12月1日から8日まで、主に曹洞宗の各地の修行道場を有する寺院では、昼夜を問わず坐禅に精進する。
この集中的な坐禅修行の期間を「臘八摂心(ろうはつせっしん)」と呼ぶ。
私の場合は3年間永平寺で修行し、臘八摂心を勤めさせていただいた。
朝4:00に起きてから、夜9:30頃まで、ずっと坐禅のし通しである。
食事の時も坐禅。
お勤めの時も坐禅。
それを8日間。
正直、大変である。
寒い(永平寺の冬は厳しい・・・)。
足が痛い(結跏趺坐でも半跏趺坐でも)。
眠い。
頭はクラクラ。
人はそう簡単には悟れないということを悟ったようなものだ。
私の場合、残念なことに臘八摂心で坐が深まると言うことがほとんどなかった。
当時の坐禅に対する心構えの問題もあるかもしれない。
とは言え、今となっては青春時代の良い思い出である。
さて、今日はその臘八摂心の最終日。
特に今日は、ゴータマ・シッダルタが8日間にわたる菩提樹下での禅定において、ついに大悟徹底しブッダ(釈尊)になった日として、禅寺では「成道会(じょうどうえ)」という報恩感謝の法要が営まれる。
(他宗の事情はよく分からないが、おそらく禅門ほどには重要な行事として位置づけられてないのではなかろうか)
当寺でも毎年、幼稚園の園児たちが本堂に集まり成道会法要を営んでいる。
今回は成道会にちなみ、以下、ブッダの覚り(成道)について少し愚見をひねり出してみたい。
ブッダは明けの明星を見て覚ったと言われる。
いったいそのとき何が起こったのか。
ブッダが覚ったときに口を衝いて出た言葉の一節がある。
これを『ウダーナ』といい、感興詩と訳される。
つまり、これはブッダ開悟の第一声と言ってもいいだろう。
三つの偈が時間的経過とともに示されている。
〔初夜(夕暮れ)の偈〕
「実にダンマ(法)が、熱心に入定しつつある修行者に顕わになるとき、そのとき、かれの一切の疑惑は消滅する。というのは、かれは縁の理法を知っているから」
〔中夜(夜中)の偈〕
「実にダンマ(法)が、熱心に入定しつつある修行者に顕わになるとき、そのとき、かれの一切の疑惑は消滅する。というのは、かれはもろもろの縁の消滅を知っているから」
〔後夜(明け方)の偈〕
「実にダンマ(法)が、熱心に入定しつつある修行者に顕わになるとき、かれは悪魔の軍隊を粉砕して安立している。あたかも太陽が虚空を照らすがごとくである」
ブッダが、「ダンマが顕わになる」という表現によって、悟りの状況を表そうとしたこと。
私たちはまずこの事実を大前提としなければなるまい。
なぜなら、この言葉にこそ端的に悟りの構造が示されているからである。
「ダンマ(dhamma)」とはパーリ語による表記で、サンスクリット語では「ダルマ(dharma)」となる。
漢訳では「法」と訳されている。
この「法」という言葉は経典のなかで実にさまざまな意味で用いられているのだが、ではいったいブッダがここで述べているダンマは何を指しているのだろうか。
先取りして言ってしまえば、ここで言う「ダンマ」とは、「これこれこういうもの」と言って提示できるような対象ではないことは確かである。
強いて言おうとすれば、それは玉城康四郎先生(以下敬称略)の言葉を借りれば、「形なきいのちそのもの」とでも言えるものかもしれない。
ダンマについてブッダもこう述べている。
「わたしによって証得されたこのダンマは、甚深であり、理解しがたく、悟りがたく、寂静で、すぐれており、分別の領域を超えている。……」
つまりブッダでさえも、当初このダンマを言語化することに苦慮していたことが伺えるのである。
ブッダの伝記などには、ブッダは「縁起の理法」を覚られたということが指摘されるものの、各偈の冒頭の部分、「ダンマが顕わになるとき~」ということが問題にされることは少ないのではないだろうか。
だが、あくまでも、ブッダの全人格に浸透した「ダンマが顕わになったとき」に、縁起の理法は覚られたのであって、この事実を看過することはできないのである。
羽矢辰夫氏はそのときのブッダの状況をこう説明する。
「(ダンマとは)、この文脈では「瞑想する実践主体に現れる、自他分離的次元を超越した自他融合的な見え方の世界、およびその[真の]意味」となるかと思います。場面に即して言えば、ゴータマ・ブッダは瞑想するなかで、世界中のあらゆるものが全体としてつながりあい、融合的に関係しあっており、わたしたちはそのなかの一部でありながら、しかもそれがそのまま全体の生命を生きているという実感を、みずからの体験としてきわめて鮮明に受け取ることができたということです。」
『ゴータマ・ブッダ 羽矢辰夫著 春秋社』
羽矢氏の解説はいくぶん控えめな表現だが、的を得ていると私には思われる。
