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Discover 奄美大島!

名越左源太の見た「幕末奄美の食と菓子」

2010-04-23 23:34:00 | 奄美-歴史
Sagenta
(←クリックすると、amazonに飛びます。皆さんシュワッチと飛んで下さい!)




わーい♪ ブログであれこれ教えていただいたご縁で、最近ではリアルなおつきあいをさせていただいている「左源太フリーク」bizaさんが、とうとう左源太さんのことを本にしてくれました!
→bizaさんのブログ「幕末奄美遠島生活

本の内容詳しくは、喜山さんが紹介して下さっています。→こちら

bizaさんご自身の本書に関するブログ記事→こちら

早速ご本拝見!って言っても、まだほやほやすぎて、最初の方めくっただけなんですけども。

いやー、名越左源太という幕末の薩摩藩のお家騒動で奄美に流されてきた武士を「左源太さん」と呼んで愛するbizaさん、本書でももちろん「名越左源太」は「左源太さん」と「さんづけ」です。(注:ハートマークはついていません)

そして、「左源太さん」と呼んで書き進める内容は、私のような歴史に疎い素人でもすごくわかりやすいです!!

です・ます調で書かれたやわらかい文体の本は、すぐ横にbizaさんがいて、解説しれくているような感じです。その上内容も、食と菓子ということで、とても身近です。

幕末の資料をもとにまとめた本、なんて聞くと、お堅い・難しいというイメージがわくかもしれませんが、めちゃめちゃやわらかくって易しい...というか、優しいです。

左源太さんの日記も、ここはブログでまとめてきた真骨頂、全て現代語訳で書かれているので、わっかりやすーい。

そして、これはbizaさんのお人柄、律儀に出典を全て巻末の注釈に記載されています。どれだけ膨大な資料を読まれてまてできあがったかわかりますねー。

ブログ記事で教えていただいたこと、コメント欄でお話したあれこれ。「ボウブラとトウツブロ」で盛り上がった(←私が勝手に)が懐かしい~
「そうだったそうだった」と思うこともあれば、すっかり忘れていたり、読み落としていたことなんかもあり「ほぉぉぉ!」ってのもあり。嬉しいなぁ~ ほーげっちゅさんもお喜びのはず...

表紙とタイトルだけ見たら、なんか難しそうな雰囲気がしないでもないですが。あー、そんなこと全然ないのにぃ...
この「ムズカシソウなフンイキ」は、南方新社さんの本にありがちなんですけども、ここは表紙も「左源太さん」な感じだったら、手に取りやすいかも。せめて字体を丸くするとか...(しかし、そんなんじゃ、専門の方が手にとらないからダメか...)

        

...だめだわ。この記事を書こうとパラパラとめくるたび、つい読みふけってしまいます。

明日は朝からうちで会合なので、片付けなくちゃ... うーん、先が読みたいよぅ。
我慢我慢...






薩摩侵攻400年の節目に思ったこと

2009-12-31 14:00:49 | 奄美-歴史
~薩摩侵攻400年? -終り- ~

今年は、奄美の歴史について、さまざまな催しや新聞連載など検証がありました。
それもこれも、薩摩侵攻400年の節目だったからだろうと思います。

今年がもう終わってしまう...
また専門家だけの世界に戻っちゃうのかなぁ。

今年がこの歴史検証の「始まり」であって、節目とともに終わらせてはいけないと思います。
薩摩侵攻401年目だって、引き続き発信してほしい...
奄美の歴史は、知れば知るほど面白いし、日本の歴史の中で担ってきた役割も小さくなかったということがわかってきました。

でも、普通島に関係ない人は、未だにそのことは全くわからない状態です。
...というか、島にいても、わからないです。この一年、私の周りで話題に上ることは、一度もありませんでした。

今後の課題は、どうやって一般の人に広めていくか、だと思いました。

いくら講演会等を設けても、そこに自ら足を運ぶ人というのはどうしても専門家に偏り勝ちです。自分も最後にシンポジウムに行ってみましたが(そしてそのことは、行って良かったとは思っているものの)敷居が高いし、時間的な問題もあって普通はできないと思いました。

座っていても、自動的に耳に入ってくる状態にする、というのが今後の課題ではないでしょうか?

