一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

我等が行持に依りて、諸仏の行持見成し、諸仏の大道通達するなり。

2006年07月09日 | 禅・仏教
表題は、道元禅師『正法眼蔵 行持巻』の言葉である。

<意訳>
「私たちの行持(行い保つこと)によって、諸仏の行持があらわれ、諸仏の成就せられた大道が実現するのである。」


では「行持」とは何か。

それは仏祖の行履そのもの、「只管打坐(しかんたざ)」にほかならない。

この只管打坐は、形象としての坐禅に留まらない。

行住坐臥、いついかなる時も工夫次第で只管打坐となる。

只管打坐とならない時はない。


この行持は尽十方世界、全宇宙を窮め尽くしあらわさずにはおれない。

そのとき私たちの行持は諸仏の行持であり、それ以外に諸仏の行持はあらわれないのだ。

行持とは、究極の意味体験。

言語を絶した「仏行」そのもの。

「仏行」を行持している自己に外部はない。

過去・現在・未来の間断なき道環である。

十方三世一切仏。


<追記>

「行持」とはかくも難しいのだ・・・

光陰矢の如し。

諸仏の行持をまねぶ努力を怠ってはならない。

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