一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

『正法眼蔵』読中の所感

2006年02月04日 | 禅・仏教
どうにかこうにか読み進めている、『正法眼蔵』(『現代語訳 正法眼蔵 全六巻 玉城康四郎著 大蔵出版』)ですが、1巻がもう少しで読了できそうです。
いま『山水経 巻』を読んでます。
2ヶ月に1冊のペースを目標にしているので、今のところいい感じで進んでいます。
戒めなければならないのは、ともすると玉城先生の現代語訳をだけ読んで、正法眼蔵の原文を読み飛ばしてしまいがちになること。
道元禅師に対する冒涜というより、なんだか反則のような気がします。分からなくてもなんでも、原文にもしっかりと当たらなければなりません。
凡夫代表のような私には、チンプンカンプン?なんじゃコリャ~?と思う文章に出会うこともしばしば。『即心是仏 巻』なんかはあまりの難解さに、読みながら笑ってしまいました。
それでも坐禅をした後に読む正法眼蔵はとりわけ心に沁み渡るようで味わい深く感じられます。
たまに難解な文章が言葉による分別知を超えて、スッとダイレクトに身心に入ってくるのです(もとい、ような感じがします)。
その内容を言語化できるほどの力量はありませんが・・・。
まさに「オッ!」って感じです。
私がこんなふうに正法眼蔵の学びを継続していること自体驚きですが、少しづつではあっても読みが深まっているようなこの感じが、モチベーションを維持させているのでしょう。
正法眼蔵を読んでいて感じるのは、比較的分かりやすい巻と、難解な巻があり、また、巻の文章の中でも、分かりやすかったり、いきなり難しくなったりするものがあるということ。
これは、道元禅師が仏の立場から仏の世界を、ギリギリの言語表現をもって開示しようとしたものと、凡夫の立場に下りてきて、そこから仏の世界に導くための方便として説いているものに分かれるからではないかと私には思われました。
当然、前者が難解な巻、後者が比較的分かりやすい巻になります。

また、これは凡夫の浅はかな選り好み、愚かな見解と言うべきか、正法眼蔵の中でも、どうしても好みが出てきてしまう。
私は、ちょっと他者批判が厳しいかな~っていう巻より、自然界の言葉を用いて美しい表現を駆使しながら、仏の世界をなんとか顕そうという道元禅師の気概が感じられる巻が好きです。また、優しい口調で私たちに語りかけるような巻も素敵です。

しかし、こんなにはまるとは思いませんでした。


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