講演会の類だけでなく、本も同じです。
最初から、薩摩侵攻や奄美の歴史を全面に押し出したものだと、手に取りにくいです。

●教科書のように、万人が強制的に目にするもの
●雑誌のように、他の情報とともに自然に目に入ってくるもの
●テレビ(それも全国放送)

これらに取り上げてもらう工夫が必要だと思います。
マスコミの取り上げ方というのは、片方からの見方に偏ったり、いい加減なこともありましょうが、まずは興味を持ってもらわないといけないのでは... 中孝介さんの取り組みなんて、すごくいいと思います。

鹿児島県として、もっと発信していくべきとも思います。
奄美の人は、鹿児島の人を個人的に恨んでいることはないでしょうが、県の奄美に関する情報発信の少なさは、やっぱり不自然と思われても仕方ないかも...。

例えば、県のホームページに、歴史についてまとめてあるところがあります。
  
が、考古学のところに宇宿遺跡がありますが、まだ研究途上だからなのか、他の遺跡のことは無し。「現在研究中」という経過でもいいので、載せたらいいのに?!
江戸時代の間については、「海上に南西諸島を有する鹿児島では,古くから中国との貿易が行われ,藩の財政を支えました。」と、さらりと流してあります。

その後は奄美のことは明治になってからの「砂糖勝手売買運動」のところに『商社商人の態度は旧藩の役人と変わらず,島民には大きい負担がかかっていました。』とありますが、その旧藩の役人時代のことが書いてないため、どんな負担だったのかわからず。大島商社のことをいきなり書くなら、その前の黒糖政策その他についても書かないと、意味がわからないです。

何も、現在の鹿児島県が圧政を行っていたわけではないのに書かないのは、なんでなんでしょう。末裔だから?まさか。



今回、私がブログで色々紹介している内容について「海の奇麗な観光の島というイメージが先行致していたが、何となく気楽には行きにくい思いがする」と言われたことがありました。
確かに...。

でも、ただ海の美しさを楽しむだけでなく、もっともっと知ることでシンポジウムでおっしゃっていた通り「心が豊かになる」ことを感じられると思います。大げさに言うと、奄美の歴史を知ることから、日本の歴史世界の歴史にだってつながってきますもん。

**********

今年は知ることが多いほど、戸惑うことも多々あり、それをいちいち文章にしても煮えきらずなかなか書けませんでしたが、だらだら書いて少しもやもやが吐き出せました。
1年の終りに。よかった。

皆様どうぞ良いお年を。
来年もよろしくお願いします。


ホライゾン歴史シンポジウム(2)

2009-12-29 06:01:28 | 奄美-歴史
~薩摩侵攻400年? -4- ~

第二部は、パネラーの講演。

各内容については、既に主催者であるホライゾンの「奄美ホライゾン日記」に記されています。
この記事以降、次々と書かれていますので、ご興味のある方はそちらを。
それぞれの講演を聴き、思ったことは多分そこにいた「奄美に詳しい人」は、既に知っている事柄が多く、もっと深めた内容があればよかったのではないかということ。
私のように「詳しくない人」は、講演が駆け足で、頭を整理する時間が持てないことが残念でした。皆さんパソコンでまとめた資料をスライド形式で映し出して下さるので、わかりやすいのですが会場が暗くなる分、メモも取りづらいし。

そんな中で、町健次郎さんの講演は、とてもわかりやすく短い時間に完結にまとめあげられていました。完璧なプレゼン!と思いました。奄美の冬正月と夏正月で、身近な奄美の風習からの歴史的考察で、奄美にはどんとやき(鬼火焼き)がないので、お正月の飾りの処分が困るとか、薩摩の影響を色濃く受けながらも沖縄のようにお正月に豚を食べることなどなど... 
今の生活に密着していることなので、馴染みがあるのです。



さて、色々なお話を聞くうち、残り時間がどんどん少なくなり、「お菓子の試食」が気になってきた私。
いよいよ泉和子さんが登場し、お菓子の試食と思ったら、あのツワの煮物がお菓子の試食だった...

