といわれる堀切菖蒲園の花見客の便を計るため、明治35年に開設されました。約620年前の室町時代の資料にも出てくる古い地名です。 堀切という地名になった理由は、はっきりわかっていませんが、この土地を開発した領主の館に堀があったためという説があります。」
京成電鉄情報「堀切がいろいろ謎な件は、駅前は土手の行き止まり、駅名は対岸の足立区の地名、もともとの駅の位置は荒川のなか、約620年前の室町時代の資料にも出てくる古い地名です。地名の由来は主に外敵の侵入防止のため城や集落の周囲に人工的に開削された溝(堀)の一種が堀切と呼ばれていました。」
綾瀬川ほりきりこばし・堀切菖蒲水門説明パネル (クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


堀切ジャンクションをくぐり過ぎると見通しの良い堤防上の道を歩きます。道の右側に大きな荒川の看板があります。広い河原の先に四ツ木大橋が見えます。堤防上の道を歩いたり、河原に下りて路・草むら・グランドを歩きました。小さな規模の公衆トイレ・水飲み場が多く整備されています。
荒川の看板・荒川の広い河原(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


河原にかるがも夫婦を見つけました。道のすぐ右側に流れのある小川があり、1羽が中に入り込み見えなくなりました。流れは狭い様子ですが、もしかしたら巣があり守っているのではと想像できるので、覗き込むのを躊躇しました。もう1羽は監視するように私を睨み続けていました。
荒川河原のかるがも(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)

四ツ木橋・新四ツ木橋、京成押上線鉄橋をくぐり、木下川橋西端に着きました。綾瀬川の少し上流右側の首都高速道路・京成押上線効果の下に四ツ木駅前標高 -0.4~-1.0mが見えます。木下川橋東端標高6.7mから四ツ木駅前標高 -0.4mは下り坂道で、四ツ木駅に着きました。駅は二階が事務所・改札・・・公衆トイレで三階がホームでした。予定の時間に電車に乗り、川崎の家に無事戻りました。
木下川橋綾瀬川西端から上流(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
移動 34.1km:58分 新百合ケ丘駅06:05→07:03浅草駅
歩行 8.5Km:2時間30分+道草1時間 浅草駅→桜橋→千住汐入大橋→堀切橋→四ツ木駅
移動 38.6km:71分 四ツ木駅11:21→12:32新百合ヶ丘駅
当日の歩行実績は浅草駅から四ツ木駅まで地図に赤色破線付けした舗装道路と堤防・河原の歩道(台東・墨田・足立・葛飾各区の境界)を周遊11.64Km・1.9万歩・ハートポイント(強運動)30・時間4.3時間のインターバルウオーキングをしました。東京都心部なので、幹線道路・生活道路は交通量が多かったです。堤防・河原には遊歩道が整備され、休憩場所・公衆トイレが綺麗で多く設置されていました。早朝なので、ウオーキング・ランニング・サイクリング・・・をしている人達がそこそこいました。浅草の雷門・仲見世通・浅草寺・・・の人出は未だまばらで、報道で見る雑踏混雑状態ではありませんでした。コースがとうきょうスカイツリーの廻りを楕円周するようになっていたので、どこからも右方向に見えていました。天気は快晴で気象庁予報的中でした。今回は時間に余裕のある遠地ウオーキングで、楽しい一日でした。
遠地ウオーキングエリア(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)

浅草堀切周辺ウオーキング経路地図(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)

浅草駅ホームと駅前(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


地下の浅草駅を降り、西口から地上に出るとビル街です。道路を渡り進むと右手に雷門が見えます。右に折れて北に進む真っすぐな道が雷門・仲見世商店街・浅草寺に続いています。
ビル街 標高 5.1m(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)

雷門(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)

仲見世商店街・脇道(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


浅草寺 画像無しですが右側奥に五重塔(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)

浅草寺への参拝を済ませ、東(右)に)に進むと隅田川沿いの隅田公園に出ます。初めて隅田川を見た印象は、思っていたよりも 川幅が広い・ 綺麗・・・でした。
隅田公園 標高3.5m下流 東部鉄道伊勢崎線鉄橋と言問橋・上流 桜橋(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


隅田川の上流向かって隅田公園の川寄りの遊歩道を歩くと、チェックポイントの桜橋西端に着きます。桜橋はX型のめずらしい形の橋でした。南東側近くにとうきょうスカイツリーが大きく見えます。上流に白髭橋が見えます。
桜橋 標高5.2m とうきょうスカイツリー・上流 白髭橋(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


どんどん進んで行くと、花見大会で有名な両国墨田川花火大会の絵看板が飾られています。
下流・両国墨田川花火大会絵看板(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


道沿いに隅田公園を出て、快適な堤防上の路をどんどん進んで行くと、路の周りは山野草の緑と花が綺麗です。下流に振り返るととうきょうスカイツリーが最初に見えます。上流は左に廻り、対岸(左岸)に目をこらすと荒川の堀切との水路が見えます。
堤防上の路 標高6.5m 下流・上流(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


