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MT.FORTUNE

Discover 奄美大島!

奄美市の市章決定

2005-11-25 23:59:00 | 奄美-あれこれ
amami_sisyo奄美大島の、名瀬市、住用村、笠利町は来年3月20日に合併して、「奄美市」になる。

昨日(11月24日)、この奄美市の市章が決定した。
応募総数2,427点の中から選ばれた、福島県いわき市の佐藤聡さんの作品。会社員の方だそうだが、デザインの会社なんだろうか。それとも趣味でデザインされているのだろうか。いやはや、福島の方とは...遠く奄美の市章をば、お考えいただきありがとうございます、ハイ。

「奄美市のイニシャルであるAをモチーフとし、奄美の豊かな自然と共生していく市民の姿を表現しました。又、赤い円は奄美の恵みの太陽を表しています。」ということだそうだ。

実は、今回候補を絞り込んだものの、応募要項の「デザイン趣旨が100字以内」に反したものもあったらしく、一部で物議をかもしていたようだが、これは名実共に文句なしというところ。
ちなみに、最終候補に残っていた他の4候補は次の通り。
WS000011WS000012WS000013WS000014

こうなると、やはり佐藤さんの作品が選ばれたのは納得だなぁ!シンプルで美しい。シンプルだと、見栄えも良いが、経費的によろしい。(エラそ~)
あまりごちゃつくと、経費もかかるし、モノトーンにしたとき、わかりにくいし。

合併協議会の資料に、似たような自治体マークというのがあった。
WS000010
んまあ、並べてみると、こりゃまた、似ちゃったもんだなぁ!!
どこも太陽は赤やオレンジで、ブルー系とグリーン系で自然を表して...

この中では、奄美市のマークはバランスの取れたわかりやすいものだ。うん、そうだ、そうだ、そうだ。

それにしても、今どきの市町村のシンボルマークというのは、こういう「国体のマーク」みたいなものが多いのだろうか。
じゃあ、何かアイディアはあるのか!と言われたら、何もいえませんけどね!(^^;)




雄大な構想

2005-11-18 09:01:00 | 奄美-あれこれ
politicsこれは、奄美大島に住んでいる人は必ず目にしている国道沿いの大きい看板。
地元の人には申し訳ないが、ここを通るたび私はなんともいえない居心地の悪さというか、気恥ずかしさを感じている。
日本一大きい選挙区、鹿児島2区。ここは小泉旋風もどこふく風で、この秋の衆院選も初めて立候補した政治家Jr.(郵政民営化反対派)が地盤を堅守。世襲がすべて悪いってわけではないがー。今回、民営化の反対派にはあれほど逆風が吹いた中、初の立候補でも当選したことに感心してしまった。

先日、地元の人と話をする機会があった。他愛のない世間話が、話題は巡り巡って選挙の話、そして買収の話になった。他の人も一緒だったとはいえ、初対面の私に平気でこういう話をしてくるところがすごい。「世間話」程度の認識なのかなぁ。
奄美では、9月の衆議院選挙がらみでも買収で捕まった人がいたが、やはりこの手の選挙違反は未だに水面下にあるらしい。

それにしても不思議なのは、お金をもらって投票するときに本当に律儀にその人に投票するのか?ということだ。だって、誰に投票してもわからなそう...あっちの候補者からも、こっちの候補者からもお金もらったりして(^^;)

が、前に読んだ本では、例えば誰か最初の人が、1票を投じたふりをして白票をうまく持ち帰り、その白票に候補者の名前を書く。次の人は、予め名前の書かれたその投票用紙を持って入場して、新しくもらった投票用紙とすりかえて、またその白票を持って外へ出る...というやり方があるそうだ!