がーん

すみません、ここで「がーん」となっていたのは、多分会場で私だけだと思います。

「当日は、幕末の菓子などを再現して、試食していただく予定です。」というのを見て、勝手に2-3品、できれば5-6品が並んでいるところを想像してしまった私...。

あれ一品だったのかぁ... (←どこにも数品なんて書かれてない)
お茶うけだと思って写真も取らずに食べちゃったよう...
(そこで、会場を出る時に、改めて写真を取らせてもらったのが一つ前の記事のもの)

ちなみに、大量のレシピだとオリジナルの風合いが出すのが難しいとおっしゃっていた通り、私は「つくだに」と思ってしまったツワ菓子ですが、本当はかりんとうのようにカリっとするものなんだそうです。

泉さんのお話も、日頃bizaさんのブログを読んでいる私には、とても馴染みのあるものでした。
当時、薩摩の黒糖政策が厳しくて、島人は全く砂糖を食べられなかったとか、少しでも舐めたら死罪とか、そんな話も聞いたことがあったのですが、なんだちゃんと砂糖の入っていたお菓子も作っていたのね...

と、私なんぞはすぐに簡単にまとめてしまいます。

しかし、弓削さんが講演の終りに少し知ったことで簡単に判断してはいけないという趣旨のお話をされて、何でも簡単に「そうか!」と思ってしまうことが恥ずかしくなりました。
日頃から、人に話すときにウケの良いよう、まとめあげちゃうクセがついているんですよね、知らず知らずに。
「こうだから、こうだー!」みたいな...

色々なお話を聞けばいくほど、物事はたくさんの資料を読み、事実だけを見つめていかなくてはいけないのだと思うと同時に、その資料すら、「自ら書いたもの」か「書かされたもの」かの判断が必要になってくるわけで、これはとてつもない仕事だと思いました。歴史を研究なさる方って本当にすごい...
「あ、そうなのね!」と思ってしまう私には到底できないことだと思いました。



「シンポジウム」というものに参加したことがなかったのですが、私の中のイメージでは、基調講演の後、それぞれが自分の研究内容を元に侃侃諤諤の議論を交わす...という感じでした。
でも、今回はそれぞれの講演内容はゆるやかにつながりはあったものの、議論的なものは無し。みんな駆け足で、自分の持ち時間にご自分の研究成果をばーーっと発表した感じでした。

専門家でもない・島出身でもない自分が講演まで聞きにきて、私は何をしにきたんだろう...とぼんやり考えていたところに、最後のまとめで町さんの言葉に非常に救われました。

「民俗学というのは、専門性はいらない、色々知ることで精神が豊かになる」というようなことを言って下さったのです。
私に向けて言われているのかと錯覚しそうでした。
そうだ。精神が豊かになるからいいのだ!ありがとう、町さん...



シンポジウムの後には、これは先に申込みをした人だけの「懇親会」がありました。私はこのシンポジウムまで。
懇親会では蘇鉄澱粉で作られた「蘇鉄かん」も出るんだそうです。いいなぁ...

それにしても、「シンポジウム」ってなんなんでしょう?私が思っていたのは、パネルディスカッションか?
それを含めてシンポジウム??

...と、思ったら、本来シンポジウムは「饗宴」「一緒に酒を飲む」なんですね!(Wikipedeia

そうか!この後の「懇親会」こそが、シンポジウムだった...(?!)


ホライゾン歴史シンポジウム(1)

2009-12-29 05:35:48 | 奄美-歴史
~薩摩侵攻400年? -3- ~

Pc200007

うわー。今年が終わってしまいますー。
ってことで、駆け足で今更ながらのホライゾン歴史シンポジウム。これ、今年で終わらせないと。もはや、-3-という感じでもないですがー。

この前までのお話

12月20日(日)に行われました。(1週間以上経ってしまった...。)
場所は、奄美サンプラザホテルでした。

開始時刻の3時半ギリギリに着いたのですが、着いてみて最初に思ったのは「うわーどうしよう...」というプチ後悔の念。
立派な会場にはコの字形に椅子がセットされていて、私のような「素人」には入りづらかったです。
席もいっぱいに埋まっているのでどこに座ろうかとどぎまぎしていたら、誘って下さった方がさらに遅れてちょうど来て下さり、ほっとして一緒に座りました。

