アメリカが東アジアから手を引き、中国も内乱なんかで忙しくなった、とか“条件”が整って日韓戦争が起きたとしたら、負けたらもちろん困りますが、勝った場合でもお互いに困ることになりそうです。日本が勝ったら韓国はぼろぼろですから、当然北朝鮮が大喜びで進出してきそうです。日本はそれも叩かなくちゃいけなくなります。韓国が勝ったら韓国は日本を占領するのがおおごとですし、やはり背後から北朝鮮が大喜びで出てきそうです。
結局、戦わない方が、良いんじゃないです?
【ただいま読書中】『突飛なるものの歴史』ロミ 著、 高遠弘美 訳、 作品社、1993年、3398円(税別)
ラテン語の「solitus(慣習的な、普通の)」をひっくり返した「アンソリットInsolite」についての本です。「実利的」とか「常識」という言葉で構成された世界にぽつんと置かれた「突飛なるもの」。それは、この世界の“裏側”に存在する“別の世界”への案内標識かもしれないのだそうです。
まずは多神教でのアンソリットが次々登場しますが、ついでそれがキリスト教世界に入り込んでいったことも紹介されます。一角獣、セイレーン、ケンタウロス、バシリスク、ドラゴン。『博物誌』(プリニウス)、『アレクサンダー大王物語』、ギリシア神話、聖書……様々な“文献”が渉猟されます。著者はきわめてまじめな態度で面白くそれらのアンソリットの起源を探ります。
最初に「地獄」を考えついたのは、インドのようです。そこでは想像力の限りが尽くされて「地獄の責め苦」が展開されます。しかし、古代エジプトではその手法がさらに組織的に洗練されました。天国と複数の地獄を包括する「アメンティ」が創造され、太陽神オシリスのもと、生前の善行と悪行が計量されます。それを見習ったギリシア人は自分たちの地獄「タルタロス」を作りました。そこから「異教の神」を取り除いた「地獄の設計図」だけはキリスト教に取り入れられ、キリスト教の悪魔などが配役されました。
近代の芸術家たちもアンソリットを企てました。過激さ・奇抜さ・ショックが追求されます。その行動の根底には「束縛からの解放という欲求」があります。それは熱狂的なロマン主義のような芸術活動である場合もありましたが、反社会的な破壊活動になる場合もありました。未来派、ダダ、シュルレアリスム……“実験”は続けられます。
「巨匠」も登場します。たとえば、ヒエロニムス・ボス、パラケルスス、アルチンボルド(果実や花を組み合わせた肖像画で有名)、カリオストロ、ルートヴィヒ二世、サルヴァトール・ダリ……
時は流れ、人は“ショック”に慣れてしまいます。かつてのスキャンダルは今はただの気晴らしです。大衆化したアンソリットです。さらに「奇抜さの追求」も行われます。たとえばカメラマンは、街角でアンソリットが出現するのを待ちかまえるし、気の短いカメラマンは自分でアンソリットを作ってしまいます。(盗撮も一種のアンソリットを求める行動、なんでしょうね)
最終章は「13のアンソリットな物語」。これ、本物の実話なのでしょうか。読んでいて頭の中が混乱します。ウサギを出産する女性、結婚相手を求める豚の顔の娘、“配偶者”と交感するエスカルゴの話、子供専門の葬儀人夫、肛門から空気を吸い上げおならで音楽を演奏する男……
「アンソリットの話」は魅力的です。でも、アンソリットが過剰になると、それはつまり「アンソリットが普通の世界」になってしまうわけで、そうなったら「常識」が(今とは)変容してしまうわけですよね。その世界での「アンソリット」は、一体どんなものになるのでしょう? もしかしたらガチガチの“正統的”な古典?
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