【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

統領の大中小

2020-01-12 09:34:25 | Weblog

 大統領が存在するのなら、中統領や小統領もどこかに存在するのでしょうか? 少なくとも「大統領」の名前にふさわしくないのにその地位にある人はそっちで呼んだ方がよいとも思えますが。

【ただいま読書中】『鬼平 長谷川平蔵の生涯』重松一義 著、 新人物往来社、1999年、2800円(税別)

 「鬼平犯科帳」はフィクションですが、「鬼平」のモデルとなった長谷川平蔵は実在の人物です。著者はまず、長谷川家の先祖たち(三方ヶ原で家康を守って戦死した人もいるそうです)や江戸(特に本所)の昔の姿をじっくりと描写します。そして「鬼平」の誕生。ところがこれが不確かです。幕府への届けでは「寛政七年に五十歳で死亡」とあるからそこから逆算して、延享二年(1745)ころに誕生したらしい、となりますが、こういった届けはけっこういい加減だったそうです。
 若いころは放蕩無頼の気があって「本所の銕(てつ)」という通り名(悪名)まで頂戴していたそうです。そのせいか、将軍への初御目見得という重要な儀式は、二十三歳まで待たされました。元服直後の子供たちに混じっての将軍謁見は、本人にとってはちょっと恥ずかしいものがあったのではないでしょうか。そのせいか、その後はけっこう真面目に仕事に励んでいるようです。
 平蔵の父宣雄は着実に出世し、火付盗賊改加役の任にあったときには「明和行人坂の大火」の放火犯を検挙する手柄を挙げています。この取り調べで宣雄は、拷問にだけ頼らず、現場検証や裏を取る捜査をおこなっています。この功績が評価され、父は京都西町奉行に抜擢。町奉行とは言っても、畿内の幕府直轄地の勘定奉行や五畿内の寺社奉行も兼ねる重職です。家禄四百石の旗本としては異例の大出世でした。京でも父はばりばりと能吏ぶりを発揮しますが、わずか8箇月で急死(著者は過労死か、と考えています)。平蔵はしおしおと江戸に戻ることになります。家督は継いだものの、江戸では役なしの小普請組。無聊を託つことになります。翌年やっと西の丸御書院番(将軍の親衛隊。将軍が場外に出るときは警護を担当)を仰せつかります。平和な時代に、親衛隊の出番はありませんが、決まり切ったルーチンワークを長谷川平蔵は淡々と誠実に確実にこなし、上役の目にとまることになり、十年後には御先手弓頭という高位につくことになりました。
 時代は、上は田沼の金権政治、下は無宿の増加による世情不安、なんとも不安定な雰囲気です。浅間山の大噴火、天明の大飢饉・打ち毀し、田沼の失脚(寛政の改革の開始)と時代は動きます。打ち毀し鎮圧で御先手組は出動を命じられ、そこでの功績を評価されたのでしょう、平蔵は火付盗賊改加役となります。潔癖症の松平定信は無頼の「本所の銕」と呼ばれていたことや「田沼寄り」と見られていた平蔵を重用したくはなかったかもしれませんが(実際に手記「宇下人言(うげのひとこと)」にわざわざ「長谷川なにがし」と持って回った妙な言い回しを残しています)、そんなことはお構いなしに平蔵は凶悪犯を次々捕縛し死罪を申し渡していました。これだけ実績を上げることができた理由として、著者は「若いころに悪所通いをしていて、ワルの生態やスラングを理解できた」「かつての悪友などが密偵として活動してくれた」ことを挙げています。つまり「悪」を理解しているからこそ「悪」を捕縛できたわけ。
 「御仕置例類集」という公的な犯罪記録には、父の「長谷川平蔵」が3年で4件の事件で登場するのに対し、息子の「長谷川平蔵」は9年で197件の事件解決で登場しています。大活躍です。
 そして、大役が回ってきます。江戸に溢れる無宿・無頼を収容する人足寄場の開設です。これは「武士の誉」とはほど遠い“不浄役人"の仕事と旗本たちには見なされましたが、平蔵は敢えて意見書を提出します。それがほぼ採用されて、隅田川河口の佃島に隣接する石川島の中州部分を埋め立てて人足寄場が建設されました。人足とか寄場と言いますが、これは「島流しの一歩手前の徒刑場」です。社会から隔離して作業をさせるのですから。そこで作られた再生紙は江戸庶民には「島紙」と呼ばれました。「島送りとほぼ同等」と庶民にも見なされていたのでしょう。
 平蔵は寄場運営のために、トリッキーな手を使います。「銭買い」です。予算が足りないため、幕府から公金を借りてそれで江戸市中の銅銭を買い占め、それで値が上がったところでさっと売り抜ける、というとても武士とは思えない商才です。また、油が高い江戸市場をにらんで、平蔵は労役に油絞りを加えようとしましたが、なぜか幕府はそれを却下しました。惜しいなあ。これが採用されていたら、寄場経営はもっと楽になっていたでしょうに。
 この寄せ場は明治には石川島徒場、さらに石川島監獄署となり、のちに巣鴨に移転しています。
 「鬼平犯科帳」はフィクションとしてとても面白いものですが、ノンフィクションの「長谷川平蔵」もまたドラマチックな人生を生きているようです。いつかそのリアルなルポを読んでみたいものです。




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