入口に、ツワ(つわぶき)のつくだにのようなものがありました。後からわかったのですが、これはツバ菓子だったんですね。
それが載っている資料が、多分最後の方に入ったためもらえず、てっきりツワのつくだにだと思ってしまいました。

Pc200008

「これをよく食べるから、奄美は大腸ガンが少ないと言われている」、と一緒に行った方が教えて下さいました。そうなんだ。へー。
席に着き、周りを見回しても、これはやっぱり浜田太さんのお知り合いか、ガイドさんなど奄美のことについて詳しい方がさらにそれを深めにいらしているか、そんな感じ(確かめたわけではないのですが)で、大変気後れしました。
私のような人(=関係者でもないし、何もわかってない)は、多分すごく少なかったと思われます。一緒に行ける人がいてよかったー。

まず、最初に【第一部】として、「スライドで見る『南島雑話の世界』」というのがありました。
私も平凡社版と、大島高校南島雑話クラブの「挿絵で見る『南島雑話』」は持っているのですが、これらの本の挿絵は全部白黒で縮小されているためつぶれて見えているものも多く、詳細がよくわかりません。カラーの挿絵は奄美博物館に展示されている数点しか見たことが無かったので、次から次へとスライドで見せてもらう絵の美しいこと!

一度現物を見てみたいなぁと改めて思いながら...
かなりの枚数を見せてもらいました。欲を言えば、もう少しスライドの枚数を減らしお話を聞きたかったな...。

引き続きの第二部で、いよいよシンポジウム 「見えかくれする薩摩侵攻以前と以後の奄美諸島」 これからの奄美諸島史
です。

また長くなってしまったので、記事分けておきます。

(2)へ。




奄美の12月25日

2009-12-25 09:57:19 | 奄美-歴史
本当なら、ここで、今日こそ「ホライゾン」創刊15周年記念シンポジウムの話題に行く予定でしたが、クリスマスなので話題変更!

私のブログを読んで下さっている方は、奄美にお住まいとか奄美に関係がある方の他、もともと奄美を知らなかったという方も結構いらっしゃるのではないかと思っています。
転勤族の私が奄美でクリスマスを過ごすのも最後かもしれないので、受け売りの知識を広めておこうと思います。

  

12月25日は、奄美にとってクリスマスとは別の記念日です。
日本の終戦記念日は、昭和20年8月15日ですが、その後沖縄とともに米軍に占領された奄美が、本土に復帰したのが昭和28年(1953年)12月25日です。

私は、奄美が米軍下にあったとは、ここに来るまで知りませんでした。厳密には、2003年に復帰50周年の記念行事が奄美で行われ、そのニュースを鹿児島で見ていたはずなんですが、その後奄美に住むことになろうとも思っていなかったので、右の耳から入って左の耳に抜けていた模様  

何しろ、当時は本当に鹿児島の地理もわからなくて、天気予報で「名瀬市」「天城町」「和泊町」...なんて聞くと、「どうして奄美大島」「徳之島」「沖永良部島」って言ってくれないのかしらん どこかわからないよ~、与論島は「与論町」でよかったよ~と思っていたくらいで。
「実家はヤマガワです。」と言った奥さんのことなんて、それが「山川町」のことだとわからず、「『山側』ってずいぶんアバウトだなぁ...どこの山だろう。海側ってのもあるのかな?」と数年にわたり思い続けていたほどでして...
奄美のことに限らず、鹿児島のことがなーーんにもわかっていなかったのです。

   

沖縄の返還は、自分も生まれてからだったのでなんとなーーく記憶にあった上、沖縄は今もあのような状態ですので「沖縄は長いことアメリカに占領されていた(いる?)」のはわかっていたものの、鹿児島の島々(トカラ列島、奄美群島=奄美大島~与論島まで)が戦後7-8年も米軍占領下にあったことは、奄美に来てから知りました。
多分私の年代(以下)の、鹿児島・奄美に関係のない地方に住んでいる人は、結構そんなもんじゃないでしょうか。皆さん奄美が米占領下にあったって知ってるのかなぁ。あまり知られていない気がします。

あるいは、奄美群島が鹿児島県だということが知られていないかもしれません。沖縄の島と思われることは往々にしてありますもんね。NHKの番組ですら、奄美のことなのに沖縄音階のBGMかけちゃったり...

