MT.FORTUNE

Discover 奄美大島!

この花は?

2007-02-11 16:29:51 | 奄美-自然
Flower1_2日本全国、いや世界的に今年は暖冬ということで、北国では雪まつりの雪像が溶けるとか、寒いはずのニューヨークで半袖とか...。

でも昨日、今日と奄美大島は久々に最高気温が20度を切ってこの時期の「普通」の天気。20度を切り、風が強いともう寒くて寒くて...と、北の地方の方には笑われてしまいますねぇ。

さて、3回続けてガラにも無くお花ネタで。この花はなんでしょう?正解は...
わからないので教えて下さいっ。(すみません<(_ _)> )

(追記)早速コメント欄で教えていただきました!
「サイハイデイゴ」です。

采配(=昔、軍を率いる武将が部下の兵を指揮する時に使った道具)に似ているからついた名前だそうで...


緋寒桜を撮った本茶(ふんちゃ)峠に咲いていました。デイゴのようでデイゴでなし、いや、デイゴには仲間が多いからと一応検索してみたものの、どうもよくわからない。全然違う種類の花なのかも。

花とか鳥とか植物とか星とか...「生物・地学」にはとりわけ弱い私。(なら、「物理・化学」には強いのかとツッコまないで下さい ^^;;  )

なんとなーく、あざやかなこの色が、こんな時期に咲くような花には見えなかったような気がしただけで、異常気象の狂い咲き?などと思ってしまいましたが、思い過ごしかもしれません。

(これまた追記)mizumaさんのサイトによれば、例年3~5月くらいに咲く花だそうです。今年はやっぱり暖冬のせいか少し早いようですね。狂っているほどではないですが...

たくさん咲いていました...。

Flower3_1

Flower2_1








お花見シーズン、あと少し

2007-02-09 10:00:42 | 奄美-自然
Sakura1

昨日は、ひまわりを見た後、本茶峠へ行ってみた。この前行ったのは、1月15日
緋寒桜は、この前回の記事でも紹介した通り、同じ場所にある木でも、木によって花の咲く時期がずれる。

でも、さすがに3週間以上経って、本茶峠はもう見ごろは終わっていた。
特にここ数日4月のような陽気だったので、一気に咲いてしまったらしい。今週末、天気は崩れるようなので、それで終わってしまうかな...

いつも先に咲く木の多い峠の名瀬寄りは、完全に葉桜。

Sakura3_1 Sakura4_1

でも、龍郷町の方に行くに従い、まだ残っており、冒頭のような満開のもの少しは残っていた♪
花の時期も違うが、木のよって花の色やつき方も違う。面白いものだ。

Sakura7 Sakura8

Sakura2_1

さあ、こんな並木道を通って、ありこちで下車しては写真を撮っていると、次女にお弁当を持ってこなかったことをひどく叱られた。彼女は、外でのランチが大好きなのだ。

そうね、こんなに暖かいのだし、お昼はお外で食べましょう。

と、いうわけで、母の愛のこもった手作りのお弁当は無いけれど、そこはフットワークの軽さでカバー。
家へ戻る道すがら、おにぎり買って、お茶買って、名瀬・大熊の展望台へ。2月6日に夕陽を撮った場所だ。

Sakura6

「お母さん、こんなに暖かくって、海がきれいで、ここって南の島みたいだね~。」

「ここは南の島なのよ。」

「え?!!奄美って南の島なの???」

次女、この日一番の驚き...









2月のひまわり

2007-02-08 15:49:38 | 奄美-自然
Sunflower1

この時期の奄美にしては、珍しく好天が続いている。今日も22℃。
もっと暑い気がするなぁ...車はエアコンをON!
そして、青空にひまわり!
奄美では、瀬戸内町の節子集落の冬のひまわりが有名で、12月には新聞報道などでも見ていたが、名瀬にも植えてあるところがあった。

ひまわり、と言ってもここのは背丈は1mほどの小ぶりなもの。花も手のひらをいっぱに広げたくらいかな。
こっちを向いている写真を撮りたいのだが、柵の中にあって正面から撮れないのが残念...