なるほど~!!
と感心している場合ではない。

しかしこれだと、すり替えるのを見られたら大変だし、待機する人の待つ場所などの問題もあり、そうそう簡単にできるものではないだろう。
そう思って、ちょうど買収の話も出たことだし、予てからの疑問を思い切って尋ねてみた。

「お金もらって、他の人に投票するってことはないのですか?」
答えはもちろんノー。
「でも、誰に投票してもわからないのでは?」という質問に対しては、
「お金もらった時は、いつも不在者投票させられる。」とのことだった。

「不在者投票したら、すぐ箱を開けて確認するんですか??」という質問には、さすがに買収「主催者」でないその人は、「わからないけど、お金をもらうときは、必ず不在者投票なのよ~。」ですと!

私も何度か不在者投票をしたことがある。確かにあれだと人もまばらで、箱を開ければ誰の票かはすぐわかりそう。
不在者投票後の票の扱いは知らないが、あれはその日ごとに出して厳封するのだろうか。それとも、不在者投票期間中のものをまとめて、あとで開けるのかな。

...ああでも、ということは、選挙管理人もグル??
それとも、あのがらーんとした投票所で、「この後開けてしまえば、あなたが誰に投票したかわかるのよ~フフフ」という雰囲気が大切なのか?
わからないわぁ~

・・・・・・

そんな話を聞くと、この看板がますます空々しく思えてくる。

私に話してくれた人、「警察も厳しくて『最近は』自分はしていない」と、言っていた。(私が根掘り葉掘り聞くので付け加えたのかしら?)でも、買収についてあっけらかんと珍しい話でもないふうに話していた。

奄美に限らず地方では、まだまだこういうことはなくなっていないのだろう。
まだ「奄美から変えよう」と雄大な構想を掲げている場合ではない。
まずは、「奄美から変わろう」じゃないと!

(決意だけにして、看板は無しにしてほしいなぁ...景観が台無し)





2009年 皆既日食

2005-11-16 02:58:04 | 奄美-あれこれ
昨日、ちょっと紹介したのだが、もう少し詳しく。
2009年、奄美大島で皆既日食が見られます!
まだ4年もあるから、鬼が爆笑しそうですが、見に来られたい方は早く宿を押さえないと(笑)
うち、まだ空いてますよ!多分まだ奄美にいると思うし...でも我が家も島の北部どこかに泊まりに行くかも?勝手に使って下さい(^^)

日:  2009年7月22日(水) 
    (夏休み!しかし台風が気になる季節)

時:  奄美大島の情報がまだ見つけられなかったので、以下は
    屋久島のもの。奄美は数十秒~1分遅れだ早いと思われます。
      かけ始め  9:34
      食最大  10:56
      終了    12:19
場所: 奄美大島より南の島では皆既にはなりません。
     奄美大島も南部はだめ... 
     名瀬市も皆既は一瞬だけだそうなので、朝から島の北部に
     移動しておきましょう。

種子島・屋久島も見られるので、ここはツアーが混みそうですね~
屋久島以南のトカラ列島、中でも悪石島では7分も皆既日食が。
これだけ長い時間は珍しいそうですョ。
(鹿児島の島々の地図はこちら

皆既日食については、現時点ではこのサイトがとても詳しかったです。このサイトのオーナーさんは、ちゃんと下見に行かれるそうで。さすが!しかも鹿児島の台風に備えて、小笠原という予備まで準備されてます。
それからこちらもご参考まで。

****************************
これから、もっと詳細な情報がどんどん出てくるだろうから見逃せないですねー。
皆既日食は種子島以南ですが、もちろん日本全国で部分日食は見られます。

私は、20世紀最後の皆既日食(1999年8月 於ヨーロッパ)を拝めたので、2009年もぜひ拝みたいなぁ!
それを逃すと、次に日本で見られる皆既日食は2035年だから、当分先。(まだ生きてるかしらね、一応...)
人生で皆既日食3回も見られたら、満腹です...


