【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

たった四杯、されど四分の一

2015-10-21 06:37:56 | Weblog

 日本にやって来た「黒船」はたった四隻でした。しかしそれは、当時のアメリカ海軍全兵力の1/4でした。つまり、実は「大艦隊」だったのです。

【ただいま読書中】『日本1852 ──ペリー遠征計画の基礎資料』チャールズ・マックファーレン 著、 渡辺惣樹 訳、 草思社、2010年、2000円(税別)

 ペリー提督が「日本開国」という一大プロジェクトのためノーフォークを出港する4箇月前、当時の知識を洗いざらい集めた日本に関する解説本が出版されました。それが本書です。当時の欧米人は、本書以上の知識を持っていませんでした。つまり、ペリーは本書をベースとして日本との交渉を考えていたはずです。では、それはどのようなものだったのでしょうか。
 1542年マカオを目指すポルトガル船が九州に漂着したことから話は始まります。日本の評判を聞いてザビエルが来日。日本の“教化”が始まります。ポルトガルの商人も宣教師も「大成功」していました。しかし太平洋を越えてイギリス人ウィリアム・アダムス(三浦按針)が日本に辿り着きます。先着のカトリック側は新教を敵視していましたが、「大坂の皇帝(当時五大老首座の徳川家康)」が「航海士の話」に興味を持ちます。カトリックの妨害も結局無効で、アダムスの仲介もあり、オランダが日本での貿易のトップに出ることになります。アダムスは「礼節の国、信仰心は強いが、多様な考えには柔軟」と日本人を評していますが、これが「世界の常識」となりました。ついでに「性的にも柔軟」という評も広がりましたが。
 「島原の反乱」に関してアメリカの歴史家はオランダを非難しています。島原城をオランダ艦が砲撃しなければ落城はなく、したがってキリスト教徒の虐殺もなかっただろう、と。もっともオランダの側の「全外国人の追放を免れるために幕府に協力するのはしかたなかった」という言い分も本書には紹介されています。
 オランダ人は出島に幽閉され、毎年1回踏み絵の儀式がありました。それを平気で踏むオランダ人のことをヴォルテールは嘲笑していますが、プロテスタントには偶像破壊の傾向があったので踏み絵に対してオランダ人は何の罪悪感も抱いてはいなかったようです。
 本書では「イギリスの栄誉」ということばが何回も登場しますが、それもそのはず、著者はイギリス人でした。だから「新教側」を贔屓するのでしょう。
 鎖国状態の日本に対して、ロシアやイギリスからの働きかけがありますが、日本は固く国境を閉ざします。太平洋では捕鯨が盛んとなり、アメリカもまた日本の港を求めていました。イギリスは、アメリカの行動によって自分たちが置いて行かれないように注視しなければならない、と著者は読者に注意を喚起します。「日本開国」は、貿易と開運の結節点に置かれた、列強共通の関心事だったのです。
 「日本がどのような国か」についてもページが割かれていますが、情報源は主に日本を旅した西洋人の日記です。特にケンペルの名前はよく登場します。将軍謁見の時に踊らされた、なんてスケッチがあったことを思い出します。
 文字の威力でしょう、日本は古くからの文化国家としての扱いです。古典もけっこう読まれているようですが、平家物語はずいぶん変形しています。
 日本に「二つの王権が共存」しているという変則的な政治体制についても、けっこう正確な理解が示されます。さらにそういった王権に優越するのが「法と慣習によるしきたり」である、という指摘も鋭いものと言えるでしょう。また、諸大名が日本各地を支配しているように見えますが、実は大名も幕府と自分の藩の家臣の協力がなければ、まったく無力な存在だ、とも指摘されています。どこもかしこも「二重」です。そして、日本での人の管理法は「嫉妬」を利用しているそうです。スパイがあちこちにうようよして密告が奨励され、不正と欺瞞が横行します。ところが政権とは無関係な人は、正直で真実と名誉を重んじます。これまた不思議な「二重」ですが、オスマントルコの現状と似ているそうです。
 「士農工商」は本書では「八つの身分」とされています。プラス最下層の身分外の人たち。この人たちの立場は、神道の「死の穢れ」と関連している、と著者は考えています。
 武力についての考察もあります。もし武力侵攻をした場合にどのくらいの抵抗に遭うかを考えるためでしょう。兵は精強、武器は時代遅れ、というのが著者の判定です。特に刀剣は優れているが近代戦では全く役に立たない、ともあります。日本帝国陸軍とは意見が違いますね。
 法律は「血で書かれ」ているそうです。刑罰の過酷さからでしょう。
 鉱物資源は、マルコ・ポーロの時代から「金」が注目されていましたが、本書では「石炭」が重視されています。蒸気船が寄港して補給できるかどうか、が長距離航海が可能になるかどうかの分かれ目だったからでしょう。江戸時代の日本ではすでに石炭が使われていたことは、シーボルトの記録からもわかります。だから欧米では日本の石炭に期待をしていたのでしょうね。逆に石炭が期待できなかったら、日本は「世界(のネットワーク)」に参加できなかったかもしれません。
 文化についても細かく記載されています。鎖国下の日本についてここまで詳しく語ることができるとは、感心をします。現代の世界でも、ここまで踏み込んだ関心を他国に持っている人はそこまで多くないのではないかな。



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