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鱒釣楽の近況

渓流釣行・散策遊行、そこで出会った魚・花・蝶・人などの記録です

災害を忘れないために

2018年06月28日 10時32分51秒 | いろいろ
 参加している地区民児協グループでは災害を忘れないために、毎年一回、7年前の東日本大震災の被災地を実際に訪れて自身の五感を研ぎ澄ますようにしています。結構辛いです。今年は、一泊二日で福島双葉富岡町の総合福祉センター(帰宅困難解除地域)で地区民児協グループどうしの交流会に参加しました。 玄関ホールに未来のとみおかの子供達の切り絵(ゆうゆう倶楽部)がありほっとしました。事故を起こした原発から10Kmの距離で、核分裂物質が分裂時に出す人への影響:放射能空間線量は地上1mで0.22μsV/Hあります。ちょっと先に行くと車以外侵入禁止(帰宅困難地域)です。除染目標が0.23μsV/H以下ですから緊張しました。現地の民児委の人達はほとんどが遠い避難先から車で来たとのことでした。
 
 グループに分かれて、震災時・原発事故時のこと、その後の活動、7年経った現在の活動を聞かせて貰いました。川から津波がきて、風が吹き、雪が降り、町内避難所に行き、良く分からないまま川内村に避難所を移り、原発事故現場で水素爆発(施設で使用・生成された有害な微粒核分裂物質が空気・水対流によって広範囲拡散撹拌)がおきて遠い郡山市に避難所を移り、狭くて横になることもできず、品川に移り、日光に移り、避難所を7回移ったこと、避難先ではごはんを貰いに箱(イチゴの段ボール箱)を持って並んだこと、母親は施設からの避難時に足にマジックインクで名前を書いてもらっていて2ケ月後に新潟から連絡があって再会できたこと、孫(1歳・7歳)とは1週間後に友達から避難先に子供がいますよと連絡があって再会できたこと、避難訓練した事は全く行われずに何もできないままさまよい続けたこと、心身がおかしくなったこと、・・・皆さんは気丈にふるまっていますが思い出すのが辛い様子でした。
 三陸沿岸地域では、被災後5年経ち、大規模土地造成を行っている場所を除けば、前と変わらない生活の場(漁業、農業、製造業・・・)に戻っていますが、富岡町は、被災後7年経ち、生活の場(衰退していった漁業、農業、・・・、新しく成長してきた原発)は全く戻らずに、新たに既設送電・変電設備を利用する火力発電所、太陽光発電所、除染物保管倉庫、・・・原発廃炉、土壌除染と更地化、そこで働く人達の賃貸住宅供給へと業態をしたたかに変えていることを、人は生活するためになりふりかまわず何でもするものだと実感しました。元気に生活して欲しいものです。
 
 
 
 
 
 気持ちの切り替えに、母畑温泉の宿(標高375m)に入り、美味しい夕食を食べ、まったりしたアルカリ泉温泉で心身を温めました。
 
 
 翌日は梅雨の中日ですが、すっきり好天でした。那須岳山塊に行き、つつじ吊り橋を散策し、茶臼岳の頂上下(標高1705m、気温10℃)を散策しました。いろんな雲の形が現れ、亜高山の荒れ地に付くうらじろたで(おんたで)、まるばしもつけ、・・・が見頃でした。水車の里で釜だきのおいしいご飯をお替りして最後に温泉卵かけご飯を食べ、料理用乾燥豆を土産に買い込み、帰ってきました。
 
 
 
 
 
 

後二週間で夏至に

2018年06月04日 15時07分22秒 | いろいろ
 はや今年も半分、6月になりました。川崎の今年の梅雨は天気予報では6月8日~7月21日と平年と同じようです。6月21日は夏至です。長~い雨が明けると、暑~い夏になりそうです。
 土曜日は麻生福祉センターふれあいバザーを手伝い、日曜日は川崎山手の町の家(標高122m)周りの多摩丘陵を散策し、それなりに体を動かしていて、ちょっと筋肉痛が出ています。

 近所は里山の雰囲気が残っており、最高所は標高135mあり、木々・家々の間からはこま切れにですが関東一円を展望できます。南~西側は三浦半島・・・伊豆半島・・・丹沢山塊・・・秩父山塊を一望でき、奥に富士山・白根三山・・・八ヶ岳・・・の頂きが見えます。
 
 
 
 
 庭では、初夏の花、たいむ・すずらん・ぱんじー・がざにあ(写真:昼間開き夜は閉じる)・・・が、そろそろ終わりです。
 
 かえでが大きな種(写真)をつけています。らずべりー(きいちご)が赤い実(写真)をつけて、かみさんがじゃむにしてヨーグルトにそえて皆で食べました。
 
 
 夏の花、ほたるぶくろ(写真)・れんげしょうま・すかしゆり・やまゆり(写真)・かさぶらんか・ききょう(写真)・・・が花芽をつけています。