私の子供時代、貧乏世帯の食卓にはよくウルメイワシの丸干しやトビウオが“尾頭付き”で乗っかりました。後年トビウオのことを九州ではアゴと呼ぶことを知り、アゴだしが美味いことも知りました。
先日スーパーマーケットに買い物に行ったら、アゴだしをあちこちに見かけました。鍋物の出汁はまあ当然として、笑っちゃったのが「アゴだしで味付けした鯖の切り身」や「アゴだしで味付けした鮭の切り身」です。鯖や鮭が単体では不味いからアゴだしで美味しくしています、なんてことかな? アゴの旨味がするサバやサケって、ちょっと面白そうではありますが、私は塩だけで焼いたもので良いです。サバが食べたいからサバを買うのですから。
【ただいま読書中】『工場法小史』横田隆 著、 大阪労働基準連合会 協力、2019年、非売品
明治時代に各地に盛んに作られた工場は、製造された商品で人々に便益をもたらし近隣住民には雇用の機会を提供するという「メリット」を持ちましたが、反面、児童労働で勉学の機会を奪い婦女子には低賃金・長時間労働、男女問わず労働災害、近隣には公害という弊害ももたらしました。それらの弊害に対して作られたのが大正5年に制定された「工場法」です。ではその法律以前には野放しだったのか、といえば、違います。各地方自治体がそれぞれに規制をかけていました。
明治時代はまだ「藩」や「殿様」の記憶が新しかった時代です。当然「地方自治」についても現在の日本とは全く違った意識で運用されていたことでしょう。
富国強兵の国策から、「労働者保護」というよりは「産業のための健全な労働力確保」が法律の本当の目的だったはずですが、「児童労働の禁止」や「15歳以下と婦女子の深夜労働禁止」などはそのまま労働者保護になっていたはずです。しかし、義務教育(12歳以下の者は労働禁止)だったのに、明治後期になってもまだ「尋常小学校を中退して就職」が結構平気で行われていたとはねえ。
法律に基づいて労働災害のデータも収集されます。また、収集された災害疾病データをもとにして健康保険法の構想を農商務省が立て、大正11年(1922)に公布されました。
工場法には公害に関する規定もあり、工場監督官が対処していました(「公害」と言う言葉は戦前から既に使われていました)。戦争になったら「公害どころではない」となってしまうのですが。
戦後の労働三法、健康保険、労災、環境保護などさまざまな法律のルーツがこの「工場法」に詰め込まれています。戦前の日本の官僚は、結構頑張って仕事をしていたのかもしれません。
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