~薩摩侵攻400年? -4- ~
第二部は、パネラーの講演。
各内容については、既に主催者であるホライゾンの「奄美ホライゾン日記」に記されています。
この記事以降、次々と書かれていますので、ご興味のある方はそちらを。
それぞれの講演を聴き、思ったことは多分そこにいた「奄美に詳しい人」は、既に知っている事柄が多く、もっと深めた内容があればよかったのではないかということ。
私のように「詳しくない人」は、講演が駆け足で、頭を整理する時間が持てないことが残念でした。皆さんパソコンでまとめた資料をスライド形式で映し出して下さるので、わかりやすいのですが会場が暗くなる分、メモも取りづらいし。
そんな中で、町健次郎さんの講演は、とてもわかりやすく短い時間に完結にまとめあげられていました。完璧なプレゼン!と思いました。奄美の冬正月と夏正月で、身近な奄美の風習からの歴史的考察で、奄美にはどんとやき(鬼火焼き)がないので、お正月の飾りの処分が困るとか、薩摩の影響を色濃く受けながらも沖縄のようにお正月に豚を食べることなどなど...
今の生活に密着していることなので、馴染みがあるのです。
さて、色々なお話を聞くうち、残り時間がどんどん少なくなり、「お菓子の試食」が気になってきた私。
いよいよ泉和子さんが登場し、お菓子の試食と思ったら、あのツワの煮物がお菓子の試食だった...
がーん
すみません、ここで「がーん」となっていたのは、多分会場で私だけだと思います。
「当日は、幕末の菓子などを再現して、試食していただく予定です。」というのを見て、勝手に2-3品、できれば5-6品が並んでいるところを想像してしまった私...。
あれ一品だったのかぁ... (←どこにも数品なんて書かれてない)
お茶うけだと思って写真も取らずに食べちゃったよう...
(そこで、会場を出る時に、改めて写真を取らせてもらったのが一つ前の記事のもの)
ちなみに、大量のレシピだとオリジナルの風合いが出すのが難しいとおっしゃっていた通り、私は「つくだに」と思ってしまったツワ菓子ですが、本当はかりんとうのようにカリっとするものなんだそうです。
泉さんのお話も、日頃bizaさんのブログを読んでいる私には、とても馴染みのあるものでした。
当時、薩摩の黒糖政策が厳しくて、島人は全く砂糖を食べられなかったとか、少しでも舐めたら死罪とか、そんな話も聞いたことがあったのですが、なんだちゃんと砂糖の入っていたお菓子も作っていたのね...
と、私なんぞはすぐに簡単にまとめてしまいます。
しかし、弓削さんが講演の終りに少し知ったことで簡単に判断してはいけないという趣旨のお話をされて、何でも簡単に「そうか!」と思ってしまうことが恥ずかしくなりました。
日頃から、人に話すときにウケの良いよう、まとめあげちゃうクセがついているんですよね、知らず知らずに。
「こうだから、こうだー!」みたいな...
色々なお話を聞けばいくほど、物事はたくさんの資料を読み、事実だけを見つめていかなくてはいけないのだと思うと同時に、その資料すら、「自ら書いたもの」か「書かされたもの」かの判断が必要になってくるわけで、これはとてつもない仕事だと思いました。歴史を研究なさる方って本当にすごい...
「あ、そうなのね!」と思ってしまう私には到底できないことだと思いました。
「シンポジウム」というものに参加したことがなかったのですが、私の中のイメージでは、基調講演の後、それぞれが自分の研究内容を元に侃侃諤諤の議論を交わす...という感じでした。
でも、今回はそれぞれの講演内容はゆるやかにつながりはあったものの、議論的なものは無し。みんな駆け足で、自分の持ち時間にご自分の研究成果をばーーっと発表した感じでした。
専門家でもない・島出身でもない自分が講演まで聞きにきて、私は何をしにきたんだろう...とぼんやり考えていたところに、最後のまとめで町さんの言葉に非常に救われました。
「民俗学というのは、専門性はいらない、色々知ることで精神が豊かになる」というようなことを言って下さったのです。
私に向けて言われているのかと錯覚しそうでした。
そうだ。精神が豊かになるからいいのだ!ありがとう、町さん...
シンポジウムの後には、これは先に申込みをした人だけの「懇親会」がありました。私はこのシンポジウムまで。
懇親会では蘇鉄澱粉で作られた「蘇鉄かん」も出るんだそうです。いいなぁ...
それにしても、「シンポジウム」ってなんなんでしょう?私が思っていたのは、パネルディスカッションか?
それを含めてシンポジウム??
...と、思ったら、本来シンポジウムは「饗宴」「一緒に酒を飲む」なんですね!(Wikipedeia)
そうか!この後の「懇親会」こそが、シンポジウムだった...(?!)