2月-ひまわり...。
ヘンな組み合わせだが、2月-ハイビスカスもあるのだから、驚くことでもないのか。(ハイビスカスは一年中咲いている。)

実際、ひまわりは真夏の花のイメージがあるものの、寒さにもそれなりに強いらしい。そういえば、ヨーロッパなどは真夏でも昼と夜の温度差が激しく、夜間は10℃前後なんてところも多いが、そんなところにもひまわりはたくましく咲いている。ならば、冬の奄美でも、珍しいことではないのかもしれない。

Sunflower2

こちらのひまわり、ここ連日の暖かさのせいか、もう盛りは過ぎていた。
なんだか冬から春を通りこしてしまいそうな最近の奄美だ。


夕暮の名瀬港

2007-02-06 23:59:00 | 
07feb061

立春を過ぎて、暦の上では春。
「暦の上では春とはいえ...」寒いのが常だが、奄美は立春を過ぎてから、本当に春のような陽気の毎日だ。
今日も、おだやかな1日で、最高気温は21度。
夕方の名瀬港。この時刻でも、20度近くあり全然寒くなかった。
明日も暖かそう~

07feb062





『奄美の島々の楽しみ方』

2007-02-05 13:45:17 | 奄美-あれこれ
~明日 2月6日発売 配本開始~

     (追記)2月6日は配本開始だそうで、実際に
         書店に並ぶのには数日かかるとのことです。


(2月12日追記) 
もう全国の書店に並んでいます!
奄美も一部書店では並び始めました(12日以降のコメント欄をご覧下さい)


Cover

ニッポン 楽楽 島めぐり『奄美の島々の楽しみ方』(あまんゆ編、双葉社刊、本体1600円+税)が明日2月6日発売になります!
全国の書店で買えるそうですヨ。(追記)→もちろんオンラインショップでも!
私も買ってみようっと!
この本は、
奄美群島8島の魅力や飾らない素の姿を、紀行文やエッセイで伝える読み物ガイド。奄美の島々の歴史、文化、自然、暮らし、食べ物など、「いまの島」のさまざまな表情を伝え、奄美群島をめぐる旅の楽しみを広げます。


(本書公式ブログより。もっと詳しい本の内容は→こちら
だそうで、普通のガイドブックと違ってかなり読み応えがあり、面白そうだ♪

18名の方の39のエッセイから成っているそうで、執筆陣には、私がいつも拝見している奄美のブロガーの皆さんがずら~り!ブログにコメント下さることのある方も入っていて、なんだかとっても身近に感じてしまう。
(執筆者について詳しくは→こちら

この本の編者「あまんゆ」って何だろう?そもそも「あまんゆ」とは「奄美世」。奄美の歴史の中で、先史時代または先史時代から琉球に支配される前のグスク時代と呼ばれる時代の呼び方だそうだ。(→Wikipedia)
でも、今有名なのは、まず黒糖焼酎の「あまんゆ」。数ある黒糖焼酎の中でも、奄美諸島でしか販売されていないもの。
それから、瀬戸内の方には「グループあまんゆ」という地域の活動グループもあるらしい。
でも、これのどれでもないようなので「???」と思っていたら、ライター山川さらさんの主宰されている事務所だそうだ。
(あまんゆと山川さらさんについては→こちら

で、山川さらさんは、というと、こちら

Photo_7『ムンユスィ―魂のふるさと 奄美の素顔』という本を書かれた方。
この本も、普通の観光ガイドブックには書かれていないい、奄美の自然とそこに住む人々の暮らしについて綴られている。
「奄美=海と空の青いのんびりした南の島」というイメージしかない人(←かつての私^^;)は、根底からそのイメージを覆される。奄美ってどんなところ?と思う人にはとっても良い入門書だ。

多分今度の本もそのような流れの中の本なのではないかなぁと思っているのだが、どうでしょう。
早く見てみたいなぁ!

