一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

こ、こえが・・・

2006年07月24日 | 思い・日常
だいぶ熱は下がったようです。

ですが、声の出が半端なく悪くなりました・・・

隣寺の施餓鬼会までは、なんとか出たものの、帰宅したとたんに、出そうとしても細くかすれてしまい音声にならない。

いわゆる口パクに近い・・・。

施餓鬼の際に無理に声を出そうとしてしまったからかもしれません。

ここまで声が出ないのははじめてです。

かなり苦しいものがあります。

とりあえず、しばらく法事が入っていないので助かりました。

これで法事をやったら目も当てられません・・・。

つくづく健康管理の大切さを痛感しました。

とりあえず、病み上がり?まだ病んでる途中かもしれませんが・・・、これからあと50本塔婆を書かねばなりません。

祖山仕込みの根性&やせ我慢で頑張りまっす。


こんな状態でのブログの更新は半ば意地です・・・


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二通り

2006年07月22日 | 思い・日常
A・アインシュタインの言葉


「私たちの生き方は

二通りしかない。

奇跡など全く

起こらないかのように

生きるか、

すべてが

奇跡であるかのように

生きるかである。」


シンプルだが、グサリとくるいい言葉だ。

すべてが奇跡だと思えたとき、

すべてがかけがえがなく

すべてが有り難くなるのだろう。

そのとき世界はいっそう輝く。


できることなら常に後者を選択したいものだ。


夏風邪をひいてしまったようだ・・・。

少し喉が痛む。

節々もおかしな感じ。

それでも、朝よりはだいぶ楽になった。

喫煙していた頃だったら悪化していくところだが、

禁煙をしてかなり回復力が付いたようだ。

ちなみに風邪薬を飲むと経験上、声が出づらくなるので飲まない(副作用?)。

明日は葬儀だ。

明日の朝には治っているだろう、たぶん。


すべてが奇跡、すべてが奇跡、すべてが奇跡。

心の中でつぶやくと何やら少しづつ元気になってくるような気がする。

言葉の力は、はかりしれない。


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甘酸っぱい恋の味

2006年07月21日 | 音楽
ベスト~フィーチャリング・エリ
ラズベリーズ
東芝EMI

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その名も「ラズベリーズ」というバンド。

70年代アメリカのパワーポップ(というジャンルに分類される)。

青春の甘酸っぱい恋を感じさせるような曲の数々。

「なんだかせつねぇ~」って感じである。

分かりやすくて単純すぎると言えなくもない。

だが、こういうストレートな歌はジメジメした季節には丁度いい。

合わせて、これから夏に向けてのお勧めは、

個人的には「ビーチボーイズ」。

永遠の西海岸・・・イデアとしての・・・

・・・永遠の青春に対する憧憬。

サザンとともに夏の海岸沿いのドライブには欠かせない。


またこれから本堂にて残業。

頑張ろう。

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また・・・

2006年07月20日 | 思い・お寺の活動
またお葬儀が入りました。

こないだ二件続いたばかりなのに。

天候不順のせいもあるんでしょうか。

こればかりは予測が立てられません・・・

これから本腰を入れてお施餓鬼の塔婆書きをはじめようと思った矢先。

こりゃしばらく残業が続きそうです。

さすがにため息が出ますが、めげてもいられません。

頑張りまっす。

住職は体が資本。

体調管理には十分気をつけよう。


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今日は「お泊り」

2006年07月19日 | 思い・子どもたち
今日は通称「お泊り」。

年長さんの一泊二日の宿泊保育。

夕飯には子どもたちと作ったカレーを食べ、キャンプファイヤー、肝試し、映画鑑賞、そして就寝。

いま75名の子どもたちは、すやすやと(中には豪快ないびきをかくつわものもいるが…)本堂で寝ています。

子どもたちの寝姿は、活動しているときの子どもたちとはまた違った可愛さがあります。

とても温かな優しい気持ちになる。

なかなか寝付けない子どもには添い寝をしてあげます。

人の子どもを真っ直ぐに愛することができる喜び。

幼稚園に携わらなければ味わえなかったことでしょう。

「calling」に謝謝。


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新宿歌舞伎町駆けこみ寺 解決できへんもんはない

2006年07月18日 | 
新宿歌舞伎町駆けこみ寺―解決できへんもんはない

角川春樹事務所

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玄秀盛氏という人、最近テレビでも知られているかもしれない。

