私が選挙での圧勝を狙うなら「消費税は10%、食料品は5%」にします。子供からの圧倒的な支持を狙うなら「ゲームとお菓子は0%」かな。
【ただいま読書中】『まんじゅう屋繁盛記 ──塩瀬の六五〇年』川島英子 著、 岩波書店、2006年、1600円(税別)
昨日は虎屋でしたが、今日は「日本の饅頭の元祖」塩瀬総本家(創業して650年)の登場です。
元の林浄因(りんじょういん)が貞和五年(1349)に来日、奈良で餡入り饅頭を製して宮中に献上しました。これが老舗「塩瀬」のルーツです。林浄因が作ったのは、中国の「饅頭(まんとう)」をヒントに、肉食禁止の僧侶のために小豆を煮て甘葛煎(あまずらせん:砂糖普及の前の甘味調味料)と塩を加えた餡を皮でくるんで蒸した「饅頭(まんじゅう)」です。後村上天皇はその味を愛し、林浄因に宮女を賜りました。その結婚に際して林浄因は紅白の饅頭を作って配りました。現在の「紅白饅頭」の始まりです。そして、その子孫が代々「まんじゅう屋」を続けることになったわけです。やがて「まんじゅう屋」は、奈良の南家と京の北家に分かれます。さらに北家は京・北家と京・南家に分かれました。しかし応仁の乱で京・北家は三河国塩瀬に難を逃れます。京の情勢が落ちつくともどって商いを再開しますが、そのとき「塩瀬」を名乗りました。こうして「塩瀬」が誕生したわけです。室町時代に後土御門天皇から「五七の桐」の御紋を賜ります。当時天皇家では特に功績のあった臣下にこの紋を下賜していました。今のイギリスで功績のある人に「サー」の称号を与えるようなものでしょうか。
江戸時代になり、奈良の南家はまんじゅう屋を廃業します。塩瀬は江戸に進出、大繁盛します。京の塩瀬は寛政年間に絶えました。ただ、江戸は大火が続いたせいか、あまり江戸時代の古文書は残っていないそうです。
戦争中の苦労は、虎屋と同じです。また、虎屋と同じく塩瀬でも「御紋菓」を製造しています。頂いた遺族は、ありがたく自分たちだけで食べるのではなくて、町内のお菓子屋でそれをコピーして町内会に配った、という体験談も紹介されています。命を捧げて恩賜の煙草や下賜のお菓子を喜ぶ、そんな時代もあったんですね。
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