全国放送でも奄美

2005-11-10 15:02:31 | 奄美-あれこれ
今夜の読売系の番組「グッピー!!」は、奄美大島。全国放送です。(放送時間は、地域によって異なります。鹿児島は0:20~、関東は0:50~)
東野&山口奄美2人旅だそうだ。

テレビはあまり見ないのだが...グッピーも見たことないし。でも録画予約しておこうっと♪

そして、今、子供達の昼寝の間に見たのは昨晩のNHK「課外授業 ようこそ先輩」。
昨日は奄美の唄者(うたしゃ)・朝崎郁恵さんが母校、加計呂麻島(かけろまじま)の伊子茂(いこも)小学校へ、行ってきたのだ。私は奄美に来るまで島唄のことなんて、なんにも知らなかったが、この人は奄美では超有名人。67歳でメジャーデビューしたスーパーウーマン。

伊子茂小、6年生は男女各1人しかいない。朝崎さんに好きな歌は?と聞かれて、
女の子「大塚愛のスマイリー」、男の子「ドラゴンアッシュが好き」と正直な(^^;)2人に、島唄の心、伝えてました。この2人が素直でカワユイよい子でしたね。

島唄は、搾取されてきた時代に、その時の気持ちを自分たちだけがわかる島口(奄美の方言)で歌ったものだそうだ。だから、悲しい感じのものが多い。沖縄の陽気な島唄とはまた、雰囲気が違う。沖縄の島唄がジャズなら、と奄美の島唄はブルース(違うかな?)。

「言葉がわからなくても、意味が分からなくてもいい、とにかく歌うことが大事。歌っていくうちにわかるから。」という朝崎さんの言葉が印象的だった。それなら、私が歌ってもいいのか。習ってみたいなぁ...


やっぱ寒い

2005-10-31 01:06:15 | 奄美-あれこれ
31OCT05本当にもう、あまのじゃくな天気である。
私が冷えてきました、といえば暑くなり、暑い!真夏の太陽だ、と言えば氷雨だ。いい加減、私の書いた通りにしてほしい。

Weather Pixieはついにズボンになってしまった。土曜(29日)の午後から、ほとんどずっと雨模様。
奄美パークも水族館(海洋展示館)もハブセンターも行っちゃったし、もうチビ連れで行く所がわからない。

...で、今日も1日家に居て、たまっていた新聞やらネットやらに目を通す。

すると、色んな疑問が沸々。
「奄美大島地区合併協議会」の協議会だより。トップの人口統計が平成12年の国勢調査のもの。
あーた、5年も前の統計出してどうするんじゃ!!名瀬市のHP見ても、ちゃんともっと新しい人口は出ているし、他の町についても同じだろう。こんなことでいいのか?!ちゃんと合併に関する数字のあれこれは新しいもので考えてくれているのでしょうね??

それから...。

大浜に来年出来る予定の健康体験交流施設。タラソテラピーの施設で楽しみではあるが、これまた心配が-

10月26日付南日本新聞の記事によれば、総事業費10億5千万だそうだ。
ところが!
南海日々新聞の7月3日の記事では、『総事業費は約9億5千万円を見込んでいる』と書いてあるぞ!!
3ヶ月ちょいの間に、1億円増えている。何がどうして、この3ヶ月に1億円ポーンと増えちゃってるのぉ?
どーなっているんだ!!

この施設、プールゾーン利用料は大人1000円程度になるらしい。家族で行ったらあっという間に2~3000円?

その施設に、『全体で年間約6万3000人の利用が見込まれている』
って、奄美大島の人口は、7万くらいじゃなかったっけ?生まれたばかりの赤ちゃんからお年寄りまで入れて。

ホントかなぁ。こんな数字はありえるのか?初年度の入場者数かと思って目をこらしてみたけど、そうは書いていない。
休日でも閑散とした奄美パークを思うと、とても6万なんてありえないと思うんだけど。