NPO法人日本ソーシャル・マイノリティ協会代表。

まずその生い立ちについて。

在日朝鮮人として生まれ、想像を絶する劣悪極まりない家庭環境で育つ。

少年時代は、カツアゲ、シンナー、暴力、強姦まがい、悪の限りを犯す。

中学卒業後は、パチンコ屋、交渉人、土建斡旋業、金融業、等々28業種を経験、数々の事業を展開。

金の亡者となり、騙し、たかり、脅しなど・・・ヤクザも恐れるほどの悪業の数々を尽くし暴利を貪る。

だが、長じて、仏縁に恵まれ、比叡山の千日回峰行者、酒井雄哉大阿闍梨に出会い、教えを受けるようになる。

このことがきっかけとなり、それまでの、拝金主義、人を一切信用しない氏の生き方は、次第に転換されていく。

そして、2000年10月、白血病ウィルスキャリアであることが判明。

発症すると一年以内の命だと宣告される。

このできごとによって氏の生き方は決定的なコペルニクス的転回を果たす。

事業をすべて精算し、NPO法人日本ソーシャル・マイノリティ協会を設立。

徒手空拳で新宿歌舞伎町によろず相談の駆けこみ寺、新宿救護センターを開設し現在に至る。


玄氏の生い立ちの激しさには度肝を抜かれる。

これほど劣悪な生育環境もそうはないだろう・・・

ヤンソギル氏の小説『血と骨』にも引けをとらないおぞましさである。

悪の道を怒涛の如く疾走してきた彼。

仏縁に回り逢ったのを契機として、これまでの生き方を贖罪するかのごとく、徹底した利他行の生き方に目覚める。

悪の道を知り尽くしているだけに、新宿救護センターでの玄氏の問題解決の手腕には驚嘆するばかりだ。

DV、金銭トラブル、家出、家庭内暴力、ストーカー・・・等の問題。

疾風の如き迅速な行動力。

手段を選ばない救済措置。

まさに怖いものなし・・・。

この人の生き様はまさに鬼神のようである。

この本を読んでいると、自分は小さなことにクヨクヨし過ぎているような気がしてくる。

とにかくまず動け。

当たって砕けろ。

いま、この時、一瞬一瞬が勝負。

そんなメッセージが聞こえてくる。

玄氏の凄まじい生き方はとても真似できるものではないが、本書は何かに悩んでいる人にとっては多くの示唆を含んでいると思う。

恐らく、そんな悩みは玄氏にとっては何でもない「屁」のようなものなのだ。

確かに彼が過去に犯した悪の限りは、消しようのない卑劣な行為に違いない。

だが、現在の彼の生き方は人を救うために働くことをやめない「菩薩」そのものだ。

人間が「ご縁」と「志」次第でここまで変わりうるという、ひとつの優れた例だと思う。

この本を読むと、自分の環境や境遇に対して甘いことは言えなくなる。

ご一読を勧める、ズバリ熱い本である。

余談だが、学生時代、酒井雄哉大阿闍梨のノンフィクション『生き仏になった落ちこぼれ』を読んで、深い感銘を受けたのを思い出す。
酒井師は、あの過酷極まる千日回峰行を二回も満行された行者。
宗旨は違っても深く尊敬している仏教者の一人だ。
お会いしたことはないが、写真を観るととてもにこやかで優しそうな方である。
己を捨てきって利他行に生きる酒井師の姿が、玄氏の回心の種となり程なくして芽吹いたに違いない。
酒井師と玄氏の感応道交が現成したのだ。
他宗からは千日回峰行は苦行であり、仏教の修行ではないと批判される向きもあろうが、私は個人的に強烈に憧れる。
もし生まれ変わったなら、いつか一度は行じてみたい。
今生では根性がないので絶対に無理である。。。(現実問題、宗旨も違うし…言い訳)