なので、本日私が私のブログを読んでいる、奄美のことをよく知らない人にお伝えしたいのは、
鹿児島県の奄美群島(+トカラ列島)は、戦後長いこと、アメリカの占領下だったんです!

...という、奄美の人には当たり前すぎて何言ってんだ?くらいのことですが、多分日本全国的にはあまり知られていないと思われるので叫んでみましたー。

もちろん、復帰するまでには大変な復帰運動もあったと聞きました。これについて書いていたら、また永遠に続いてしまいそうなので、やめておきますがー。

そんなわけで、12月25日は、奄美の本土復帰記念日です。地元紙や地元FMではそれなりに特集もありますが、島の外じゃ話題にもなっていないのでしょうね...


で、以下はなんとなく、この「占領されていた」ということから湧き出てきたつぶやき。

     

奄美に来て、最初に違和感があったのは、「本土」とか「内地」とかいう言葉です。
島・島の集落でのことに対して、「鹿児島本土では」とか「内地では」とか言うのです。私も他になんと言ったらよいのかわからないので、ブログの中で普通に使ってしまってしますが、初めに「ヘンな感じ!」と思ったことは忘れていません。

「本土」っていうと、まるでここは「本土」でないみたい。
「内地」ってきくと、ここはシベリアか満州か?ここって「外地?」「植民地?」

他に、「大和(やまと)では...」なんてのも見かけましたが、こうなると民族そのものが違います!と宣言されてしまったような...

でも、実際あっちとこっちでは、気候も自然環境も文化も違うことが多くて、何か区別したくなるのはわかりますし、だから自分も使ってしまっているのですが。

その区別する言葉が、「占領されていた」ことが影響していそうな言葉だなーと思っています。

先日、同じ大島でも「伊豆大島」のお友達にこの件について尋ねてみたのですが、少なくとも「内地」とか「本土」とは言わないようでした。釣りをする人の間では「国」と言うらしいですが...では一般の人は何ていうの?例えば、お正月に海を渡ってあっちに帰るときはなんて言うの?と尋ねたら、そうでした。あちらには「上京」という便利な言葉があったのでした。

北海道は、調べてみたら「内地」というようですね... 

他に、長崎の離島とか、例えば佐渡島や淡路島の人は、それぞれ九州・本州の「本土」部分を何と呼ぶんでしょうねぇ...
やっぱり「本土」なのかな??



以上、今日もこれと言って結論の無い話ですみません。

****

次回こそはホライゾン!


受けたい・受けられそうな講座を求めて

2009-12-24 05:05:23 | 奄美-歴史
~薩摩侵攻400年? -2- ~

また1週間以上空いてしまいました。すみません。難しいことに首を突っ込んで後悔していますが、書かなくても後悔していたんでしょうから、まあいいや。やらないで後悔より、やって後悔の方が性に合うしね。今日も歯切れが悪いでーす。

さて、薩摩侵攻400年。奄美の人で物を言う方は怒っていらっしゃる様子!(何も言わない人がどう思っているからは、未だに不明)

「侵略」だったとしても、今更400年前のことを取り上げて、どうするつもりだろう...何をしてほしいのかしら、と最初は思いましたが、どうも怒っているのは薩摩の奄美に対する仕打ちが歴史上隠されたままだ、ということに加え、400年前侵略され、薩摩支配で島は搾取され、しかもその搾取が今も続いているから...というのも見たりして、またまたびっくり仰天!
今も搾取されてる!って何じゃ?! と思ったら、それは「奄振(あましん)」と呼ばれる国の補助金制度の使い道を鹿児島県が握っていることだ...なんてのを見ました。