と、思ったら同じ7月の南海日々には、『利用料、会員数や年間延べ利用者数の見込み、収支計画については「今後、詰めていきたい」(市商工水産課)』だって。
この3ヶ月で、入場料を決め、総事業費と維持費から逆算して利用者数をはじいたんだろうなぁ...「いくらなんでも、入場料は1000円が上限では?」「そうねぇ、そうなると、年間6万3千人来てくれないと、維持できない」って。
まあ、日本ってこういうやり方だもんね、いつも。

旧郡山町(今は合併して鹿児島市)にあるスパランド裸・楽・良
私が鹿児島にいた頃は、入場料1200円だったのに、お客さんが入らなくて今じゃ600円。(あ~悔しいっ。)
大浜の施設が二の舞でないことを祈るばかりだ。まあ、入場料が安くなるのはいいんだけど!

そして、奄美大島に住む限りは、「年に1回以上この施設を利用する」のをノルマに課すしかない!

....。
1日家でこうしてあら探しをしていくと、何もかもが心配。

また寒くなってきた...






島口(しまぐち)

2005-10-06 01:00:01 | 奄美-あれこれ
島口とは、奄美の方言のことだ。
奄美に引っ越してきて、半年。小学生の長女からは、少しずつ奄美の言葉が出てくるようになってきた。子供はこういうのを身につけるのが早いんだよなぁ...

私が聞いて最初に「へぇー」と思った言葉は「やりまい」。これは「やらなきゃ」ということだ。英語のmust, have toというところか。普通、「まい」が着くと、否定の意味になるでしょう?「二度とやるまい」とか「あの店には行くまい」とか。この場合は、終止形+まい だが、島口では連用形(後に「~ます」をつける活用)+まい で義務を表すらしい。 (うーん、アカデミックな分析!)
だから、「食べまい」だと、「食べなければ」ということで、「食べるまい」とは反対の意味になる。結構紛らわしいのだ。
娘はこの「~まい」をよく使う。「宿題を先にやりまいかぁ...」とかアレンジまでして。(ただし、このアレンジが島口かは不明)

「やりまい」「~まい」を最初に覚えてくるなんて、今どきの小学生もお気の毒だ。「やらなきゃ」「しなきゃ」の学校生活... 

そんなふうに、方言も残ってはいるものの、やはり純粋な島口を話せるのは年配の人だけだ。鹿児島弁もそうだったが、地元のお年寄りが方言でしゃべると、全く理解できない。単語そのものが、標準語とは全然違うものだし、そこに聞き慣れないイントネーションも加わると、もうそれは外国語!
戦後方言は禁止されていた時期もあったので、鹿児島弁といい、島口といい、今は話せる人も少なく、努力して残そうとしている状況だ。小学校にも「いもーれ!」(=いらっしゃい!)というポスターが張ってあったり、島口の単語の対訳表のようなものが張ってあったりしているが、こういうものは学校で教えて身に付くものでもないだろうから、難しい。島口の未来は大丈夫だろうか。

もうひとつ、子供が覚えて来た言葉。
「意味うつらん...。」意味がわからない、ということだそうだ。
「何、これ??意味うつらん!」などと言っている。

学校で覚えてきた島口が「~まい」と「意味うつらん」とは!
島口の未来を心配している場合ではない。我が子の未来が、いや、現時点での学校生活がかなり心配になってきた。

   ※こちら→たつや旅館のブログが島口で書かれています。


後継者求む!

2005-10-02 03:57:12 | 奄美-あれこれ
chijin9月27日(火)のNHK「お元気ですか 日本列島」で、10分弱ほど奄美のちぢん作りのことが取り上げられていた。「ちぢん」は、奄美の太鼓だ。木のバチでたたく。直径30cmくらいで、奄美各地で旧暦8月に行われる「八月踊り」に欠かせない存在だ。

