~薩摩侵攻400年? -終り- ~
今年は、奄美の歴史について、さまざまな催しや新聞連載など検証がありました。
それもこれも、薩摩侵攻400年の節目だったからだろうと思います。
今年がもう終わってしまう...
また専門家だけの世界に戻っちゃうのかなぁ。
今年がこの歴史検証の「始まり」であって、節目とともに終わらせてはいけないと思います。
薩摩侵攻401年目だって、引き続き発信してほしい...
奄美の歴史は、知れば知るほど面白いし、日本の歴史の中で担ってきた役割も小さくなかったということがわかってきました。
でも、普通島に関係ない人は、未だにそのことは全くわからない状態です。
...というか、島にいても、わからないです。この一年、私の周りで話題に上ることは、一度もありませんでした。
今後の課題は、どうやって一般の人に広めていくか、だと思いました。
いくら講演会等を設けても、そこに自ら足を運ぶ人というのはどうしても専門家に偏り勝ちです。自分も最後にシンポジウムに行ってみましたが(そしてそのことは、行って良かったとは思っているものの)敷居が高いし、時間的な問題もあって普通はできないと思いました。
座っていても、自動的に耳に入ってくる状態にする、というのが今後の課題ではないでしょうか?
講演会の類だけでなく、本も同じです。
最初から、薩摩侵攻や奄美の歴史を全面に押し出したものだと、手に取りにくいです。
●教科書のように、万人が強制的に目にするもの
●雑誌のように、他の情報とともに自然に目に入ってくるもの
●テレビ(それも全国放送)
これらに取り上げてもらう工夫が必要だと思います。
マスコミの取り上げ方というのは、片方からの見方に偏ったり、いい加減なこともありましょうが、まずは興味を持ってもらわないといけないのでは... 中孝介さんの取り組みなんて、すごくいいと思います。
鹿児島県として、もっと発信していくべきとも思います。
奄美の人は、鹿児島の人を個人的に恨んでいることはないでしょうが、県の奄美に関する情報発信の少なさは、やっぱり不自然と思われても仕方ないかも...。
例えば、県のホームページに、歴史についてまとめてあるところがあります。
が、考古学のところに宇宿遺跡がありますが、まだ研究途上だからなのか、他の遺跡のことは無し。「現在研究中」という経過でもいいので、載せたらいいのに?!
江戸時代の間については、「海上に南西諸島を有する鹿児島では,古くから中国との貿易が行われ,藩の財政を支えました。」と、さらりと流してあります。
その後は奄美のことは明治になってからの「砂糖勝手売買運動」のところに『商社商人の態度は旧藩の役人と変わらず,島民には大きい負担がかかっていました。』とありますが、その旧藩の役人時代のことが書いてないため、どんな負担だったのかわからず。大島商社のことをいきなり書くなら、その前の黒糖政策その他についても書かないと、意味がわからないです。
何も、現在の鹿児島県が圧政を行っていたわけではないのに書かないのは、なんでなんでしょう。末裔だから?まさか。
今回、私がブログで色々紹介している内容について「海の奇麗な観光の島というイメージが先行致していたが、何となく気楽には行きにくい思いがする」と言われたことがありました。
確かに...。
でも、ただ海の美しさを楽しむだけでなく、もっともっと知ることでシンポジウムでおっしゃっていた通り「心が豊かになる」ことを感じられると思います。大げさに言うと、奄美の歴史を知ることから、日本の歴史世界の歴史にだってつながってきますもん。
**********
今年は知ることが多いほど、戸惑うことも多々あり、それをいちいち文章にしても煮えきらずなかなか書けませんでしたが、だらだら書いて少しもやもやが吐き出せました。
1年の終りに。よかった。
皆様どうぞ良いお年を。
来年もよろしくお願いします。
今年は、奄美の歴史について、さまざまな催しや新聞連載など検証がありました。
それもこれも、薩摩侵攻400年の節目だったからだろうと思います。
今年がもう終わってしまう...
また専門家だけの世界に戻っちゃうのかなぁ。
今年がこの歴史検証の「始まり」であって、節目とともに終わらせてはいけないと思います。
薩摩侵攻401年目だって、引き続き発信してほしい...
奄美の歴史は、知れば知るほど面白いし、日本の歴史の中で担ってきた役割も小さくなかったということがわかってきました。
でも、普通島に関係ない人は、未だにそのことは全くわからない状態です。
...というか、島にいても、わからないです。この一年、私の周りで話題に上ることは、一度もありませんでした。
今後の課題は、どうやって一般の人に広めていくか、だと思いました。
いくら講演会等を設けても、そこに自ら足を運ぶ人というのはどうしても専門家に偏り勝ちです。自分も最後にシンポジウムに行ってみましたが(そしてそのことは、行って良かったとは思っているものの)敷居が高いし、時間的な問題もあって普通はできないと思いました。
座っていても、自動的に耳に入ってくる状態にする、というのが今後の課題ではないでしょうか?
講演会の類だけでなく、本も同じです。
最初から、薩摩侵攻や奄美の歴史を全面に押し出したものだと、手に取りにくいです。
●教科書のように、万人が強制的に目にするもの
●雑誌のように、他の情報とともに自然に目に入ってくるもの
●テレビ(それも全国放送)
これらに取り上げてもらう工夫が必要だと思います。
マスコミの取り上げ方というのは、片方からの見方に偏ったり、いい加減なこともありましょうが、まずは興味を持ってもらわないといけないのでは... 中孝介さんの取り組みなんて、すごくいいと思います。
鹿児島県として、もっと発信していくべきとも思います。
奄美の人は、鹿児島の人を個人的に恨んでいることはないでしょうが、県の奄美に関する情報発信の少なさは、やっぱり不自然と思われても仕方ないかも...。
例えば、県のホームページに、歴史についてまとめてあるところがあります。
が、考古学のところに宇宿遺跡がありますが、まだ研究途上だからなのか、他の遺跡のことは無し。「現在研究中」という経過でもいいので、載せたらいいのに?!
江戸時代の間については、「海上に南西諸島を有する鹿児島では,古くから中国との貿易が行われ,藩の財政を支えました。」と、さらりと流してあります。
その後は奄美のことは明治になってからの「砂糖勝手売買運動」のところに『商社商人の態度は旧藩の役人と変わらず,島民には大きい負担がかかっていました。』とありますが、その旧藩の役人時代のことが書いてないため、どんな負担だったのかわからず。大島商社のことをいきなり書くなら、その前の黒糖政策その他についても書かないと、意味がわからないです。
何も、現在の鹿児島県が圧政を行っていたわけではないのに書かないのは、なんでなんでしょう。末裔だから?まさか。
今回、私がブログで色々紹介している内容について「海の奇麗な観光の島というイメージが先行致していたが、何となく気楽には行きにくい思いがする」と言われたことがありました。
確かに...。
でも、ただ海の美しさを楽しむだけでなく、もっともっと知ることでシンポジウムでおっしゃっていた通り「心が豊かになる」ことを感じられると思います。大げさに言うと、奄美の歴史を知ることから、日本の歴史世界の歴史にだってつながってきますもん。
**********
今年は知ることが多いほど、戸惑うことも多々あり、それをいちいち文章にしても煮えきらずなかなか書けませんでしたが、だらだら書いて少しもやもやが吐き出せました。
1年の終りに。よかった。
皆様どうぞ良いお年を。
来年もよろしくお願いします。