飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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1986年6月 二上山と竹内街道

2010年01月25日 | 思い出の大和路探訪
 <1986年6月8日(日) 二上山から竹内街道、「近鉄文学散歩」>
 ちょうど五木寛之の「風の王国」を読んだ時期で、二上山に興味があり参加した。
行って見て大津皇子にからむ古代ロマンが色濃く感じられ、当麻の地に興味を引かれた最初でもあった。難解な「死者の書」を読み始めたのもこのあとであった。

 悲劇の王子・大津皇子が死を賜ったのは、丁度1300年前。折口信夫の「死者の書」にもある皇子の奥津城を尋ね、五木寛之の異色のロマン「風の王国」で二上山を疾風のように駆ける遍路たちを追ってみる。

コース:二上神社口駅・・・傘堂・・・鳥谷口古墳・・・祐泉寺・・・馬の背・・・鹿谷寺跡・・・(竹内街道)・・・孝徳天皇陵・・・上ノ太子駅 (徒歩約8km)
講師は大阪成蹊女子短大教授 岡田保造さん


二上山(二上神社口駅からあぜ道に入ったところから)


傘堂
江戸時代初期、飛騨の「左甚五郎」が建てたと伝えられ、1辺42cmの方柱1本の上に1辺1間(1.8m)で方形の傘が乗った様な形で、本瓦葺の頂上に瓦製の宝珠露盤を乗せている。


傘堂をあとに二上山に向かう


祐泉寺(左)、石柱(右)
五木寛之の「風の王国」に次のように出てくる。”登り道の左に、上の方に四角い窓をくりぬいた石柱があり、その一面には「二上獄南叡山修学院祐泉寺」と彫られ、山上方向の面に「南無阿弥陀 仏の御名を呼ぶ小鳥 あやしや たれか ふたかみの山」と彫られた老僧無学の歌を見出す。速見は馬の背を越えて雌岳へ駆け登り、「どちらへ行こうかとすこし迷って、雄岳のほうをふり返ったとき、彼は信じられないものを見た。霧の中にぽっかり浮かんでいる雄岳の山頂ちかくを、すばらしいスピードで登って行く姿があった。」”


馬の背より雄岳を望む


雄岳頂上(標高517m)から二上山雌岳山頂(手前)、葛城・金剛山系(奥)を望む


雄岳山頂にある大津皇子の墓
大津皇子は、第40代天武天皇の第3皇子として生まれ、余りにも勇敢で聡明な資質のため、天皇の死後わずか1ケ月にして、父の天武天皇の皇后(継母)で、母の妹(叔母)でもあった第41代持統天皇に謀反の罪をきせられて、24歳の若さで死罪に処せられた。


雄岳山頂に葛木二上神社も鎮座している、「岳の権現」として親しまれている


雄岳山頂付近


鹿谷寺跡、古代の石切場 講師の岡田さん
古代の石切場跡に凝灰岩の尾根を幅10m程度南北に切出し、小平地に造られた8世紀奈良時代の寺院の跡と云われている。


十三重石塔(我国最古)


竹内街道:竹内峠付近より二子山を望む
「竹内街道」を上がって行って集落を抜けると国道166号で、更に西へ1.8キロ登ると「竹内峠」、道路標識に「大阪府南河内郡太子町」と書かれ、峠の頂上が大阪と奈良の県境である。


孝徳天皇陵 皇極天皇の同母弟であった

大和棟の民家:棟の中央に「盆栽」が植えられている


太子町を通る竹内街道 街道の風情が残っている

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