一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

ブログタイトル「一顆明珠」への思い

2005年12月22日 | 禅・仏教
「一顆明珠」(いっかみょうじゅ)

なんて美しい言葉だろうか・・・。

尽十方世界、是一顆明珠(じんじっぽうせかい、これいっかのみょうじゅ)。

時空を超えた全宇宙(コスモス)は、一つの透明な光り輝く珠。

唐の禅僧、玄沙師備が言語化し、道元禅師が「正法眼蔵」で説いた。


私も一顆明珠。

あなたも一顆明珠。

天地自然、生きとし生けるもの、

無限の過去、果てることのない未来、永遠を包括した「今」、「ここ」、

迷い、覚り、

明るさ、暗さ、すべてが一顆明珠。

一つの透明な光り輝く珠。

全宇宙すべてが一顆明珠。


一顆明珠は一顆であって、増えも減りもしない。生まれも滅びもしない。

全宇宙、すべてはひとつにつながっているのだ。

他者は自己であり、自己は他者である。いや、究極、自他はない。

無境界。

わたしの外に一顆明珠があるのではない。

わたし(宇宙)は常に一顆明珠であり、離れようにも離れられないのだ。

私と宇宙は一体、一顆明珠である。


一顆明珠は会得しようにも会得できない。

それは対象ではないから。

「全宇宙、それ」そのもの。

透明であるが故に、それは無碍であり、捉えることなどできない。

しかし、会得できないところを、分別知の働きを乗り越え、般若の智慧を具備し、全身心をもって、顕現してゆきたい。

随処に主宰とならんことを願う。

そう、いつか必ず。

そんな願いを込めてブログタイトルにした。

身の丈に合わない大それたタイトルである。

だが、未熟な自分もまた一顆明珠であるのだ。

「道元のコスモロジー」(岡野守也著 大宝輪閣)、本書と出会って、この言葉の深さと美しさに心が揺さぶられるような感動を覚えた。

岡野先生に心の底から、「有り難う!」と言いたい!!!

面と向かっては照れ臭くて言えない・・・(笑)

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2 コメント

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コメントありがとうございます。 (りょう)
2005-12-23 21:44:52
>tenjin95さん

わたしは「一顆明珠」を人生の公案にしようと、大それた志を持っています。

確かに、玄沙禅師は石につまずき、ずっこけたときの痛みで悟られたわけですよね。古来、禅者の悟りのエピソードっていろいろで面白いです。



私も、「うっ~…ったく、痛て~じゃね~か」などと悪態をつくだけかもしれません(笑)

中国の禅者は、スケールがでかくて、かっこよ過ぎます。

ああだこうだ批判する学者もいるようですが、彼らを否定されちゃうと、じゃ~禅ってなんだ???ってことになってしまいますよね。いいものはいいのです。なんて・・・。
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失礼いたします。 (tenjin95)
2005-12-22 22:00:59
> 管理人様



一顆明珠、確かに美しい言葉ですね。

『正法眼蔵』での展開は、いきなり玄沙禅師が足を躓いて自省するという、ちょっとしたギャグになっているあたりが笑えるのですけれども(笑)



しかし、我々であれば足を躓いても、ただ悪態を付くだけかもしれませんが、さすがは玄沙禅師。古来の禅者は、やはりどこか我々とは考え方が違うのかもしれません。
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