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火葬場コミュニケーション

2006年07月17日 | 思い・お寺の活動
7月13日に、二人の方が亡くなって、14日から葬儀が二件続き。

先ほど二件目の葬儀(なんと百二歳のおばあさん)が終わり帰って来たところだ。

さて、私は、通夜振る舞いの席と同様、火葬場におけるコミュニケーションを大事にしたいと思っている。

荼毘に付してから、お骨が上がるまでの約1時間。

檀家さんとより親密になるチャンスである。

われながら聞き上手の方だと思う。

好奇心も旺盛だからいろんなことを聞き出してしまう。

人に歴史あり。

どんな人の人生にも語るに値するドラマがある。

突っ込んだことを話すとお互いの親密度が増す。

これが私にとっては心地よい。

相手にとってもさほど不快ではないと思う。

概して人は自分に興味をもってもらうことが嫌いではない。

これからも聞き出し力を発揮していこうと思う。

ただし失礼のない範囲で。。。気をつけたい。


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怒り

2006年07月16日 | 思い・日常
周囲からは穏やかな性格に思われることが多い。

ソフトな雰囲気があるということだ。

基本的には穏やかなのかな・・・。

自分で自分のことがよく分からない。

実は、かなり激しい性格なんじゃないかと思うこともあるし・・・

実際、熱くなる(怒るという意味だけでなく)頻度が平均より高い気がする。

アメリカのジャンポルスキーというセラピストは、人間の感情は大きく二つに分けられると言う。

「愛」と「恐れ」。

したがって激しい感情も「愛」と「恐れ」、どちらに由来するかが分かれるのだろう。

「怒り」だって、「愛」からくるものがある。

例えば不動明王の怒りは「愛(慈悲)」である。

「怒り」を感じたときは、私の真心に問うとしよう。

それが、「愛」によるものか、「恐れ」によるものか。

だが、できれば優しく微笑んでいたいものだ。

愛による怒りであっても、それはあくまで非常手段なのだから。


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散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道

2006年07月15日 | 
散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道

新潮社

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硫黄島の激戦。

総指揮官は栗林忠道中将。

5日で陥落すると米軍に予測された硫黄島であったが、

上陸した米軍のその予想は大きく裏切られることとなった。

36日間の死闘。

両国ともに多くの死傷者を出した。

栗林は、安易な万歳突撃を厳しく禁止し、米軍の被害を増大させるための緻密な計画を立て地下壕を張り巡らし、徹底的なゲリラ抗戦を展開させる。

当時の精神主義的傾向に陥りやすかった職業軍人とは一線を画した、極めてリアリスティックで開明的な軍人であった。

しかも彼は当時の軍人としては珍しいアメリカ留学組で、かの国の強大な国力を熟知していた。

勇猛な海兵隊を震え上がらせ、敵将に敬服の念すら起こさせた人。

敵将ブラッドリーに「アメリカでもっとも怖れられたがゆえに、もっとも尊敬された男」と言わしめた。

とは言え、栗林は「名将」という言葉ではとても括れないほどの人間的な深みがある・・・。

つねに兵卒とともにあり、自らに対する特別扱いを許さなかった。

衣食住すべてにわたる公平を求めた。

部下の痛みはそのまま彼自身の痛みだった。

細やかな気配り。

だからこそ、部下たちは「この人のためなら」と勇敢に戦ったのだろう。

そして家族に対する愛情のこもった書簡。

日本にはこんな軍人がいたのだ・・・

いやこんなにも美しい日本人がいたのだ・・・

私はそのことに愕然とした・・・


<栗林中将の最後の電文>

戦局、最後の関頭に直面せり。敵来攻以来、麾下(きか)将兵の敢闘は真(まこと)に鬼神を哭(な)かしむるものあり。特に想像を越えたる物量を以ってする陸海空よりの攻撃に対し、宛然(えんぜん)徒手空拳を以って克(よ)く健闘を続けたるは、小職自ら聊(いささ)か悦びとする所なり。・・・(後略)

「真(まこと)に鬼神を哭かしむるものあり」という言葉に表された栗林の断腸の思い。

そしてさらに決別電報には、栗林の辞世の句が三首添えられていた。

その中の一首目。

国の為重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき

しかし、この首の末語の「散るぞ悲しき」は、当時の新聞では「散るぞ口惜し」に変えられてしまう・・・。

「悲しき」という言葉を大本営は看過することができなかったのだろう。

国運を懸けた戦局に「悲しい」という感情はタブーであった。

しかし、栗林はあえて「悲しき」と言った。

それは、無念にも死んでいった将兵たちの本心を代弁していたに違いない。

抵抗するすべもなく散ってゆくのがあまりにも無念で悲しい・・・そんな想いがこの首に込められている。


平成6年に初めて硫黄島を訪れた天皇はこう詠じた。

精魂を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき

本書でも述べられているように、最後の「悲しき」が栗林の首と同じなのは偶然ではあるまい。

天皇は、栗林以下2万人の将兵の魂の叫びを汲み取ったのだ。

「精魂を込め戦ひし人」

彼らの犠牲の上に、現在の私たちの暮らしがあり、今日の日本の平和があることを、私たちは決して忘れてはならない。決して・・・。

硫黄島で戦った栗林中将以下多くの無名の兵士が私たちの先祖であることを誇りに思う。


<追 記>

本書は圧倒的な評価で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したとのこと。
全般に、主観的感情は抑えられており、客観的な取材に基づきながらむしろ淡々と述べられている。
だがそのことで、余計に虚飾や脚色のない、人間、栗林の強く美しい生き様が浮き彫りにされているように感じる。

誰しも涙を流さずにはおれないだろう。

戦争は決して美化されうるものではないが、栗林はあの時代において取りえた最善の生き方を見事に全うしたのだと思う。

この人の子孫である私たちには一体何ができるのだろうか・・・



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