試みに、もう少しイメージを膨らまして述べてみよう。
ブッダは自己を含む全宇宙のすべてが無限の関係性によって緊密につながって一体であり、それぞれが全宇宙一体の中で生きているということを、瞑想的直感によって自他分離的思考を超越して、自他融合的な相のもとに把捉した――ということではないかと思う。
以下、少し長くなるが玉城氏の文章を引用したい。
「その形なきいのちが、ブッダの全人格体に顕わになったのである。しかも初夜(夕暮れ)・中夜(夜中)・後夜(明け方)と時間が経つにつれ、三つの偈(ウダーナ)が示されている。三つの偈に共通なことは「ダンマが顕わになる」ということである。そして「一切の疑惑が消滅する」というのは初めの二つの偈に共通である。このような三つの偈の境地を考察してみると、最初の初夜の偈では、縁の理法を知ったとあり、次の中夜の偈では、縁の消滅を知ったとなっている。つまり、ブッダに顕わになったダンマが、初夜から中夜にかけて次第にブッダの人格体に浸透し、初夜では縁の理法が浮かんでいたのが、中夜ではそれが消えて、それだけ境地の深まっていることが知られる。そしてついに後夜に至って、ダンマは、悪魔の軍隊、すなわち一切の煩悩を粉砕して、あたかも太陽が虚空を照らすように、ブッダの全人格を通貫して、全宇宙を照らしぬいたのである。このように、ダンマがブッダの全人格体に顕わになり、浸透し、通徹して、全宇宙を照らし抜いたというように、この三夜の偈のなかに、ダンマの軌跡を見ることができる。」
以上『悟りと解脱 [宗教と科学の真理について] 玉城康四郎著 法蔵館』より引用。
玉城氏(1999年没)は、仏教学者であると同時に、生涯を通じてひたすら「悟り」を求めた真摯な求道者であられた。そういう意味で、いわゆる自身の悟り体験が、氏の仏教学の基盤になっているのは明らかである。
体験ということになると、宗門人の中にはキワモノ扱いする向きもあるようだが、少なくとも氏の自伝などを読むかぎり、終始誠実に淡々と述べられている文脈からそこに虚妄の影を見出すことはできない。
ただし、受け取る側が注意せねばならないのは、氏の思想自体には問題はないのだが、ともするとこれを体験至上主義と捉えてしまうことだ。
やはり、これは忌避すべきだと思う。
神秘体験は覚りとは不可分であるものの、神秘体験がすべてではない。
それがどれだけ徹底された体験であっても、たんにそれを体験するためにブッダは覚られたのではないのだ。
神秘体験で得たヴィジョンがきっかけとはなっても、わたしたちの生死に関わる実存的な問題を解決するために、ブッダはさらなる洞察を必要としたのではないだろうか。
つまり、ブッダは体験そのものに浸ったままでいないで、そこからさらに強靭な精神力をもって思惟を人間存在の根源的な深層構造にまで深めていったのである。
神秘体験の事例は、ブッダに限らず古今東西の宗教者において示されているが、たいてい、ただ神秘体験に陶酔して満足しているような場合が多い。
だがブッダはそこに留まらないで人間の実存的不安の仕組みを、瞑想的直感によって解析している。
そこに、ブッダのはかり知れない偉大さがある。
つまり具体的には十二因縁として提示されるものである。
これにより、わたしたちの苦の根源、「無明」から端を発する、我に固執し、我を中心に考え、我を唯一絶対的なものとする人間の苦悩のメカニズムが解明されるわけである。
瞑想修行を通して自他分離的認識を超越してみると、それらはすべて仮構であり、虚妄に過ぎないということがありありと実感されるのだ。
羽矢氏は同書でこう述べている。
「他と関係なく永遠に存在するものなどなく、自己と自己以外のものが、区別はあるが隔てはなく、必然的につながりあい融合して存在している新しい世界(関係性=縁起)が開けてくるのである。それがさとり体験であり、その体験とバランスのとれた洞察から、固定的実体的に執着していた「わたし」そのものも仮構であったことがわかると、過剰な執着は消え、そこに起因するわたしたちの生存、生・老・病・死に関わるもろもろの苦しみがなくなる。」
苦悩から完全に解放されるさとりに至る道筋を、その人の器に応じて自在に説かれたのが、ブッダ、釈尊、その人であったと言えよう。
今日は、成道会。
凡夫ゴータマ・シッダルタが覚者ブッダとなり、比類なき人類の高みにまで登り詰められたことに思いを馳せ、心からの感謝の祈りを捧げたい。
ブッダの成道が、後世の人類に与えた恩恵は到底はかり知ることができないのだ・・・
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