道元禅師(以下敬称略)が24歳の時に宋に渡り、天童寺に滞在されていた時のできごとです(この時はまだ如浄禅師とは相見していません)。
真夏のある日のこと、昼過ぎに道元が廊下を歩いていると、年をとった用(ゆう)という名の典座(てんぞ…台所係の僧のこと)が太陽の照りつける中で岩海苔(椎茸など諸説あり※1)を干していた。
その時の様子を道元はこう描写しています。
「手に竹杖を携えて頭に片笠なし。天日地甎(ちせん)(敷瓦)を熱し、熱汗流れて徘徊すれども、力を励まして苔を晒す。やや苦辛を見る。背骨弓のごとく。龍眉鶴に似たり」。
文章から、身を焦がすような炎天下で、腰を弓のように曲げ、杖を突きつきヨタヨタと作業をしている老典座の姿が想像されます。
ではまた、できごとの記述に戻りましょう。
道元が、老僧に年齢を尋ねると「68歳」という返事。
道元は、「そんな仕事は若い修行者にやらせればいいのに、なぜそうなさらないのですか」と聞いた。
老僧は「他は是れ吾にあらず(他人は私ではないからだ→他人のやったことは自分がしたことにはならないからだ)」と答えた。
そこで道元は、「あなたのやっていることは確かに法にかなっていて、実に立派だと思いますが、どうして、こんな炎天下にやる必要があるのですか」と聞いた。
すると老僧は即座に答えた。
「さらにいずれの時をか待たん(今やらないでいったいいつやる時があるのか)」。
道元は言葉に詰まったと言う。
このできごとを二つの観点から述べてみたいと思います。
一つには、「いま・ここ・自己」の修行をおいて、ほかに修行はないということです。
道元にしたら「こんな大変なことは、何もあなたのような老僧がしなくてもいいでしょう」と、老僧の体を思いやって言ったのでしょう。
ですが、老僧にしてみれば修行は、「他は是れ吾にあらず」、「さらにいずれの時をか待たん」でしかない。
つまり、ここでまさに展開している修行は、「いま・ここ・自己」の他にどこにあるのか、「どこにもあるわけがない」ということだと思います。
質問した当初の道元は、時間を過去から現在、そして未来へと流れるものと捉えていたと思われます。
しかし、老僧にあっては、「今」の修行がそのまま全体であり、今をおいて過去も未来もない(過去も未来も包摂した今・この時)ということがその言葉によって示されているのではないでしょうか。
また、修行とは具体的自己から切り離された観念化可能な行いでも、他人でも代替可能な行でもないということだと思います。
「時間」・「場所」・「行」を、相対的に捉えた時点で、それは本当の修行ではなくなってしまう。
いきなり、下品なたとえで恐縮ですが・・・このことは「自分の「用」を他人が足すことはできない」ということと当たらずとも遠からずなのではないでしょうか(あくまでたとえです)。
さらにもう一つの観点は、「生活即修行、修行即生活」であるということです。
おそらく老典座に尋ねる前の道元は、どこかにまだ、肉体労働は正統の修行ではないという思いがあったのでしょう。
しかし、老典座の言動に、正統も傍系もない「修行そのもの」が立ち現れているのを目の当たりにして、思わず絶句してしまったに違いありません。
自己のあるべきように徹底して生きることの中に、修行が現成しているということ。
この機縁については、入宋した当初に出会った阿育王山の老典座の対話と重なります。
道元は二人の典座の出会いから、言わばダブルパンチの衝撃を受けて、修行とはかけがえのない「いま・ここ・自己」においてしか現成しないということを徹底して学び取ったのではないでしょうか。
「他は是れ吾にあらず⇔さらにいずれの時を待たん」。
ふたつの言葉は不離なので、こんなふうに結んでみました。
当たり前のことを言ってそうで、ともすると簡単に通り過ぎてしまいそうな言葉ですが、「いま・ここ・自己」の修行を通してしっかりと味わっていきたいと思います。
当たり前が難しいのだ・・・
↑ぜんさん※のブログで紹介されていたので、早速使ってみました♪(※書初めくん)
※1・・・老典座が干していた物について、従来は「椎茸」とされることが多かったのですが、ここでは一応海苔と解釈しました。
これについてはつらつら日暮しさんが学術的に述べられていますのでご参照ください。
