【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

グルメの大衆化/『食べるフランス史』

2009-05-27 18:35:40 | Weblog
 皆がグルメになってしまったら、それはつまりご馳走が「大衆化」したことになってしまうわけで、結果として「グルメ」の否定になってしまいません? 「大衆」があるからこそそれに対比する形で「(食)通」が存在し得るのではないでしょうか。ということはベストセラーのグルメ本は、結局自己否定かな?

【ただいま読書中】
食べるフランス史 ──19世紀の貴族と庶民の食卓』ジャン=ポール・アロン 著、 佐藤悦子 訳、 人文書院、1985年、2600円(税別)

 〈革命〉によってフランス社会は大変革を経験しました。食卓もその例外ではありません。著者は18世紀末からその「食卓」を追います。
 18世紀後半、奇妙な店がフランスに登場しました。個別の食卓で食物を供する店です。また饗宴が公開で行われ(周囲の回廊に見物人)、文学や論説で料理が取り上げられるようになります。1789年コンデ公が亡命し、失職した膳所の監督ロベールはレストランを創業します。革命の中、一時美食も罪とされましたが、社会が落ち着くにつれレストランも復活します。
 ちょっと不思議な本です。著者はまるで「その時代」に身を置いているかのように生き生きとした臨場感を持ってフランスのレストランを案内します。詳しいメニューや料理の紹介、値段、店の雰囲気、ミシュランのように星をつけて評価したかと思うと、安くて美味い店や名物シェフのいる店に読者を案内します。街頭では、戦闘があったり暴動があったりあるいはパリが包囲されたりしますが、それでも「今日はどこに食べに行こうか」という人(ブルジョア)はいるのです。そして1880年には「食卓と新政体(民主主義)の合致」が生じます。大衆の意に沿った「フランス料理」の普及運動です。レストランはまた変貌します。
 そういったレストランだけで「食卓」が構成されているわけではありません。食品目録の章では実に様々な食品が紹介されます。たとえば「じゃがいも」は、18世紀末にフランスに輸入されましたが、はじめは高価で料理法も限定されていたそうです。数十年後には重要な食材になるのですが。「米」の普及も19世紀初頭です。はじめは甘味のアントルメとして扱われ、野菜となるのは後代のことです。
 18世紀までの「フランスの料理」は、田舎料理と貴族の料理に二分されていました。しかし19世紀にはブルジョワ風料理が登場します。政治的な平等の要求とともに、産業革命に代表される自然に対する人間の優勢の宣言も盛り込まれた料理です。したがって材料はこれでもかの変形を強いられます。過剰に手を加えられた材料を包むのが多種多様なソースです。
 食事時間も変わりました。18世紀の貴族は、6~8時の間のデジュネ・正午のディネ・21時以降のスーペの3食でした。革命後は朝は軽食(コラシオン)または朝食(プティ・デジュネ)、正午が昼食(デジュネ)、18時頃に夕食(ディネ)となりました。1825年頃から夜食(スーペ)も復活したそうです。
 会食者の着席配置・テーブルセッティング・料理の順序などについても詳しく述べられますが、面白いのは、当時の「コース」が現在とは概念が違うことです。「コース」では、ポタージュもルルヴェもアントレもとにかく“全部”がいっぺんにテーブルに並べられます。アントレは大皿に載せられて供されテーブル上で切り分けられます。それらすべてを30~45分で食べ終えると、「二番目のコース」の登場です。それも食べたら最後の「デザートのコース」となるのです。しかしそこに新しい手順が登場します。厨房で切り分けて皿ごとにサーブする「平等主義」です。
 安い定食屋も流行りますが、その中身はピンキリです。ひどい定食屋の例が容赦なく具体的に列挙されていますが、落語の「時そば(時うどん)」でのひどい方の屋台の描写が連想されます。読んでいる方は笑えますが、実際に食べる方は悲劇なのです。
 「食卓」でフランスの19世紀を語る、という“冒険”の前には、19世紀のフランスの政体の変革や戦争も影がかすんでしまっています。もし日本で同じ試みを行ったら、明治維新を軽く無視できるでしょうか。ついそっちに目が行ってしまいそうになるでしょう。ところが著者は「食卓」から目を離しません。単なる食いしん坊なのではなくて、文化人の鑑、と褒めるべきでしょうね。




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