【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

雌伏のススメ

2009-08-29 18:06:15 | Weblog
 最近家の近くを流す街宣車、じゃなくて、選挙カー、自民党候補のは悲哀感が漂った声調です。劣勢だと自覚しているのでしょう。
 だけど、こんなにころころ変わる「風」の場合、風を追いかけるよりもじっとスジを通していた方が、また風が変わったときには順風満帆になるんじゃないです? 4年前の事を私は思い出していますが、自民党の議員は、たとえ落選してもじっと我慢していたら4年後(あるいは3~2年後)にはまた今とは全く違う風が吹いているんじゃないか、と私は思っています。それが日本にとって好ましい事かどうかは別として。

【ただいま読書中】孟嘗君
孟嘗君と戦国時代』宮城谷昌光 著、 中公新書2001、2009年、720円(税別)

 著者は春秋時代が理解できないそうで、しかたないから『史記』と『春秋左氏伝』を書写したそうです。それでおぼろげながら春秋時代がわかるようになったのですが、それに続く戦国時代もまたわからない。春秋時代にはまだ「周王室を(形式的とは言え)尊重する」が貴族のルールでした。ところが戦国時代にはそういった「ルール」が消滅します。そこで著者は「その時代を代表する人物」として孟嘗君を取り上げます。本書は、孟嘗君の物語であると同時に戦国時代についての解説本であり、同時に著者の歴史に対する態度の表明でもあります。
 著者は、悠々と周から話を起こします。春秋時代に周の権威は落ちぶれますが、それでも「王号」は周のもので、他の国はすべて「公」でした。当時の「王」はすべて自称でしかなかったのです。しかし、紀元前334年に魏の恵王と斉の威王はお互いを「王」と認め合います(つまり「自称」ではなくなったのです)。ここから中国には「王」が乱立するようになり、さらに各国の境界に長城が造られるようになります。春秋時代にも国は乱れていましたが、それでもまだ人として守るべき「基本ルール」がありました。しかし戦国時代に情け無用の戦いがエスカレートしていくのです。
 著者はあまりに悠々と時代を語っているため、孟嘗君の子ども時代が登場するのは本書の半ばを過ぎてからです。ただ、時代と個人を重ねて書くことで「歴史」を立体的に膨らませる手法は、読む側にはとてもわかりやすくて、退屈しません(昨日書いた『ウィーン 最後のワルツ』の手法も私は思い出します)。で、やっと孟嘗君が出てきたと思ったら著者の筆は諸子百家の方に滑っていきます。これまた面白い話題ですが(私は特にこの系統の話が好きですから)、「孟嘗君についてはやく知りたい」人には退屈かもしれません。
 斉の相の賤妾の子であった孟嘗君は幼少時より英明で、ついに後嗣となります。広く数千人の食客を集めますがその特徴は「食客の質の悪さ」。亡命者や罪人まで受け入れていたのです。かつての強国楚は衰えを見せ、孟嘗君はその名を天下に知られるようになり、秦の昭王から自分の国でも相として腕をふるうように招かれます(戦国時代には、一国の相が他国の相を兼ねることもできたのです)。そして有名な故事「函谷関の鶏鳴狗盗」。命からがら秦を逃げ出した孟嘗君は連合軍で秦を攻めますが函谷関の近くで兵を止めます。このへんが(このへんも)昔の戦争のよくわからないところで、軍旅を起こし相手の軍を破ってどこそこまで来た、ということがシンボルとして当時は非常に重要だったのでしょうか。

 いやあ、戦国時代は、というか、古代中国の価値観はやはりよくわかりません。不思議な人たちが不思議な行動をしてその結果が「歴史」になり、そしてそれがなぜか現代の我々につながってくる……現代の我々も未来の人間から見たらきっと似たことを言われるのでしょうねえ。




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