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真夏のある日のこと、昼過ぎに道元が廊下を歩いていると、年をとった用(ゆう)という名の典座(てんぞ…台所係の僧のこと)が太陽の照りつける中で岩海苔(椎茸など諸説あり※1)を干していた。
その時の様子を道元はこう描写しています。
「手に竹杖を携えて頭に片笠なし。天日地甎(ちせん)(敷瓦)を熱し、熱汗流れて徘徊すれども、力を励まして苔を晒す。やや苦辛を見る。背骨弓のごとく。龍眉鶴に似たり」。
文章から、身を焦がすような炎天下で、腰を弓のように曲げ、杖を突きつきヨタヨタと作業をしている老典座の姿が想像されます。
ではまた、できごとの記述に戻りましょう。
道元が、老僧に年齢を尋ねると「68歳」という返事。
道元は、「そんな仕事は若い修行者にやらせればいいのに、なぜそうなさらないのですか」と聞いた。
老僧は「他は是れ吾にあらず(他人は私ではないからだ→他人のやったことは自分がしたことにはならないからだ)」と答えた。
そこで道元は、「あなたのやっていることは確かに法にかなっていて、実に立派だと思いますが、どうして、こんな炎天下にやる必要があるのですか」と聞いた。
すると老僧は即座に答えた。
「さらにいずれの時をか待たん(今やらないでいったいいつやる時があるのか)」。
道元は言葉に詰まったと言う。
このできごとを二つの観点から述べてみたいと思います。
一つには、「いま・ここ・自己」の修行をおいて、ほかに修行はないということです。
道元にしたら「こんな大変なことは、何もあなたのような老僧がしなくてもいいでしょう」と、老僧の体を思いやって言ったのでしょう。
ですが、老僧にしてみれば修行は、「他は是れ吾にあらず」、「さらにいずれの時をか待たん」でしかない。
つまり、ここでまさに展開している修行は、「いま・ここ・自己」の他にどこにあるのか、「どこにもあるわけがない」ということだと思います。
質問した当初の道元は、時間を過去から現在、そして未来へと流れるものと捉えていたと思われます。
しかし、老僧にあっては、「今」の修行がそのまま全体であり、今をおいて過去も未来もない(過去も未来も包摂した今・この時)ということがその言葉によって示されているのではないでしょうか。
また、修行とは具体的自己から切り離された観念化可能な行いでも、他人でも代替可能な行でもないということだと思います。
「時間」・「場所」・「行」を、相対的に捉えた時点で、それは本当の修行ではなくなってしまう。
いきなり、下品なたとえで恐縮ですが・・・このことは「自分の「用」を他人が足すことはできない」ということと当たらずとも遠からずなのではないでしょうか(あくまでたとえです)。
さらにもう一つの観点は、「生活即修行、修行即生活」であるということです。
おそらく老典座に尋ねる前の道元は、どこかにまだ、肉体労働は正統の修行ではないという思いがあったのでしょう。
しかし、老典座の言動に、正統も傍系もない「修行そのもの」が立ち現れているのを目の当たりにして、思わず絶句してしまったに違いありません。
自己のあるべきように徹底して生きることの中に、修行が現成しているということ。
この機縁については、入宋した当初に出会った阿育王山の老典座の対話と重なります。
道元は二人の典座の出会いから、言わばダブルパンチの衝撃を受けて、修行とはかけがえのない「いま・ここ・自己」においてしか現成しないということを徹底して学び取ったのではないでしょうか。
「他は是れ吾にあらず⇔さらにいずれの時を待たん」。
ふたつの言葉は不離なので、こんなふうに結んでみました。
当たり前のことを言ってそうで、ともすると簡単に通り過ぎてしまいそうな言葉ですが、「いま・ここ・自己」の修行を通してしっかりと味わっていきたいと思います。
当たり前が難しいのだ・・・
↑ぜんさん※のブログで紹介されていたので、早速使ってみました♪(※書初めくん)
※1・・・老典座が干していた物について、従来は「椎茸」とされることが多かったのですが、ここでは一応海苔と解釈しました。
これについてはつらつら日暮しさんが学術的に述べられていますのでご参照ください。
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