名瀬市内には、何軒か三線(さんしん=奄美の三味線)やちぢんのお店があるが、番組を見ていたら、おっと!よく通りかかるお店じゃない?
chijinshopここのお店、81才のおじいさんがちぢんを作っているのだそうだ。いや、「おじいさん」と呼ぶのは失礼な、かくしゃくたる職人さんである。
ちぢんを分解し、見よう見まねで始めた太鼓作り、50年!靴店の傍らずっと守ってきた店だ。靴店は子供に譲り、今はこの店に専念されている。

ぢぢん作りには、くすのきをくりぬき、そこにヤギの皮を張る。つるつるする皮よりも毛がある方が太くて重く、腹に響く音が出るのだ。しかし、国内にこの皮加工をするところがない。そこで、インドや東南アジアから数千枚単位で買い付ける。
番組によれば、奄美群島でちぢん作りをするのは3-4人だが、輸入から太鼓作りまですべてひとりでするのは、ここのご主人だけなんだそうだ。

番組ではわからなかったのだが、この職人さんは英語が出来るんだろうか?動物の皮なんて、輸入手続きがなんだか面倒そうだ。貿易実務は誰か代行してくれるのか??
...などと思って見ていたら、案の定、最近では東南アジアでも加工していない動物の皮を持ち出すのに規制が厳しいらしい。材料の確保は大変難しい状況だ。

そして、何よりも太鼓作りの後継者がいない。
若い頃は1日に2-3個作っていたちぢんも、今は1日1個がやっと。全国から注文があるが、応じきれない...。

職人さん、「椎間板ヘルニアと頸椎損傷・手足のしびれ」を抱えながらも頑張っている。皮を張るために、紐をぎゅっぎゅと引っ張るのも一苦労、その後、音の調整のために必要なくさびをカンカンと木槌で打ち込むのも大変そうだ。

  『若い人は1日座っておれん...。真剣に職業として伝統の
  工芸品を行く末までも残していこうという意気込みを持った
  人がこない。本当に自分がモノにしようと気があれば...』 

うっっ、厳しそうだなぁ!!
しかし厳しい職人さんのもと、この貴重なちぢん作りを引き継ぐ人が現れてほしいものだ。




十五夜のお相撲

2005-09-19 23:58:00 | 奄美-あれこれ
sumo1鹿児島市にいたころ、十五夜の晩、子供が夕方6時過ぎに「今から、綱引きしてくる」と言ってきた。「何いってんの、こんな遅くから!運動会の練習はまた明日にしなさい。」と叱っていたら、ご近所の人はみんな子供と一緒に外に出てきているのでびっくり!
鹿児島は(調べてみたら、他の九州にも多いが)、十五夜に子供達が綱引きをし、お相撲をとる。
奄美は、とりわけ相撲が盛んなようだ。十五夜に限らず、普段からお相撲のクラブに通っている子供も結構いる。

昨日、中秋の名月を見に小湊へ行ったら、偶然十五夜のお相撲に遭遇!浜辺で相撲大会だ。
私たちが、お月様を見ながら、お団子をほおばっていると、おじさんがやってきて、「今から相撲が始まるよ。いいときに来たねぇ。」
そして、しばらくすると、ぞろぞろと子供達とお母さん・お父さん達が、ながーい綱を持ってやってきた。その縄で土俵を作り、幼稚園生くらいの小さい男の子から順に、お相撲が始まった。
sumo
「負けたらご飯抜きだよ~!!」なんていうお母さんの声援(脅迫?)も賑やかに、勝負は白熱してくる。みんな大声で自分の兄弟や友達を応援。だんだんと学年が上がっていき、中学生くらいになると見応えも十分だ。見ていて、とても面白かった。最後までは見られなかったが、相撲の後、縄を海に流して終わるのだそうだ。

この晩は、帰り道の車から見ると、あちこちの公園や広場で、相撲やお祭りのようなことが催されていた。
自分が小学生のころは、もうン十年も前なのに、子供会の行事などは面倒であまり出なかった気がする。でも、こういう地域の行事が、まだちゃんと受け継がれている奄美なんだなー。いいなぁと思った夜だった。




