「フクシマ」直後、放射線被曝を恐れて全身の放射線測定を求める声に対して「心配しなくて良い」と測定する前から断言したり「心配しすぎ」と非難がましく言う人たちまでいました。で、それからしばらくして、晩発性の発癌の心配をする人たちに対して「直後の被ばく線量が正確にはわからないから、被曝との関係は確定的なことは言えない」と言う人たちが。
被曝直後にきちんと多数の人を手当たり次第測定しておけば「フクシマ」直後の被ばく線量は生のデータが残せたはずなのに、それをきちんとしないように努力しておいて、あとになって「正確なデータが残っていない」と言うのは、一体何だろう?と私は思いましたっけ。
【ただいま読書中】『核実験地に住む ──カザフスタン・セミパラチンスクの現在』アケルケ・スルタノヴァ 著、 花伝社、2018年、2000円(税別)
ソ連時代、カザフスタンのセミパラチンスク核実験場(四国とほぼ同じ面積)では1949年〜89年まで456回の核実験が行われました(地上30回、空中86回、地下340回)。現地で実験場は「ポリゴン」と呼ばれていますが、その周囲では奇妙な奇形や障害が多発していました。著者の母もそういった地域の村の出身です。著者はアニメ「はだしのゲン」で放射線障害というものの存在を知り、高校の時広島市に1年間の留学をします。留学時代の写真(お正月に振り袖を着ている)がありますが、外見的にはあまり日本人と差がないように見えます。母国で大学に入り、また日本の一橋大学に留学。修士論文に選んだテーマが「セミパラチンスクの研究」、その手法は(「正史」には省かれる)現地の人々の生の証言の記録と整理。
ソ連時代の「正史」はもちろん「ソ連は正しい」が絶対的な政治的前提となっていました。そして、ソ連崩壊後、カザフスタン共和国の「正史」にもまた政治的な意図が濃厚に反映されています。しかし著者は、カザフ語もロシア語も日本語も理解できる人間として、政治的に圧力をかけられていない「生の声」を記録として残そう、としています。
そう言えば、先日読んだ「パピヨン」にも「正史」と「正史ではない歴史」が登場しました。パピヨン自身が裏社会の住人ですから「正しい歴史」に斜めからの視線を注ぐのは当然として、フランスの表社会の人たちもたとえば「ドレフュス」については「正史」での「国家に対する卑劣な反逆者」という見方とは違った解釈をしているようでした。実際に真相はそうだったんですけどね。
世界で一番たくさん核実験が行われたのはアメリカのネヴァダ砂漠の928回。ソ連のセミパラチンスクは456回ですが、放射線の影響を受けた人は、ネヴァダが1万3200人なのに対して、ソ連は100万人以上でした(132万3000人が正式に被害を認められ、105万7000人が被害者証明書を支給されています)。ただし、ソ連の「秘密主義」のため、数字は確定的なものではありません。実験回数には諸説あり、被害者数も150万人以上とする人もいます。
妊娠をした女性の一番の悩みは「奇形児を産むのではないか」という恐怖です。また、夫が自殺したために若くして未亡人になった人がとても多いのですが、自殺の原因としてインポテンツが目立っていました。これはデリケートな話題なので、たとば「通訳を介しての調査」では気づかれなかったかもしれません。しかし、核実験場はセミパラチンスク市から百数十キロ、つまり、これが東京だったら栃木県とか静岡県で核爆弾の爆発実験をぼんぼんやっているわけ。
セミパラチンスクで核実験が始まったのは1949年、その数年後から白血病が急に増え始めついで消化器系の癌が多発するようになりました(核汚染のない地域の数倍の発症率です)。ところが医者がこういったデータを発表しようとしたら罰せられました。「国家機密漏洩」かな? さらに、カザフ人の生活習慣(肉食、紅茶を好む)が癌多発の原因という説も提唱されました。それが本当なら20世紀半ばを過ぎてからなぜ?
キノコ雲の目撃談が多く紹介されています。素朴な言葉ですが“リアル"です。そして、健康悪化と環境破壊。やがて「異変」は「普通」になっていきます。多くの人々の経験から浮かび上がってくるのは、「住民がモルモットにされている」ことです。アメリカでは、自軍兵士やビキニ環礁の住民たちを核実験の“モルモット"にしていたし、広島・長崎での被爆者健診も目的は治療ではなくて研究でしたが、ソ連も基本態度は同じようです。実験場に近い村では風向きによっての避難などは行われず、それどころか意図的に住民を特定の地域に残留させることさえ行われていました。
最終的に核実験場は「閉鎖」となりましたが、実際には出入りは自由だし、環境汚染についての徹底的な調査は行われませんでした。まるで「何もなかった」かのような態度が「正史」のようです。だけど私はここで「ソ連の悪口」を言っておしまいにしようとは思いません。日本でも「フクシマ」について、徹底的な調査とデータの保全が行われていましたっけ? 広島や長崎の環境データ(たとえば「黒い雨」)が調査・保存されていましたっけ? ある種の人たちは、自分たちに都合の良いものは徹底的に利用するけれど、自分たちには都合が悪いかもしれないデータについては最初から無視したり過小評価したりする傾向があるように私は感じています。これが私の勘違いだったら、良いんですけどね。
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