路の廻りの山野草は初めて見る花ばかりで、外来種の山野草だと思います。
堤防上の花 こがねしもつけ・かたばみやいぬのふぐり類似(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


路は墨田川から離れ道路は盛土段丘標高10.2m(車道とんねる2ヶ所あり)となり、歩く路標高6.5mも墨田川・水神大橋を少し離れています。川沿いの路標高1.9mもあります。景色の雰囲気は大袈裟ですが山梨信玄堤高石の雰囲気を感じました。路を進み、隅田川は大きく左に周り、千住汐入大橋が見えてきます。

どんどん路を進むと大きい交差点に出て、左側がチエックポイントの千住汐入大橋西端標高7.3mです。橋を渡り先に進むと千住曙町交差点標高1.6mに出て、先に堀切橋が見えます。
千住汐入大橋上流・千住曙町交差点(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


堀切橋は車道の標高は西側曙町側 -0.4mから荒川堤防8.5mに上がり橋となり、荒川・綾瀬川堤防8.8mから東側堀切町側 -1.2mに下る橋です。上流側に京成電鉄本線鉄橋があります。人・自転車が昇り降りするスロープ側道が設けられています。車道の下には子供公園などが設けられています。海抜0mを下回る地域の地理・活動・生活・・・を知り理解するのはたいへんなことです。
(補) 国土地理院 測量法では、東京湾の平均海面を0mの基準面とし、基準面からの高さは標高とよびます。
近隣の海面からの高さは海抜とよびます。
日本水準原点は東京都千代田区永田町1丁目で、東京湾平均海面からの標高24.39mです。
堀切橋標高8.8mの堀切寄り辺より荒川上流・下流(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


荒川橋を渡りきらずに途中の荒川と綾瀬川の間の分断堤防の道(車も通行)標高8.5mへ左に曲がり、荒川と綾瀬川の下流に進みます。左側が荒川、右側が綾瀬川です。首都高速の堀切ジャンクションの手前左に堀切町に渡る堀切小橋があり、渡ると近くに堀切菖蒲園があります。直進して堀切ジャンクションをくぐり進むと堀切菖蒲水門があり、説明パネルが置かれています。事前にインターネットで葛飾区堀切の地名の由来を調べた時には説明された名前の由来に納得しかねなかったのですが、説明パネルの説明を見て疑問が7割がた消えました。
葛飾区堀切の地名の由来は?
葛飾区情報「鎌倉時代の始め、葛飾一帯は葛西清重の領地で、御城蔵人正房が居を構え周囲に堀をめぐらせたために地名が起こりました。 応永5年(1398)「葛飾御厨(みくりや)注文」に載り、城下町として栄え、昭和7年には葛飾区堀切町となりました。 花菖蒲が6,000株といわれる堀切菖蒲園の花見客の便を計るため、明治35年に開設されました。約620年前の室町時代の資料にも出てくる古い地名です。 堀切という地名になった理由は、はっきりわかっていませんが、この土地を開発した領主の館に堀があったためという説があります。」
京成電鉄情報「堀切がいろいろ謎な件は、駅前は土手の行き止まり、駅名は対岸の足立区の地名、もともとの駅の位置は荒川のなか、約620年前の室町時代の資料にも出てくる古い地名です。地名の由来は主に外敵の侵入防止のため城や集落の周囲に人工的に開削された溝(堀)の一種が堀切と呼ばれていました。」
綾瀬川ほりきりこばし・堀切菖蒲水門説明パネル (クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


堀切ジャンクションをくぐり過ぎると見通しの良い堤防上の道を歩きます。道の右側に大きな荒川の看板があります。広い河原の先に四ツ木大橋が見えます。堤防上の道を歩いたり、河原に下りて路・草むら・グランドを歩きました。小さな規模の公衆トイレ・水飲み場が多く整備されています。
荒川の看板・荒川の広い河原(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)


河原にかるがも夫婦を見つけました。道のすぐ右側に流れのある小川があり、1羽が中に入り込み見えなくなりました。流れは狭い様子ですが、もしかしたら巣があり守っているのではと想像できるので、覗き込むのを躊躇しました。もう1羽は監視するように私を睨み続けていました。
荒川河原のかるがも(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)

四ツ木橋・新四ツ木橋、京成押上線鉄橋をくぐり、木下川橋西端に着きました。綾瀬川の少し上流右側の首都高速道路・京成押上線効果の下に四ツ木駅前標高 -0.4~-1.0mが見えます。木下川橋東端標高6.7mから四ツ木駅前標高 -0.4mは下り坂道で、四ツ木駅に着きました。駅は二階が事務所・改札・・・公衆トイレで三階がホームでした。予定の時間に電車に乗り、川崎の家に無事戻りました。
木下川橋綾瀬川西端から上流(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