第二部は、パネラーの講演。
各内容については、既に主催者であるホライゾンの「奄美ホライゾン日記」に記されています。
この記事以降、次々と書かれていますので、ご興味のある方はそちらを。
それぞれの講演を聴き、思ったことは多分そこにいた「奄美に詳しい人」は、既に知っている事柄が多く、もっと深めた内容があればよかったのではないかということ。
私のように「詳しくない人」は、講演が駆け足で、頭を整理する時間が持てないことが残念でした。皆さんパソコンでまとめた資料をスライド形式で映し出して下さるので、わかりやすいのですが会場が暗くなる分、メモも取りづらいし。
そんな中で、町健次郎さんの講演は、とてもわかりやすく短い時間に完結にまとめあげられていました。完璧なプレゼン!と思いました。奄美の冬正月と夏正月で、身近な奄美の風習からの歴史的考察で、奄美にはどんとやき(鬼火焼き)がないので、お正月の飾りの処分が困るとか、薩摩の影響を色濃く受けながらも沖縄のようにお正月に豚を食べることなどなど...
今の生活に密着していることなので、馴染みがあるのです。
さて、色々なお話を聞くうち、残り時間がどんどん少なくなり、「お菓子の試食」が気になってきた私。
いよいよ泉和子さんが登場し、お菓子の試食と思ったら、あのツワの煮物がお菓子の試食だった...
がーん
すみません、ここで「がーん」となっていたのは、多分会場で私だけだと思います。
「当日は、幕末の菓子などを再現して、試食していただく予定です。」というのを見て、勝手に2-3品、できれば5-6品が並んでいるところを想像してしまった私...。
あれ一品だったのかぁ... (←どこにも数品なんて書かれてない)
お茶うけだと思って写真も取らずに食べちゃったよう...
(そこで、会場を出る時に、改めて写真を取らせてもらったのが一つ前の記事のもの)
ちなみに、大量のレシピだとオリジナルの風合いが出すのが難しいとおっしゃっていた通り、私は「つくだに」と思ってしまったツワ菓子ですが、本当はかりんとうのようにカリっとするものなんだそうです。
泉さんのお話も、日頃bizaさんのブログを読んでいる私には、とても馴染みのあるものでした。
当時、薩摩の黒糖政策が厳しくて、島人は全く砂糖を食べられなかったとか、少しでも舐めたら死罪とか、そんな話も聞いたことがあったのですが、なんだちゃんと砂糖の入っていたお菓子も作っていたのね...
と、私なんぞはすぐに簡単にまとめてしまいます。
しかし、弓削さんが講演の終りに少し知ったことで簡単に判断してはいけないという趣旨のお話をされて、何でも簡単に「そうか!」と思ってしまうことが恥ずかしくなりました。
日頃から、人に話すときにウケの良いよう、まとめあげちゃうクセがついているんですよね、知らず知らずに。
「こうだから、こうだー!」みたいな...
色々なお話を聞けばいくほど、物事はたくさんの資料を読み、事実だけを見つめていかなくてはいけないのだと思うと同時に、その資料すら、「自ら書いたもの」か「書かされたもの」かの判断が必要になってくるわけで、これはとてつもない仕事だと思いました。歴史を研究なさる方って本当にすごい...
「あ、そうなのね!」と思ってしまう私には到底できないことだと思いました。
「シンポジウム」というものに参加したことがなかったのですが、私の中のイメージでは、基調講演の後、それぞれが自分の研究内容を元に侃侃諤諤の議論を交わす...という感じでした。
でも、今回はそれぞれの講演内容はゆるやかにつながりはあったものの、議論的なものは無し。みんな駆け足で、自分の持ち時間にご自分の研究成果をばーーっと発表した感じでした。
専門家でもない・島出身でもない自分が講演まで聞きにきて、私は何をしにきたんだろう...とぼんやり考えていたところに、最後のまとめで町さんの言葉に非常に救われました。
「民俗学というのは、専門性はいらない、色々知ることで精神が豊かになる」というようなことを言って下さったのです。
私に向けて言われているのかと錯覚しそうでした。
そうだ。精神が豊かになるからいいのだ!ありがとう、町さん...
シンポジウムの後には、これは先に申込みをした人だけの「懇親会」がありました。私はこのシンポジウムまで。
懇親会では蘇鉄澱粉で作られた「蘇鉄かん」も出るんだそうです。いいなぁ...
それにしても、「シンポジウム」ってなんなんでしょう?私が思っていたのは、パネルディスカッションか?
それを含めてシンポジウム??
...と、思ったら、本来シンポジウムは「饗宴」「一緒に酒を飲む」なんですね!(Wikipedeia)
そうか!この後の「懇親会」こそが、シンポジウムだった...(?!)