【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

高温注意情報

2011-06-29 18:47:39 | Weblog

 気象庁は今年度から「高温注意情報」というものを出すそうです。当日または翌日の最高気温がおおむね摂氏35度以上になるようだったらこの「注意情報」を、ということだそうですが、これ、なんで「高温注意報」ではいけないのか、ということを私は思います。
 そういえば気象庁の用語にはすべてきちんとした「定義」があります。「晴れ」は「雲量2~8」とか、「台風」は「最大風速が毎秒17.2メートル以上の熱帯低気圧」とか(この「17.2」には昔の「風力計」のしばりがかかっているそうです)。
 想像ですが、おそらく「注意報」にもきちんとした言葉の定義があって、こんどの「高温注意情報」はその範囲から逸脱するのではないでしょうか。私の想像では、おそらく注意報(や警報)は「地域(または特定集団)の災害被害防止」が目的だけど、「高温注意」は「個人防衛」が目的だから「『注意報』と呼ぶには目的違いだ」と字句にこだわる人からの指摘が入ったのかな?

【ただいま読書中】『塵袋(1)』大西晴隆・木村紀子 校注、平凡社(東洋文庫723)、3000円(税別)

 鎌倉時代の……雑学の書と言えばいいでしょうか(解説には、問答形式の語源探索エッセーを類書(分類体事典)仕立てにしたもの、とあります)。最初に「……は何だ」と疑問が提示され、それについて古い書物などからの引用が述べられます。たとえば……
 「虹ト云フハ何レノ所変ゾ、蟾蜍(センショ=ひきがえる)ノイキカ」という“問い”に、『博聞録』(宋の時代の書)『初学記』(唐の時代)『日本紀』(日本書紀)からの引用がずらりと。面白いのは、この「問い」自身から、当時「虹はヒキガエルの息から発生する」という説が日本にあったらしいことがわかることです。なお『博聞録』には「虹霓(コウゲイ)は雨中の日影なり」とあるそうです。で、虹は雄虹・霓は雌虹で、生き物ではないのに雄雌とはこれいかに、そういえば「虹」には「虫偏」がついているが……と著者は困っています。
 「天狗ヲ天狐トモカケルコトアリ、同異如何」……おやおや、「狗(イヌ)」と「狐」が同じ扱いだったと? ここで登場するのが日本書紀。「天狗」と書いて「アマギツネ」と読んでいるのだそうです。(『日本書紀』巻二三、舒明記九年、だそうです。手持ちのは段ボール箱の中なので、後日もし機会があれば確認してみましょう) 昼のように輝く大流星を「天狗(てんこう)星(または天狗流星)」と呼ぶそうですが、舒明天皇九年にこの天狗星が出現したのに対し、旻(びん)法師という僧が「あれは流星ではなくて、雷に似た声で吼える天狗だ」と言ったのだそうです。で、「天弧」という星もあるがこれは「弧(弓)」であって「狐」ではない、と、結局何が“正解”なんだろう、でこの項は終わっています。もしかしたら「天狗星」「天弧」がなまって「天狐」と書く人がいた、ということなのでしょうか。
 「大風」とか「霖雨」の定義、という話もあれば、「干支って何?」というものも。ただ「干支」はこの二文字が「枝」を意味する、と言うところから話を起こしているので、展開が変です。素直に陰陽から始めればいいのに。たぶん本書だけを読んだ人には「干支」の意味はわからなかっただろうな、というのが私の感想です(もしかしたら当時それは“常識”だから敢えて正統的な説明を避けたのかもしれません)。「庚申」についての説明では三尸虫がちゃんと登場しています。
 しかし「叩頭するとは、頭を地面に叩きつけることか」とか「切歯は歯を切ることか」とか、世界を「文字通り」に解釈しようとする人は鎌倉時代からいたようです(私もあまりえらそうなことは言えませんが)。読んでいて、その「問い」のあまりの素朴さと、それへの回答の教養の重みとのギャップの大きさに、楽しい気分になってしまいました。この書の著者はたぶん楽しみながら書いていたのではないでしょうか。「教養」が空回りしているところもたくさんありますが、日本語の言葉遊びのルーツをゆったり楽しむには良い本です。




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