ネットの広告で盛んに「太ももの隙間」とか「ウエストのくびれ」とかを強調したものが流れています。まあ、男女ともに痩せた状態を理想とすることに別に大声で異議を唱えはしませんが、ではそういった人たちは妊娠したら「これは理想の状態ではない」とその“体型”を頭から拒絶するのかなあ。ちょっと心配です。あれも当然「女性らしさ」の一部だと私には思えるのですが。人間の美しさとか「~らしさ」って、生理的な変化はコミですよね?
【ただいま読書中】
『ロザムンドおばさんのお茶の時間』ロザムンド・ピルチャー 著、 中村妙子 訳、 晶文社、1994年、1748円(税別)
『ロザムンドおばさんの贈り物』の“次の本”です。
「雨上がりの花」……子ども時代によく家族ですごした村を5年ぶりに訪れたラヴィニアの目的は、以前お世話になって今は病気で寝込んでいるというミセス・ファークワのお見舞い。だけど、それを聞いた人はみな顔を曇らせます。でも、ラヴィニアの目的はもう一つありました。それは……
豊かな自然描写、生き生きした村人たち、そして……本作の最後に登場する「雨上がりの最初の日光を、最初のぬくもりを受けようと」しているラッパスイセンは、一体誰のことでしょう? 読後に暖かい微笑みが残ります。
「湖に風を呼んだら」……幼なじみで初恋の人が町に出て女優と婚約した。こんなショッキングな出来事に直面させられたジェニーは、なにかをなくしそうになったときに初めて“それ”がいかに貴重なものか気がつきます。それまで引っ込み思案で待っているだけだったジェニーですが……これまた暖かい微笑みが読後に残ります。
「気がかりな不在」……新婚早々、週末になるとゴルフに出かけるジュリアン。一人残されるアマンダははじめは残念そうでしたが、そのうち何も言わなくなります。何も言われないとかえって罪の意識をかき立てられるジュリアンは……二人の気持ちの微妙な触れ違いが絶妙です。それがアマンダの料理に反映されているところも笑えます。
「丘の上へ」……10歳のオリヴァーは盲腸の手術をして静養のために小さな村の農場に住んでいる姉の所にやってきました。昼食はスープとマッシュポテトと黒パンという質素な生活です。丘の上には木彫りを生業にしているという冷たい目をした男ベンが孤独と共に住んでいます。あたりには豊かな自然が広がっていますが、自然の残酷な営み(弱肉強食)もオリヴァーは知ります。そして、暴風が荒野を吹き荒れた直後、姉が急に産気づきます。オリヴァーは残酷な自然や不気味な男に一人で立ち向かわなければなりません。
けっこうストレートな成長小説なのですが、爽やかです。自然の残酷ささえもが。
「父のいない午後」……母を失い父が再婚して1年。友達がどんどん女らしくなっていき、自分だけ子どもの領域に取り残され、学校も留年してしまった15歳のエミリー。お互い内気なためエミリーと継母ステファニーとはうち解けることができず、もうステファニーは妊娠9ヶ月です。そして今日は父親が不在で、二人きりで過ごさなければなりません。一体何を話せばいいのか、とエミリーは悩みます。しかし、急に陣痛が。
「丘の上へ」と同じく早産が「事件」として登場しますが、その扱いや物語の結末はずいぶん違います。それと印象的だったのは、午後7時なのに外がとても明るいこと(高緯度の夏だから当然なのでしょうが)。それと、救急車は病院に電話したら病院から派遣されることとその場合でも診察にかかりつけ医が関与しなければならないこと。日本とはずいぶん違うんだなあ、とそんなところに注目してしまいました。
「再開」……メイベル伯母が75歳の誕生パーティーをするとのことで、恋人を放り出して伯母がすむ古城に駆けつけたトムは、子ども時代に一緒に城で遊んだいとこたちの一人、キティーに再開します。生来の反逆児で親が反対したから意地になってカスのような男と結婚し離婚し小さな息子と二人で何とか暮らしている女性です。キティーは廃屋を買い取りそこを改修中です。この家の隅々までの描写には、著者のあふれんばかりの愛情を感じます。だけど、私が一番好きなのはこのシーン。「村の通りの角を曲がったとたん、最初の明かりが見えた。そしてやがてトルコ石色の空を背に、キントン城が影絵のようにそそり立った。」 寂れた古城がおそらく最後の華やかな賑わいを見せるであろう夜の描写です。ストーリーにはひねりはあまりありませんが、他の短編と同様に自然の豊かな描写と共に、二人の女性の行き方を対比させることで「人間の矜持とは」といったところまで考えさせてくれます。