「鹿児島県に下りている補助金である以上、県がその使い道を決めるのは仕方ないんじゃないかなぁ...。」と思っていたら、そんな単純なものではなく、その使い道のほとんどが公共事業でゼネコンに流れる、そのゼネコンは本土の大手であって、島の下請け業者に降りるお金は微々たるもの...しかも島の業者は手抜き工事を命じられ、ばれたらトカゲの尻尾を切られるがごとく...とこういう構造がわかったりもして、なるほどこれは江戸時代から続く「搾取」だと怒っているのもわかる気もするなぁと思ったり、でもそれとこれは話が別じゃぁ?と思ったりもしました。

えーと、話が細い道の方に入ってしまったので一旦抜け出ましょう。

もっと知りたい、できれば薩摩側とか、奄美側とか、どちらかのサイドには立たない人の話を聞けたらなーと常々思っていました。

何かわかりやすーく教えてくれるところはないかな...。



歴史的な事実については、ずっと南海日日新聞に連載があり、切り抜いたりしてみましたが、なっかなか頭には入らなかったです。こういう時、「すぐわかる○○」とか「要点!ここがテストのポイントだ」みたいなのばっかりで勉強してしまったツケが回ってきますなぁ...(^^;

薩摩侵攻400年の節目ということで、それに絡んだ色々なシンポジウムとか講演会がこの1年ありました。私は色々な方の奄美情報ブログをよく見る=自分から情報を取りに行くほうだと思うので、そういった催しがあることも少しはわかりましたが、そうでなければいつ何をやっているか、あまりわからない状態だと思いました。

12月になってから、ひとつ受けてみたい講座があったので公民館に電話してみました。それは今年度の奄美市の公民館講座の一環だといわれました。へー、そんなのがあったんだ。
4月から続けて講座を受けていることが望ましいが、飛び入りでも参加できるらしい...が、思っていた講師の先生ではないかもしれないとのこと。公民館の方もよくわかっていなようだったので、市のHPを見てみましたが、なーーんにも詳しいことが書いてないで「今年度の募集は終わりました」と他の趣味講座と十把ひとからげ。

せっかくそいういう講座をやるのなら、もっと広報してほしかったなぁ...地元紙には、時間と場所だけはありましたが、誰が講師とかどんな講義とか、そういうことは皆無。これじゃ行きようがない...
市のHPには、講師の先生とか内容を載せてくれればいいのに...。

だいたい奄美市は、400年の節目に何をしたいのか最後まで不明だったように思います。公民館講座で勉強する機会を設けてくれたと思えば、その広報はいまひとつ。この節目を生かして、奄美から色々なことを発信し、その歴史を世間に広めたいのか、はたまた鹿児島県と反目するハメになったら厄介なので、皆既日食の方を主眼にし、こっちの方は適当にちょこっと取り上げ、フェードアウトした感じにしたいのか。

いずれにせよ、やっぱり何の講座も受けないで終わるなーと思っていたら、

ホライゾン歴史シンポジウム」というのがあるそうな!

ホライゾン、というのは写真家・浜田太さんの奥様である浜田百合子さんが編集長を務める島の情報誌です。太さんの美しい写真がいっぱい... これが創刊15周年だそうで、それを記念したシンポジウムだそうです。

これは、「薩摩側」とか「奄美側」とか、そういう人たちの集まりでなく、奄美の歴史について教えてくれそう!
しかも※幕末のお菓子の再現の試食!

お菓子とあるだけで、なんか心がやすらぎます。そして無料!予約もいらない?!
ほとんどこの※「試食」に釣られたともいえますが、行ってみたい。

でも、こういうのってホライゾンとつながりのある人ばかりの集まりなんだろうなーと思っていたところ、その「つながりのある人」が、私に声をかけて下さいました。私がこういうブログをやっていることは全くご存知ないのですが、私が奄美の歴史や島唄に興味を持っていることをよくご存知で誘って下さったのです。これで私も「つながり」に「つながった」から、行ってもいいかも!

以上、ながーい前おきが終わりますが、そういうわけでホライゾン創刊15周年記念シンポジウムに行ってきました!



つづく



2009年。2009年って?

