このシリーズよさげです。
アマゾンでまとめて購入しました。
まず、「道元」と「ウィトゲンシュタイン」(ちなみに両者の思想の比較研究は私の卒論のテーマ)を試しに購入したのですが、入門書とは言えしっかりとした手応えがあり、切り口が明確なため頭の中で思想が整理しやすい。
「ウィトゲンシュタイン」は、まだ最初しか読んでいません。
「道元」は8割がた読みました。
著者は「住光子」というはじめて名前を聞く研究者(専門は日本倫理思想史)ですが、なかなかいいセンスをしてます(私が言うのもかなり生意気ですが・・・)。
文章のテンポがいいのか、まったく疲れずに読めます。
それとも道元禅師の言語哲学に対する私の読解力がついてきたということか。
もちろん頭の中の理解は、しょせん分別知に過ぎないわけで、これを読んで分かった気になってはいけません。
また、解説書を読んでその哲学者の思想を把握できたと思うことも早計でしょう。
やはりいつかは原典に当たるべきだと思います。
ハイデッガーは学生時代に選択の哲学の授業で、その代表的著書『存在と時間』を講読していました。
すでに思想内容は、ほぼ忘れていますが・・・
「現存在」、「世界―内―存在」とか、はじめはチンプンカンプンだった独特の哲学用語が読解をしていくに従いだんだんと輪郭を帯びてくる。
そんなことに妙な高揚感を覚えました。
また、「存在」するという、当たり前(自明)すぎる事実を、こんなにも深く考えられるのかと感動したものでした。
ほかにも、ここに挙げられている哲学者の中で思い入れがあるのは、アウグスティヌス、ニーチェ、フッサール、メルロ=ポンティでしょうか。
学生時代は、アウグスティヌスの『告白』を読んでは感動して人知れず涙を流し、ニーチェ、フッサール、メルロ=ポンティを少々齧っては「わかんねぇ~」と一人悶々としておりました。
暗い?
いえ、普通に授業サボって、バイトと部活とマージャン(超カモ)に明け暮れるそのへんの大学生でしたが・・・。
しかし学生時代ってのは金はなくても、それこそいくらでも本が読める時間があって幸せでしたね。
ベルクソンは思想的にはかなり特異な存在で昔から興味があります。時間と経験ということに焦点を当てた思想ではないでしょうか。
プラトン、アリストは、哲学を学ぶ者は当然古典としてしっかり抑えておくべきでしょう。
スピノザの「汎神論」、ライプニッツの「モナド」も、神と自己と世界の関係を独自に捉えた思想で興味深い。
カントのおっさんは、中島義道氏の本を読んで以来興味がわきました。
クリプキ、デイヴィッドソンは、分析哲学の流れで、言語の意味論を展開しています。分別知生成の瞬間を捉えるためにも、彼らの思想も抑えておくに越したことはないでしょう(ってお前に理解できるのか?・・・)。
西田博士は禅を学ぶ上では絶対避けられないだろうし。
共感も、批判も思想を学んだ上でなければできないのだ・・・。
ポストモダンの代表選手、デリダの思想は、道元禅師との比較研究なんかもされているし、これも押さえておくべき。
以上の理由で、これらを買い揃えた次第です。
本当に読みこなせるか分かりませんが、とりあえず来年の目標は、このシリーズを半分(8~9冊)は読破すること。
それと、なかなか進まない『正法眼蔵』の読みをコンスタントに継続すること。
西谷啓治の『宗教とは何か』、はじめ、ほかの著作を数冊読むことにしたいと思います。
できるかな・・・やればできる!
余談ですが、このシリーズの副題は購買欲をそそらせるフレーズばかりですね・・・。「憎いよこのっ」って感じですね。。。
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応援ありがとうございました!
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まず、「道元」と「ウィトゲンシュタイン」(ちなみに両者の思想の比較研究は私の卒論のテーマ)を試しに購入したのですが、入門書とは言えしっかりとした手応えがあり、切り口が明確なため頭の中で思想が整理しやすい。
「ウィトゲンシュタイン」は、まだ最初しか読んでいません。
「道元」は8割がた読みました。
著者は「住光子」というはじめて名前を聞く研究者(専門は日本倫理思想史)ですが、なかなかいいセンスをしてます(私が言うのもかなり生意気ですが・・・)。
文章のテンポがいいのか、まったく疲れずに読めます。
それとも道元禅師の言語哲学に対する私の読解力がついてきたということか。
もちろん頭の中の理解は、しょせん分別知に過ぎないわけで、これを読んで分かった気になってはいけません。
また、解説書を読んでその哲学者の思想を把握できたと思うことも早計でしょう。
やはりいつかは原典に当たるべきだと思います。
ハイデッガーは学生時代に選択の哲学の授業で、その代表的著書『存在と時間』を講読していました。
すでに思想内容は、ほぼ忘れていますが・・・
「現存在」、「世界―内―存在」とか、はじめはチンプンカンプンだった独特の哲学用語が読解をしていくに従いだんだんと輪郭を帯びてくる。
そんなことに妙な高揚感を覚えました。
また、「存在」するという、当たり前(自明)すぎる事実を、こんなにも深く考えられるのかと感動したものでした。
ほかにも、ここに挙げられている哲学者の中で思い入れがあるのは、アウグスティヌス、ニーチェ、フッサール、メルロ=ポンティでしょうか。
学生時代は、アウグスティヌスの『告白』を読んでは感動して人知れず涙を流し、ニーチェ、フッサール、メルロ=ポンティを少々齧っては「わかんねぇ~」と一人悶々としておりました。
暗い?
いえ、普通に授業サボって、バイトと部活とマージャン(超カモ)に明け暮れるそのへんの大学生でしたが・・・。
しかし学生時代ってのは金はなくても、それこそいくらでも本が読める時間があって幸せでしたね。
ベルクソンは思想的にはかなり特異な存在で昔から興味があります。時間と経験ということに焦点を当てた思想ではないでしょうか。
プラトン、アリストは、哲学を学ぶ者は当然古典としてしっかり抑えておくべきでしょう。
スピノザの「汎神論」、ライプニッツの「モナド」も、神と自己と世界の関係を独自に捉えた思想で興味深い。
カントのおっさんは、中島義道氏の本を読んで以来興味がわきました。
クリプキ、デイヴィッドソンは、分析哲学の流れで、言語の意味論を展開しています。分別知生成の瞬間を捉えるためにも、彼らの思想も抑えておくに越したことはないでしょう(ってお前に理解できるのか?・・・)。
西田博士は禅を学ぶ上では絶対避けられないだろうし。
共感も、批判も思想を学んだ上でなければできないのだ・・・。
ポストモダンの代表選手、デリダの思想は、道元禅師との比較研究なんかもされているし、これも押さえておくべき。
以上の理由で、これらを買い揃えた次第です。
本当に読みこなせるか分かりませんが、とりあえず来年の目標は、このシリーズを半分(8~9冊)は読破すること。
それと、なかなか進まない『正法眼蔵』の読みをコンスタントに継続すること。
西谷啓治の『宗教とは何か』、はじめ、ほかの著作を数冊読むことにしたいと思います。
できるかな・・・やればできる!
余談ですが、このシリーズの副題は購買欲をそそらせるフレーズばかりですね・・・。「憎いよこのっ」って感じですね。。。
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