一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

終わった・・・先代へのオマージュと六年間の思い

2006年07月02日 | 禅・仏教
無事に先代の七回忌が終わった。

心底よりホッとしている。

師匠が亡くなり、住職になって六年が経った。

思い起こせば平成12年7月9日、あんなに元気だった先代師匠が急逝。

突然私は27歳でお寺と幼稚園、ふたつの屋台骨を背負うことになったのだ。


完全に在家(一般家庭)出身の私は、永平寺修行中、ある役寮(本山管理職)さんに声を掛けていただき、今の寺のご縁を得た。

そして本山の修行を終えてから、先代とは二年余り生活をともにした。

とても長く感じられた二年間。

毎日、怒声、罵声を浴びない日はなかった。

優しい言葉をかけてもらった記憶がない・・・

先代はまさに癇癪玉の塊のような人であった。

客観的に公平な眼で見ても、とても人間的に円満とは言えないし、バランス感覚のある人ではなかったが、

その強靭な精神力は晩年に至ってもなお、つねにマグマのように激しく沸騰していた。

そんな先代も思いのほかあっけなく逝ってしまい、それまで作務ばかりやってきて、なにも運営的な引継ぎを受けなかった私は、まったくのゼロからのスタート。

お寺に残っていた一億に近いお金もすべて先代の遺族に渡して、金銭面においてもゼロからのスタートだった。

それこそまったくの暗闇・・・

当初何をどうしたらいいのかも分からなかった。

お寺のこと、幼稚園のこと。

まったくの白紙。。。

住職と園長という立場の重みに負け、半ばノイローゼ気味になったこともある・・・

だが、今ここで動けるのは自分しかいない。

自分がここで動かなかったら、寺と幼稚園は路頭に迷うかもしれない。

どこの馬の骨とも知らない輩が入って好き勝手されるかもしれない。

そんな思いが、負けそうになる自分を突き動かした。

とにかく逃げられなかった。

やるしかなかったのだ。

はじめの一年間は姉と二人きりで頑張った。

それこそ一年間、休みなんて一日たりともなかった気がする。

だから、当時、ともに頑張ってくれた姉には今でも胸中では深く感謝している。

彼女は昔の戦友だ。

とりわけ、はじめの一年間のプレッシャーはそうとうなものがあった。

幼稚園の方も、ADHD児童の問題、完全週休二日制への移行の問題など、さまざまな問題が噴出していた。

また寺の方では先代名義の土地の問題をめぐって、毎月のように役員会を開いて協議を重ねていた。

遺族の方との利害が絡む問題だけに、心身ともに激しく疲弊した。

二年目からは、埼玉の両親がこちらに移り住んで全面的に手伝ってくれた。

姉もめでたくこちらでご縁があって優しい方と結婚をした。

そんなこんなで無我夢中のまま、あっという間に六年の歳月が過ぎてしまった気がする。

住職、園長、いい加減慣れてもいいはずだが、これがなかなか慣れない。

いまだに、暗中模索、五里霧中であることは変わらない。

ま、多少は視界がクリアになったが。


さて、先代はそんな私をどうみているだろうか。

住職として、戦後火災で全焼した寺を復興しさらに発展させ、某国立大の図書館長を経て、某私大で教鞭を執り、長じて亡くなるまで幼稚園の園長を勤める。

一方で生涯にわたるライフワークであった正法眼蔵の書誌学的研究を完結させる。

きっと、「お前なんぞわしの百分の一にも及ばないわ」、とのたまっているに違いない。

誠にごもっともである。

あなたはやっぱりすごかった。

とてもかなう相手ではない。

まさに「根性」、「気骨」の人と言っていいと思う。


だが、同じ真似はできなくても、私にできる何かがあるはずだ。

だから、法灯はあなたから私に受け継がれたのだと思いたい。


心配された天気だったが、法要が始まった途端に見事に晴れ間になった。

もっとも、随喜ご寺院の中には、雨が降って墓前のお経が内献(身内のみで法要をすること)になることを期待していた向きもあったかもしれない・・・

冗談はさておき、

この天気は先代が気合いを入れたから晴れになったのかもしれない、

いや、これまでなんとかやってきた私への先代からのご褒美なのかもしれない、

そんなイメージが胸中を去来していた。


先代の生前、あまりにも理不尽な締め付けに嫌気が差して、「ここにいても意味がないから寺を出ます」と言ったことがあった・・・。

そのとき先代は柄にもなく、少し困ったように、ポツリと「わしはお前に期待しているのに・・・」と言った。

そのことが忘れられない。

今となっては本当に申し訳ないことを言ったと思う。

そのとき私は卑怯にも相手の足元を見ていた・・・。


「期待している」

その言葉の真偽のほどは分からない。

そこには、寺の後継を逃すまいとする、焦りの心情があったのかもしれない。

期待していただくほどの器ではないのは分かっている。

だから、どうか見守っていてください。

一生かけて、この寺に私らしい華を咲かせて見せます。


すったもんだも多々あったがなんとかこれまでやってこられた。

私が出会ったすべての縁に感謝したい。

それが順縁であれ、逆縁であれ。

すべては有り難き仏縁。

南無釈迦牟尼仏。

南無観世音菩薩。

南無三世諸仏。

以上、七回忌を迎えた述懐である。




<追 記>

先代住職であった、私の師匠については、これまでもいつか文章にまとめたいと思っていましたが、先代に対しては一筋縄ではいかない複雑な思いもあり、これまでなかなか言葉にできないでおりました。
ですが、この度七回忌を迎えるに当たり、取り留めのない文章になってしまいましたが、このような形でなんとか表現することができました。

今となっては、先代住職に対して憎しみの感情は全くありません。
ですが生前は抑えようにも抑えがたい突発的な憎悪を感じることもありました。

生前中も、亡くなってからも、先代は私に法を説き続けているような気がします。

基本的に他人には冷徹で人情味にも欠けるところがあり、欠点も多くある人でしたが、よいところも悪いところも、その生き様すべてが今でも私に多くの示唆を与えてくれています。

やはり師匠は偉大です。

師匠のおかげで今の私がある。

その恩を忘れずにいようと思います。

少しでもその恩に報いて生きようと思います。

毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身

この経文が心に浮かびました。


これまで拙文を読んでくださった方、長々お付き合いくださいましてありがとうございました。

※↓よかったら一日ワンクリックして応援してください!

にほんブログ村 哲学ブログへ

応援ありがとうございました!