暴力を振るうと、善良な人間は「暴力を振るってしまった自分」にある種の嫌悪感を抱きます。そういった「心の傷」を暴力を振るった側も受けるということは、暴力を喜びと共に振るう暴力的な人間にはおそらく理解できないでしょう。
ところで「体罰」も暴力の一種と私は思っていますが、「体罰を振るう人間」は、喜びと共に暴力を振るっています? それとも殴るたびに自分の心に傷を負っています?
【ただいま読書中】『明日の明日の夢の果て』小松左京 著、 1972年(74年3刷)、角川書店、820円
22編のショートショート集です。ネタバレのために詳しい内容紹介はしません。
月開発・キャッシュレス社会・気候調節・人に恋するコンピューターなど、昭和の香りがぷんぷんする「未来」の断片が、次々登場します。「懐かしい未来像」です。
私のお気に入りは「こちら“アホ課”」。コミュニケーション、もとい、「コンミュニケーション」の重要性がとてもよくわかります。というか、現代のわかりにくいマニュアルを平気で量産しているすべての企業に「アホ課」が必要なのではないかなあ。