内山興正老師(略歴)の『興正法句詩抄』の中の詩を紹介します。
(※kamenoさんのブログ※から転載させていただきました。)
『生死』
手桶に水を汲むことによって
水が生じたのではない
天地一杯の水が
手桶に汲みとられたのだ
手桶の水を
大地に撒いてしまったからといって
水が無くなったのではない
天地一杯の水が
天地一杯のなかに
ばら撒かれたのだ
人は生まれることによって
生命を生じたのではない
天地一杯の生命が
私という思い固めのなかに
汲みとられたのである
人は死ぬことによって
生命が無くなるのではない
天地一杯の生命が
私という思い固めから
天地一杯のなかに
ばら撒かれるのだ
『天上大風』
私はこの詩から、良寛さんが凧などに好んで書いた「天上大風」という言葉を想起しました。
天上を吹き抜ける力強く爽やかな風。
そんな内山老師のお人柄を彷彿させるような詩です。
一生をかけて坐り抜いたご生涯。
天地一杯の生命。
現れ方は変わっても、天地一杯の命であることは変わらない。
天地一杯=尽十方界真実人体。
これに徹したとき生死にまつわる苦しみは越えられるのです。
内山老師の人生がそれを実証されています。
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応援ありがとうございました!
(※kamenoさんのブログ※から転載させていただきました。)
『生死』
手桶に水を汲むことによって
水が生じたのではない
天地一杯の水が
手桶に汲みとられたのだ
手桶の水を
大地に撒いてしまったからといって
水が無くなったのではない
天地一杯の水が
天地一杯のなかに
ばら撒かれたのだ
人は生まれることによって
生命を生じたのではない
天地一杯の生命が
私という思い固めのなかに
汲みとられたのである
人は死ぬことによって
生命が無くなるのではない
天地一杯の生命が
私という思い固めから
天地一杯のなかに
ばら撒かれるのだ
『天上大風』
私はこの詩から、良寛さんが凧などに好んで書いた「天上大風」という言葉を想起しました。
天上を吹き抜ける力強く爽やかな風。
そんな内山老師のお人柄を彷彿させるような詩です。
一生をかけて坐り抜いたご生涯。
天地一杯の生命。
現れ方は変わっても、天地一杯の命であることは変わらない。
天地一杯=尽十方界真実人体。
これに徹したとき生死にまつわる苦しみは越えられるのです。
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