明日は久々に本屋さんに行ってみよう! 
(追記)奄美の皆さんはもうしばらく待たなくてはいけないようです。
(さらに追記)もう奄美にも出ています^^

※尚、この本の公式サイトもできていて、本には書けなかった情報や、島の最新情報などもアップされるそうです。私のブログの右サイドバー「奄美ブログ集」の中の「奄美の島々の楽しみ方」がそのサイトですので、どうぞ!



芸盛りだくさん!

2007-02-04 09:25:57 | 奄美-あれこれ
~郷友会にて~

いい加減、このシリーズも完結させないと...。

新年会は総会を兼ねているので、始まりはこの郷友会の予定や決算関係の報告。そして色々な方の挨拶の後、いよいよ新年会が始まった。
まずは、全員で合唱から。そして後は、芸のオンパレード♪

Gouyukaigeiいくつ演じられただろうか。
華やかな衣装の本格的な日舞の他、さまざまな踊りが次々と。おっとこちらは、空手の形のご披露だ。舞台かぶりつきの席だから、ビュッビュッと空を切る音もよく聞こえる。すごい~

そんな中、私もデビューを果たした。
三味線+島唄1曲ソロ。それから、師匠と並んで「島育ち」の演奏を。
唄なんて聴けたものではないのだが、こうなったらやぶれかぶれ。でも、事前にちゃんと自己紹介して、自分がよそ者で、この島に夫の転勤で来た経緯から、子供3人と奄美を楽しんでいること、そしてどれだけ三味線が素人かお断りして、開き直ってやってしまった。ふぅー。

正直言って、出番まで食事も味がしないほどドキドキしていたが、最初の方に出させていただいたので、終わってしまえばこっちのもの。あとは、お料理堪能、芸堪能。

芸はもう、2時間以上あっただろうか。次から次へと皆さんすごいのだが、大抵は踊り。演歌に乗っての見たこともない振り付けとか、童謡に乗った奄美風の踊り??とか。どれもすごく練習を積んでいらしたことがよくわかった。「うわぁ!」「うぉ~」と心の中で叫びながら見ていたが、後継者が現れるかは心配な...。

島唄+三味線ももちろんあった。ものすごく上手で、さっさと先に出ておいてよかったと心から思った。いつかあんなふうになりたいなぁ。そして、ちゃんと若者が引き継いでほしいなあ...。

後半は、お酒も入ったこともあり、みなさん席を動いて個々のテーブルを回って挨拶やらお酌やら。
師匠に挨拶がてら、私に声をかけて下さる方もたくさんいらした。

「三味線やって、島唄やって、これからはシマユムタ(島の方言)も勉強だね。あとは、ここで良い伴侶を見つけて、ずっと島にいなさいよ!」

誰も人の挨拶は聞いていない、ということがよくわかった...。

とにかく貴重な経験をさせていただいた「郷友会」。ありがとうございましたッ。


郷友会-敬老席で

2007-02-02 00:36:45 | 奄美-あれこれ
Gouyukai2_1さて、私の行った郷友会は、かなり大規模なもので、参加者の数は100名近くだったと思う。
結婚披露宴のように丸テーブルがたくさん並べられている。例年は、在名瀬地区のシマ出身の集まりなのだが、今年は合併して奄美市になった後の初の新年会ということでに、現在シマにお住いの方も呼んでの盛大な会となったそうだ。
会場は奄美市内のホテル。1月の週末には、あちこちのホテルで色々な集落の新年会があったらしい。ちょうど私の参加した郷友会のシマ(の周辺?)出身の議員さんも挨拶で、「先ほどまでは○○ホテルのxx集落の郷友会に行っておりました」。
議員さんともなると、あちこちハシゴでお忙しそうである。

参加者に若者はいない。
かくいう私も全然「若者」ではないのだが、そこに入ると一番の若輩者ではないかと思うほど。でももしかして、私より若い人も少しはいらしたのかな。なにせ、最前列のテーブルにいたので、よくわからない。

その最前列の二つのテーブルは、「敬老席」。75歳以上限定!
我がお師匠は、大正生まれなので、敬老席。先生の奥さんも敬老対象者だ。そして「知らない人の間に1人いるのもかわいそうだから」と、そのご夫婦の間に席を設けていただいた私。
舞台の目の前の特等席~

