何気なくマルクス・アウレリウスの自省録(岩波文庫)を開いたらこんな言葉がありました。
七―十六
変化を恐れる者があるのか。しかし変化なくして何が生じえようぞ。宇宙の自然にとってこれより愛すべく親しみやすいものがあろうか。君自身だって、木がある変化を経なかったらば、熱い湯にひとつ入れるだろうか。もし食物が変化を経なかったならば、自分を養うことができるだろうか。そのほか必要な事柄のうち何が変化なしに果たされえようか、君自身の変化も同様なことで、宇宙の自然にとっても同様に必要であるのがわからないのか。
この言葉を一言で要約すれば、「変化はコスモス(宇宙)の本質である」、と言えるでしょうか。
私自身の変化もまた、コスモスの自然な進化であるということ。
だから、変わることを恐れる必要は何もないのだと、哲人皇帝アウレリウスは自らに言い聞かせています。
私たちはしばしば、自己成長の機会だとどこかで分かっているにもかかわらず、変化を恐れ躊躇してしまうことがあります。
そこには、ひとまず安全圏の現状を維持したいという思いが働いています。
さらには、現状維持のままでは事態が悪化すると予見しているような時でさえ、それに固執してしまうことがあります。
それは、自己を取り巻く環境のみならず、思考、信念、思想、信条・・・自分にまつわるすべての事柄において、です。
どれだけしがみついても森羅万象は私の思いとは関係なく絶えず変化流動しています。
それがコスモス(宇宙)の本質。
ならば、変化を恐れずに、つねに自分にとってベターな変化に随っていくことが、コスモスの真っ当な進化の流れに乗ることになるのでしょう。
その妙術は坐禅にあると考えます。
只管打坐あるのみ。
と言っても、私の場合、たかだか1日30分の坐禅ですが・・・
されど、坐禅は坐禅です。
その坐禅を、日々の行住坐臥に行き渡らせることが肝要だと思っています。
<Wikiペディア 引用>
マルクス・アウレリウス・アントニヌス(Marcus Aurelius Antoninus, 121年4月26日 - 180年3月17日)はローマ帝国の皇帝で、五賢帝の一人。アントニヌス・ピウスの養子で、中国の史書『後漢書』の「安敦」の記述はアウレリウス帝を指すと云われている。
アントニヌス・ピウスの娘と結婚し、ハドリアヌス帝がピウスを養子にした際にマルクスもピウスの養子となる。ルキウス・ウェルスとの共同統治の後に単独皇帝となる。ゲルマン人などの蛮族の侵入(マルコマンニ戦争)やシリア属州におけるパルティアの攻撃など数々の難問に対処し、自身も遠征先の陣中で没。それまでの五賢帝の慣習を破り実子のコンモドゥスを後継者とし、五賢帝時代は終わった(とはいえ五賢帝の他の皇帝が実子を後継者としなかったのは、単に「法律婚に基づく」実子がなかっただけにすぎない、との説もある)。
一方、日々の思索と哲学を記した『自省録』と呼ばれる著書を遺している。哲人皇帝とも呼ばれ、ストア派後期の代表的人物に数えられるが、その思想は後期ストア派に顕著な折衷主義でもある。ストア派の克己主義に立ち、キリスト教を迷信として退けた。帝国の安定を図るため、当時すでに衰えていた伝統の神々の祭祀を復興して、帝国の精神的紐帯とすることを図った。このため多神教の礼拝を拒んだキリスト教徒を帝国の安定を危うくするとして迫害した。
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七―十六
変化を恐れる者があるのか。しかし変化なくして何が生じえようぞ。宇宙の自然にとってこれより愛すべく親しみやすいものがあろうか。君自身だって、木がある変化を経なかったらば、熱い湯にひとつ入れるだろうか。もし食物が変化を経なかったならば、自分を養うことができるだろうか。そのほか必要な事柄のうち何が変化なしに果たされえようか、君自身の変化も同様なことで、宇宙の自然にとっても同様に必要であるのがわからないのか。
この言葉を一言で要約すれば、「変化はコスモス(宇宙)の本質である」、と言えるでしょうか。
私自身の変化もまた、コスモスの自然な進化であるということ。
だから、変わることを恐れる必要は何もないのだと、哲人皇帝アウレリウスは自らに言い聞かせています。
私たちはしばしば、自己成長の機会だとどこかで分かっているにもかかわらず、変化を恐れ躊躇してしまうことがあります。
そこには、ひとまず安全圏の現状を維持したいという思いが働いています。
さらには、現状維持のままでは事態が悪化すると予見しているような時でさえ、それに固執してしまうことがあります。
それは、自己を取り巻く環境のみならず、思考、信念、思想、信条・・・自分にまつわるすべての事柄において、です。
どれだけしがみついても森羅万象は私の思いとは関係なく絶えず変化流動しています。
それがコスモス(宇宙)の本質。
ならば、変化を恐れずに、つねに自分にとってベターな変化に随っていくことが、コスモスの真っ当な進化の流れに乗ることになるのでしょう。
その妙術は坐禅にあると考えます。
只管打坐あるのみ。
と言っても、私の場合、たかだか1日30分の坐禅ですが・・・
されど、坐禅は坐禅です。
その坐禅を、日々の行住坐臥に行き渡らせることが肝要だと思っています。
<Wikiペディア 引用>
マルクス・アウレリウス・アントニヌス(Marcus Aurelius Antoninus, 121年4月26日 - 180年3月17日)はローマ帝国の皇帝で、五賢帝の一人。アントニヌス・ピウスの養子で、中国の史書『後漢書』の「安敦」の記述はアウレリウス帝を指すと云われている。
アントニヌス・ピウスの娘と結婚し、ハドリアヌス帝がピウスを養子にした際にマルクスもピウスの養子となる。ルキウス・ウェルスとの共同統治の後に単独皇帝となる。ゲルマン人などの蛮族の侵入(マルコマンニ戦争)やシリア属州におけるパルティアの攻撃など数々の難問に対処し、自身も遠征先の陣中で没。それまでの五賢帝の慣習を破り実子のコンモドゥスを後継者とし、五賢帝時代は終わった(とはいえ五賢帝の他の皇帝が実子を後継者としなかったのは、単に「法律婚に基づく」実子がなかっただけにすぎない、との説もある)。
一方、日々の思索と哲学を記した『自省録』と呼ばれる著書を遺している。哲人皇帝とも呼ばれ、ストア派後期の代表的人物に数えられるが、その思想は後期ストア派に顕著な折衷主義でもある。ストア派の克己主義に立ち、キリスト教を迷信として退けた。帝国の安定を図るため、当時すでに衰えていた伝統の神々の祭祀を復興して、帝国の精神的紐帯とすることを図った。このため多神教の礼拝を拒んだキリスト教徒を帝国の安定を危うくするとして迫害した。
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