【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

儲けの時差

2016-08-14 08:24:57 | Weblog

 「儲けを度外視して」という格好良い台詞がありますが、本当に儲けを度外視したら企業はあっさり潰れます。それで良いんです? むしろ「将来(の儲け)のための投資」という意味ですよね?

【ただいま読書中】『医療の歴史 ──穿孔開頭術から幹細胞治療までの1万2千年史』スティーブ・パーカー 著、 千葉喜久枝 訳、 創元社、2016年、2800円(税別)

 本書での時代区分は「900年まで」「900〜1820年」「1820〜1920年」「1920〜2000年」「2000年以降」となっています。一般的な「古代」「中世」「近代」といった政治的な区分とはずいぶん違います。「視点」が違えば「歴史(の区分)」も異なる、ということなのでしょう。
 ネアンデルタール人の歯垢の化石を分析すると、現在薬草として使われるカモミールやノコギリソウなどが見つかりました。苦しむ家族や仲間に「手当」はしただろうと想像できますが、薬草(の化石)は「原始人」にも医療が存在したであろう「もの」としての証拠です。歯科医術(手動ドリルで臼歯に穴開け)の痕跡も先史時代の遺跡から見つかっています。それどころか、頭蓋骨に穴を開けられた化石も発掘されています。頭痛・てんかん発作・悪霊払いなどの目的か、と想像されていますが、真実はわかりません。穴は何も語ってくれませんから。
 医療に関する最古の文献は古代エジプトの「パピルス」です。たとえば3600年以上前の「スミス・パピルス」では、頭蓋骨骨折などにどのように処置するかが書かれています。3500年くらい前の「エーベルス・パピルス」には、薬物や鉱物による治療だけではなくて、呪文や祈りも「医療」として載せられています。3800年以上前の「カフン婦人科パピルス」では多産・懐妊・避妊などが扱われています。ミイラ製作で体内の構造について詳しくなったことが、(呪いや祈りだけではない)「医学への技術的アプローチ」を生んだのでしょう。
 古代で有名な医者はコスの「ヒポクラテス」でしょう。ヒポクラテス(派の医師たち)の理論の基盤は「四体液説」でした。この説の名残は現在の「胆汁質」とか「メランコリー」に残っています。ローマ時代は「ガレノス」。この人はヒポクラテスと(ヒポクラテスに敵対して論争していた)アリストテレスの理論を統合して医学理論を作る、という荒技を完成させてしまいます。どのくらいの荒技かというと、イタリアルネサンス以降までこの理論がヨーロッパ医学界を支配したくらい。なおガレノスの教えはキリスト教が絶対的に強かった中世前半はイスラム世界で保存され(キリスト教会と違ってイスラムは古代ギリシアやローマの文献を大切に保存しかつ活用していました)、12世紀ルネサンスでヨーロッパに大々的に受け入れられることになります(もっともヒポクラテスもアリストテレスも“異教徒”ですからキリスト教会はその扱いに苦慮することになるのですが……はまた別のお話です)。
 ガレノスと同様、怪しげな理論を基礎に置いていたのが東洋の伝統医学(特に漢方医学)ですが、鍼灸や漢方薬は少なくとも「実効性であった(だけではなくて、悪い現象を抑える工夫がされていた)」点で当時の西洋の医学よりも優れたものだったと言えます。
 アフリカとネイティブ・アメリカンの伝統医学は「霊の重視」という共通点を持っています。そのため治療手段として、薬草と同時にまじないが重要となります。
 西洋医学の改革者として登場したのは、錬金術師のパラケルスス(人工的に作った薬剤で人体に影響を与えることができる、という概念を提出)、解剖学者のヴェサリウス(ガレノスの間違った解剖学を正す近代的な解剖学を確立)、理髪外科医のパレ(実践的で有効な外科)、血液循環説のハーヴィー(ガレノスの生理学を訂正して“正しい生理学”を提示)……「ガレノス医学を覆すため」だけにこれだけのタレントが必要でした。ともかく「ガレノス医学は正しくない」という概念が世間に広まれば、「では正しい医学とはどんなものか」という探求が始められます。かくして近代ヨーロッパで「科学的な医学」が発達することになりました。
 産業革命が始まり、人口が密集した工業都市の貧民街を不潔と栄養失調と伝染病が支配します。医学の対象は個人から社会に広がります。さらに他の分野(化学、微生物学など)が医学に入り込みます。この辺から「有名人」が続々と登場します。パスツール、ナイチンゲール、コッホ、リスター……ああ、もうキリがありません。
 本書の最後には「将来の予測」がありますが、同時にそういった予測がいかに難しいかも述べられています。だって、たった100年前の医療でさえ、今の医療とは“まったく別物”なんですから(そして100年前の人は現在の医学を予測できていなかったはずです)。だったら今から100年後の医療はたぶん“まったく別物”になっていることでしょう。そういったことを実によくわかるように示してくれた点で、本書は良書だと言えます。



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