全体に、構成が割と単純(基本は起承転結)、悪人は登場しない、人間の成長や愛情が扱われる、といったところから、波瀾万丈の物語やショックやスリルとサスペンスを求める人には物足りない作品集でしょう。でも、静かな物語でゆったりとした時を過ごしたいと思う人にはお勧めです。
【ただいま読書中】
『ロザムンドおばさんのお茶の時間』ロザムンド・ピルチャー 著、 中村妙子 訳、 晶文社、1994年、1748円(税別)
『ロザムンドおばさんの贈り物』の“次の本”です。
「雨上がりの花」……子ども時代によく家族ですごした村を5年ぶりに訪れたラヴィニアの目的は、以前お世話になって今は病気で寝込んでいるというミセス・ファークワのお見舞い。だけど、それを聞いた人はみな顔を曇らせます。でも、ラヴィニアの目的はもう一つありました。それは……
豊かな自然描写、生き生きした村人たち、そして……本作の最後に登場する「雨上がりの最初の日光を、最初のぬくもりを受けようと」しているラッパスイセンは、一体誰のことでしょう? 読後に暖かい微笑みが残ります。
「湖に風を呼んだら」……幼なじみで初恋の人が町に出て女優と婚約した。こんなショッキングな出来事に直面させられたジェニーは、なにかをなくしそうになったときに初めて“それ”がいかに貴重なものか気がつきます。それまで引っ込み思案で待っているだけだったジェニーですが……これまた暖かい微笑みが読後に残ります。
「気がかりな不在」……新婚早々、週末になるとゴルフに出かけるジュリアン。一人残されるアマンダははじめは残念そうでしたが、そのうち何も言わなくなります。何も言われないとかえって罪の意識をかき立てられるジュリアンは……二人の気持ちの微妙な触れ違いが絶妙です。それがアマンダの料理に反映されているところも笑えます。
「丘の上へ」……10歳のオリヴァーは盲腸の手術をして静養のために小さな村の農場に住んでいる姉の所にやってきました。昼食はスープとマッシュポテトと黒パンという質素な生活です。丘の上には木彫りを生業にしているという冷たい目をした男ベンが孤独と共に住んでいます。あたりには豊かな自然が広がっていますが、自然の残酷な営み(弱肉強食)もオリヴァーは知ります。そして、暴風が荒野を吹き荒れた直後、姉が急に産気づきます。オリヴァーは残酷な自然や不気味な男に一人で立ち向かわなければなりません。
けっこうストレートな成長小説なのですが、爽やかです。自然の残酷ささえもが。
「父のいない午後」……母を失い父が再婚して1年。友達がどんどん女らしくなっていき、自分だけ子どもの領域に取り残され、学校も留年してしまった15歳のエミリー。お互い内気なためエミリーと継母ステファニーとはうち解けることができず、もうステファニーは妊娠9ヶ月です。そして今日は父親が不在で、二人きりで過ごさなければなりません。一体何を話せばいいのか、とエミリーは悩みます。しかし、急に陣痛が。
「丘の上へ」と同じく早産が「事件」として登場しますが、その扱いや物語の結末はずいぶん違います。それと印象的だったのは、午後7時なのに外がとても明るいこと(高緯度の夏だから当然なのでしょうが)。それと、救急車は病院に電話したら病院から派遣されることとその場合でも診察にかかりつけ医が関与しなければならないこと。日本とはずいぶん違うんだなあ、とそんなところに注目してしまいました。
「再開」……メイベル伯母が75歳の誕生パーティーをするとのことで、恋人を放り出して伯母がすむ古城に駆けつけたトムは、子ども時代に一緒に城で遊んだいとこたちの一人、キティーに再開します。生来の反逆児で親が反対したから意地になってカスのような男と結婚し離婚し小さな息子と二人で何とか暮らしている女性です。キティーは廃屋を買い取りそこを改修中です。この家の隅々までの描写には、著者のあふれんばかりの愛情を感じます。だけど、私が一番好きなのはこのシーン。「村の通りの角を曲がったとたん、最初の明かりが見えた。そしてやがてトルコ石色の空を背に、キントン城が影絵のようにそそり立った。」 寂れた古城がおそらく最後の華やかな賑わいを見せるであろう夜の描写です。ストーリーにはひねりはあまりありませんが、他の短編と同様に自然の豊かな描写と共に、二人の女性の行き方を対比させることで「人間の矜持とは」といったところまで考えさせてくれます。
全体に、構成が割と単純(基本は起承転結)、悪人は登場しない、人間の成長や愛情が扱われる、といったところから、波瀾万丈の物語やショックやスリルとサスペンスを求める人には物足りない作品集でしょう。でも、静かな物語でゆったりとした時を過ごしたいと思う人にはお勧めです。
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