【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

読む速度

2011-10-05 19:01:54 | Weblog

 私は子供の時から読む速度は速い方だったので、特にそれを鍛える必要性は感じませんが、世の中には「速く読みたい」という需要は一定量あるようで、だから「速読法」というものが“商売”になるようです。で、それに対する“アンチ”として「ゆっくり読まないと、深くわからない」という主張もまた一定量あるようです。
 私から見たら「速度がそんなに重要?」。
 コンピューターの通信速度と同じで、速い方が情報の伝達量は増えますが、もちろんそれは「質」を保証するわけではありません。自身の読解力や記憶力の限界を超えたスピードで情報を詰め込んでも、それは脳には定着せずに無駄になるだけでしょう。
 逆に「遅い方が読書体験が豊かになる」というのもまた根拠が薄弱には思えます。私自身、学生の時に数年間かけて文庫本一冊を読む、ということをやってましたし、現在も一冊、数年前からちょっとずつ読んでいる本があります。ただ、それで自分の読書体験が豊かになっているとか深く理解できているとかは思えません。むしろ、最初の頃がどうだったっけ?状態になってしまって、もう一度読み返したりする手間が増えています。それでもその本は遅くしか読めないので仕方がないのですが。
 結局「その本がどの程度のスピードで読むのに適しているか」と「自分の脳と目が、どの程度のスピードで読めるか(理解できるか)」で自動的に「読む速度」は決まるのであって、先に「どのくらいの速度で読まなければならない」というのを決めてしまうと、それはずいぶん窮屈な人生になっちゃうのではないでしょうか。

【ただいま読書中】『アフリカ一周自転車旅行』ジャン=フランソワ・ベルニー 著、 和光哲夫 訳、 早川書房、1981年、1500円

 1974年、著者はおんぼろ自動車(12年前のプジョー404のライトバン)に乗ってモロッコに渡ります。「レポーターになりたかった」のだそうです。しかし砂漠横断の途中に車は故障。著者は死にかけますが、たまたま通りかかったマリの軍隊に救助されます。著者の頭に「だったら自転車を買おう」というアイデアが舞い降ります。
 生き馬の目を抜くような商人たち、悲しい売春婦たち(とその家族)、友人の病気、自分の病気、喧噪、混乱、革命、親切、不親切、無関心、善良、優しさ、歓待、泥棒……淡々と著者が目撃したり体験したことが述べられます。ただ、「黒人だから遅れている」とか「アフリカは未開」とかの発想は一切ありません。著者は自分の思い込みはどこかに片付けて「自分が見たもの」をそのまま記録しています(あるいは、最初からそういった思い込みはなかったのかもしれません)。
 ヒッチハイクでガーナからトーゴに入国し、そこで著者は中国製の自転車を購入します。そして「自転車旅行」によって著者は「アフリカ」を知ることになります。ただし、それは著者にとっては「旅行の最後まで引きずっていかなければならない重荷」となるのでした。
 面白いエピソードもてんこ盛りです。例えば、ガーナでは親切な男が、自分のカカオ畑のすぐそばで昔ながらのココアをご馳走してくれました。ただし彼が開けたココア缶は、英国からの輸入品だったのですが。自転車のパンク修理をしていたら、親切な男(黒人)が野生のゴムの木から樹液を採ってきてくれました。おかげで修理は大成功。
 あちこちで独裁者が好き勝手をやっていました。これは“弱い立場(たとえば、放浪している白人ヒッピー)”の人間には実感としてその圧政ぶりがよくわかります。そのせいか、かつては豊かだった土地が貧しくなっています。その変化についての証言を著者は記録します。アンゴラではちょうど内戦が始まってしまい、著者は「外国人スパイ」として逮捕されてしまいます。本格的な拷問が始まる前に“救いの手”が現われますが。
 アフリカの西海岸を南下して南アフリカ共和国に到着。そこから今度は、東側を北上です。結局著者は2年間の旅を完遂しますが、その最後は、エチオピアから(立ち入り禁止区域となっている)エリトリアへの侵入です。そして、旅の最後に著者が受け取ったのは、父の死を知らせる母からの手紙でした。
 旅の途中には「アパルトヘイト」「ツチ族」「FNLA」「ウガンダのアミン大統領」など“懐かしい”ことばが散りばめられています。本書は本来「ルポ」ですが、私にとっては「歴史」でした。あるいは素直に「冒険」、または「人類学のレポート」として読むこともできる本で、何回でも楽しめることは保証します。