人生の先輩方を最前列にして大切にするなんていいなぁ...と、のんびり感心していたのも束の間。もちろん、その感心する気持ちは今も変わらないが、そんなところに自分が座っていては、全然落ち着かないのだ。

... 想像していただけるだろうか。
胸元に赤いリボンをつけた、75歳以上(推定平均年齢80歳?!)の方のみが、ぐるーっと座っているテーブルになぜか座っている私...。
他のテーブルはおしゃべりに花が咲いてずいぶん賑やかなのだが、敬老席の皆様はほとんど無言でじーっと座っていらっしゃる。だから、私もじーっと座っていた。

何人かが隣の先生に挨拶に来られ、その度に「こちらは?」「娘さん?」と私のことを尋ねられる。関係を聞き、皆さん「そうですか~」とにこやかに席に戻られるのだが、そのうち事情を知らない方が、「ここは敬老席よ!食べ物も違うんだし、こっちに来て。」と私に直接教えに来て下さった。

え?!食べ物も違う??...と、見みると、一般席は、大皿盛りなのに、こちらは一人ずつ小鉢に盛ったお料理がコースのように並んでいる。敬老席は、お食事も良いのだ? しかし、そんなことに喜んでいる場合ではない。
「先生、私あちらの席で大丈夫ですので...」
荷物をまとめて立ち上がったが、またまた先生が事情を話して私を留めて下さる。ああ、そんな私を見て、他の方々はどう思われているのだろう。

...というわけで、席につくなり、思い切り場の雰囲気から浮いている私。

そうしているうちに、会は始まった。
もうこうなったら、前の舞台だけ見て生きていくぞー!

                                 (つづく)
                             


郷友会とは...

2007-02-01 10:19:49 | 奄美-あれこれ
Gouyukai1月は、奄美市内のあちこちで「郷友会」(ごうゆうかい・きょうゆうかい)の新年会が開かれていたようだ。

奄美に来るまで知らなかった(←毎度こんなことばっかり)、「郷友会」。よく、都会に「○○県人会」というのがあるが、このコミュニティーが県という大きな枠でなく、もっと小さい地域になったのが郷友会。

先日、この郷友会の新年会に私も潜入!
な~んて、正確には、三味線の師匠に誘っていただいた。出席させていただいたのは、三味線の先生のシマの郷友会。

奄美は、集落のことをシマという。別に島(=アイランド)でなくても、山で隔てられて結局は海沿いでしか別の集落に行けなかったからだろうか。今なら車で半時間もあれば行ける師匠のシマも、昔は時間的・心理的にずいぶん遠いところであったに違いない。奄美は同じ島の中であっても、この集落であるシマごとに、言葉や文化も少しずつ違うということだ。

昨年3月に合併して「奄美市」となったが、その中核の名瀬地区(もとの名瀬市)は、奄美の中の大都会だ。
奄美が本土に復帰したのが昭和28年(1953)、そして本土復帰後の奄美振興策+昭和30年代から40年代にかけての高度成長期の開発、さらには大島紬ブームも重なって、島内各地からたくさんの人々が名瀬に集まってきた。

そして、地方の人が都会に出て故郷を懐かしみ「○○県人会」を作るのと同様、各シマから集まった人々はそれぞれの郷友会を作って時々故郷を懐かしむ。特に、八月踊りと呼ばれる旧暦の八月の豊年祭や、今回のような新年の集いなど、季節ごとにそれぞれのシマのやり方で唄ったり踊ったりするらしい。

そんな郷友会。そのイベントである新年会にも、普通なら当然そのシマの関係者しか参加しない。

三味線の先生が誘って下さった時も、「そんな、シマの人間でもない私が...」と、当然お断りした。が、先生が熱心に勧めて下さるうちに、「郷友会ってどんなのだろう?!こんなチャンスを逃したら覗いてみることはできないかも」という気持ちがむくむく湧いてきて、行ってみることにした。


                                   (つづく)