さとうきび

2005-09-17 01:24:25 | 奄美-あれこれ
satokibi念願かなって、さとうきびの茎を手に入れた。これまで、さとうきび畑は何度も見たことがあるが、ナマのさとうきびを間近で見るのは実はこれが初めて...竹みたいだ。
直径3~4cmくらい。よくみれば、竹のようにまっすぐではないのだが、本当にさお竹のよう。40cmくらいを100円で売っていた。
食べ方(吸い方??)をお店の人に聞くと、はじっこの方から皮を口で剥ぎ取り、そこをチュウチュウ吸うのだという。小さい頃さとうきびをかじっていたという鹿児島県人の夫は、チュウチュウ吸うんじゃなく、シガシガとしがんで、ぺっぺと出すんだという。satokibi2

ま、いい。とにかく皮を剥がねば...と、食らいつく。かったーーーいっっ!本当に竹のように硬い皮なので、剥ぐのも一苦労。歯ぐきの弱いあなた、あなたじゃできません!

やっと皮を剥ぐとバサバサした感じの硬い中身が。まずはお店の人の言うとおり、吸ってみる。が、やはりそんなことでは甘い汁はあまり出ず、シガシガ方式を採用。皮を剥いでも硬いので、1-2cmにナイフでカットして、口に入れる。

ちょっと青臭い甘みが広がった。なんだか嬉しい!ちょうど、小さいときにサルビアの花の蜜を吸って嬉しかったような気持ち...。
だが、同時にバサバサした繊維のカスも口に。ここでやはり、「ペッペ」も採用せざるを得ない。味はおいしいが、縦に繊維が避けて、口の中あちこちにへばりつく。「シガシガペッペ方式」がベストの方法のようだ。

精製後の砂糖よりも優しく、しつこくない甘さなので、口の中のバサバサさえ我慢すれば、何口でもしがめそうだったが、初めてしがんだ嬉しさ体験後は、面倒&バサバサがかなり不快。それに40cmもしがんだら、そのカロリーはいったいどのくらいなんだろうか...ここらでやめておこう。体験コース用には、10cm・30円くらいにしてほしかった (^^;)

satokibibatake写真は、龍郷町のさとうきび畑。

台風14号からしばらく経っていたが、まだ倒れているさとうきびもかなりある。

今年のさとうきびの収穫はどうなるだろうか。「水間黒糖」のためにも、これ以上被害が無く、豊作でありますよう...



田中一村

2005-09-12 23:55:12 | 奄美-あれこれ
昨日9月11日は、日本画家・田中一村(たなか いっそん)の命日だ。(1977年没)
そんなことも知らずにたまたま行った奄美パークで、特別シンポジウムをやっていた。奄美に来てから、田中一村の絵などをポスタなどで見ることはあったが、パーク内の田中一村 記念美術館にも行き、なんだか一気に詳しくなった感じ。
田中一村は、東京美術学校=現在の東京芸大に入った(同期には東山魁夷など)ほどの才能があったのだが、すぐに中退。以後、中央の画壇には背を向けた日々を送る。栃木出身なのだが、50才で奄美大島に渡り、生活の為に紬の染色工をしてお金を貯めては、絵を描くという暮らしをしていたそうだ。
南の島に渡って現地の絵を描いた...というところが、タヒチに渡ったゴーギャンとも重なるので、「日本のゴーギャン」とも言われている。

-と、まあ、こんなかいつまんだ書き方では一村さんに申し訳ない気がするが、かいつまみついでにひと言でまとめてしまうと、
「Iターン画家、田中一村!」
奄美大島って、結構Iターンの人多いと思ったけど、田中一村、先駆者なり。当時は堅物扱いだった生き様も、今じゃあトレンドなんだけどなぁ...

でも、多くの画家がそうであるように、生きているうちには作品は評価されないで、脚光をあびるようになったのは亡くなって数年経ってから。
...なんだか切ない。

田中一村について詳しいHPはこちら
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