2009-12-15 00:02:17 | 奄美-歴史
~薩摩侵攻400年? -1- ~

今年もいよいよ残り半月あまりです。

巷でも色々やっているように、私も今年1年を振り返ってみようかな、なんて。

なんとなく、今年はブログの更新頻度が少なかったです。反省。
奄美に来て、5年目になり、色々なことが新鮮に感じられなくなったんだな...と思われたかもしれません。

けれど、それは違います...。相変わらず奄美には、今年も「へぇ!」なことがたくさんあり、しみじみと良さをかみしめることもあり。

皆既日食は一生に一度の体験でしたし。

ですが、なんとなくパソコンにそぐわない表現を借りれば、今年は「筆が進まなかった。」
今年ももう終わってしまうので、今年のうちに今年のことはケリをつけておこうと思います。
...と、言っても多分思っていることを十分表現できない気がします。ケリのつくことでもないんだな。
そう思って、毎回筆が鈍ってしまったのですが、このもやもやした気持ち自体を書きとめておこうかなー。今年は今年で終わるから...。

(うーむ出足からむにゃむにゃしてるな)

ちなみに -1- なんてつけてみて、ダラダラ続く予感ですが、最後まで読んでもまとめはありません。多分。あしからず。

今年は奄美にとって、特別な年でした。

皆既日食だけではありません。もちろん、それに絡んでその後マスコミを賑わせた騒動でもないですよ。

今年は、「薩摩(島津氏)の琉球・奄美侵攻400年」の節目でした。

...と聞いても、多分全国的には「何それ?」な節目だと思います。
実際、奄美に住んで5年目になりますが、そんな節目であるとは、今年になるまで知りませんでした。

いや、多分、これまで読んだ資料で目に触れていたことはあったのでしょう。
先ほど「あまみこ物語」を見てみました。「島津氏が、琉球王国の外交的な失敗をきっかけに琉球に侵攻するのは、1609年のことです。」と確かに書いてありました。

(あ、余談ですが、この「あまみこ物語」、前はネット(pdfファイル)だけでしたが、今は奄美小の購買部で買うことができます。先日頼んで1冊買ってきてもらいました。やっぱり紙の方が読みやすいわー。たった500円。)

でも、私の中では1609年は、単なる年号のひとつでしかなく、それからちょうど400年目が「節目」であると意識なんてしませんでした。

今から400年前の1609年、ガリレオが初めて天体望遠鏡を覗いていたころ、薩摩藩は奄美・琉球に侵攻してきたんだそうです。

今年になると、地元紙や、あちこちでそうであったということを知り、またそのことに関するイベントが年間を通じて何度かありました。そのたびに、地元の方のコメントなどを少しずつ読みました。

侵攻だ、進攻だ、侵略だ... アジアの国々と日本の話ではありません。奄美や琉球が薩摩に対して同じことを言っていることを知ったとき、最初かなりびっくりしました。
だいたい、今でも鹿児島本土の人を、「薩摩」というところからして、びっくりです。

数年前から、『薩摩藩が奄美を支配して、島の人から黒糖を搾り取り、ヤンチュと呼ばれた奴隷の身分の人がいて...』的なことは知っていたつもりでした。(奄美に来る前は、そんなことすら知らなかったです)

そのことが、現代までこんなに尾を引いているとは。

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いつも「びっくり!」なことがあると、大抵すぐブログに書いていたのですが、今回はなかなか消化することができず、かなり複雑なことだと思ったので、勉強に時間がかかりました。

...って書くと嘘だな。あんまり勉強もしなかったです。
新聞の特集を読んだり、色々な方のブログを読んで、うなっていました。



しかも、たまに勉強しようにも、コソコソしなければならない雰囲気でした。

奄美出身でもない、鹿児島出身でもない、歴史に関わる何かをしているわけでもない、そもそも歴史になんて全然詳しくない私が、そんなことに興味を持っているということが人に知れたら、「どうしたの?!」と思われそうな雰囲気が漂っていました。
勝手に漂っている気がしていただけかもしれないですがー。

県立図書館で本を借りようとしたこともありましたが、受付の方が知っている人だったのでやめてしまったこともありました。
「なんでこんな本を~?!」と詮索されそうな...  5年ですごく知り合いが増えました。

完全に自意識過剰


(つづく)