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<1986年6月8日(日) 二上山から竹内街道、「近鉄文学散歩」>
ちょうど五木寛之の「風の王国」を読んだ時期で、二上山に興味があり参加した。
行って見て大津皇子にからむ古代ロマンが色濃く感じられ、当麻の地に興味を引かれた最初でもあった。難解な「死者の書」を読み始めたのもこのあとであった。
悲劇の王子・大津皇子が死を賜ったのは、丁度1300年前。折口信夫の「死者の書」にもある皇子の奥津城を尋ね、五木寛之の異色のロマン「風の王国」で二上山を疾風のように駆ける遍路たちを追ってみる。
コース:二上神社口駅・・・傘堂・・・鳥谷口古墳・・・祐泉寺・・・馬の背・・・鹿谷寺跡・・・(竹内街道)・・・孝徳天皇陵・・・上ノ太子駅 (徒歩約8km)
講師は大阪成蹊女子短大教授 岡田保造さん
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二上山(二上神社口駅からあぜ道に入ったところから)
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傘堂
江戸時代初期、飛騨の「左甚五郎」が建てたと伝えられ、1辺42cmの方柱1本の上に1辺1間(1.8m)で方形の傘が乗った様な形で、本瓦葺の頂上に瓦製の宝珠露盤を乗せている。
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傘堂をあとに二上山に向かう
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祐泉寺(左)、石柱(右)
五木寛之の「風の王国」に次のように出てくる。”登り道の左に、上の方に四角い窓をくりぬいた石柱があり、その一面には「二上獄南叡山修学院祐泉寺」と彫られ、山上方向の面に「南無阿弥陀 仏の御名を呼ぶ小鳥 あやしや たれか ふたかみの山」と彫られた老僧無学の歌を見出す。速見は馬の背を越えて雌岳へ駆け登り、「どちらへ行こうかとすこし迷って、雄岳のほうをふり返ったとき、彼は信じられないものを見た。霧の中にぽっかり浮かんでいる雄岳の山頂ちかくを、すばらしいスピードで登って行く姿があった。」”
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馬の背より雄岳を望む
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雄岳頂上(標高517m)から二上山雌岳山頂(手前)、葛城・金剛山系(奥)を望む
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雄岳山頂にある大津皇子の墓
大津皇子は、第40代天武天皇の第3皇子として生まれ、余りにも勇敢で聡明な資質のため、天皇の死後わずか1ケ月にして、父の天武天皇の皇后(継母)で、母の妹(叔母)でもあった第41代持統天皇に謀反の罪をきせられて、24歳の若さで死罪に処せられた。
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雄岳山頂に葛木二上神社も鎮座している、「岳の権現」として親しまれている
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雄岳山頂付近
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鹿谷寺跡、古代の石切場 講師の岡田さん
古代の石切場跡に凝灰岩の尾根を幅10m程度南北に切出し、小平地に造られた8世紀奈良時代の寺院の跡と云われている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/3c/3067868f5541f53eca5211603f9178cc.jpg)
十三重石塔(我国最古)
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竹内街道:竹内峠付近より二子山を望む
「竹内街道」を上がって行って集落を抜けると国道166号で、更に西へ1.8キロ登ると「竹内峠」、道路標識に「大阪府南河内郡太子町」と書かれ、峠の頂上が大阪と奈良の県境である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/58/6313919b3c61cf9252b17491b08217d1.jpg)
孝徳天皇陵 皇極天皇の同母弟であった
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大和棟の民家:棟の中央に「盆栽」が植えられている
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太子町を通る竹内街道 街道の風情が残っている
ちょうど五木寛之の「風の王国」を読んだ時期で、二上山に興味があり参加した。
行って見て大津皇子にからむ古代ロマンが色濃く感じられ、当麻の地に興味を引かれた最初でもあった。難解な「死者の書」を読み始めたのもこのあとであった。
悲劇の王子・大津皇子が死を賜ったのは、丁度1300年前。折口信夫の「死者の書」にもある皇子の奥津城を尋ね、五木寛之の異色のロマン「風の王国」で二上山を疾風のように駆ける遍路たちを追ってみる。
コース:二上神社口駅・・・傘堂・・・鳥谷口古墳・・・祐泉寺・・・馬の背・・・鹿谷寺跡・・・(竹内街道)・・・孝徳天皇陵・・・上ノ太子駅 (徒歩約8km)
講師は大阪成蹊女子短大教授 岡田保造さん
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/70/d480699940fc61b24c1406a57703bf86.jpg)
二上山(二上神社口駅からあぜ道に入ったところから)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/19/f4225467863e1604943e23987ddb20d5.jpg)
傘堂
江戸時代初期、飛騨の「左甚五郎」が建てたと伝えられ、1辺42cmの方柱1本の上に1辺1間(1.8m)で方形の傘が乗った様な形で、本瓦葺の頂上に瓦製の宝珠露盤を乗せている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/b9/b46bcad8ce5b4594cb0b7c14eb54baf5.jpg)
傘堂をあとに二上山に向かう
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/52/9ffb4ff702cdfb95e4e2a759598beb84.jpg)
祐泉寺(左)、石柱(右)
五木寛之の「風の王国」に次のように出てくる。”登り道の左に、上の方に四角い窓をくりぬいた石柱があり、その一面には「二上獄南叡山修学院祐泉寺」と彫られ、山上方向の面に「南無阿弥陀 仏の御名を呼ぶ小鳥 あやしや たれか ふたかみの山」と彫られた老僧無学の歌を見出す。速見は馬の背を越えて雌岳へ駆け登り、「どちらへ行こうかとすこし迷って、雄岳のほうをふり返ったとき、彼は信じられないものを見た。霧の中にぽっかり浮かんでいる雄岳の山頂ちかくを、すばらしいスピードで登って行く姿があった。」”
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/8d/9f63fe9725aeccd3a2e273f466c03566.jpg)
馬の背より雄岳を望む
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/0d/69a5ed0d33fe683d7122351769b7a381.jpg)
雄岳頂上(標高517m)から二上山雌岳山頂(手前)、葛城・金剛山系(奥)を望む
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/40/be55665493d214da810831982b6fb648.jpg)
雄岳山頂にある大津皇子の墓
大津皇子は、第40代天武天皇の第3皇子として生まれ、余りにも勇敢で聡明な資質のため、天皇の死後わずか1ケ月にして、父の天武天皇の皇后(継母)で、母の妹(叔母)でもあった第41代持統天皇に謀反の罪をきせられて、24歳の若さで死罪に処せられた。
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雄岳山頂に葛木二上神社も鎮座している、「岳の権現」として親しまれている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/7a/e4b3bd06c33e7633a026f05c82b2230f.jpg)
雄岳山頂付近
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鹿谷寺跡、古代の石切場 講師の岡田さん
古代の石切場跡に凝灰岩の尾根を幅10m程度南北に切出し、小平地に造られた8世紀奈良時代の寺院の跡と云われている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/3c/3067868f5541f53eca5211603f9178cc.jpg)
十三重石塔(我国最古)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/c8/2790391a13731051f0cde6744788387e.jpg)
竹内街道:竹内峠付近より二子山を望む
「竹内街道」を上がって行って集落を抜けると国道166号で、更に西へ1.8キロ登ると「竹内峠」、道路標識に「大阪府南河内郡太子町」と書かれ、峠の頂上が大阪と奈良の県境である。
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孝徳天皇陵 皇極天皇の同母弟であった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/64/7d08981d800d4ce1ddb8745004f9ea79.jpg)
大和棟の民家:棟の中央に「盆栽」が植えられている
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太子町を通る竹内街道 街道の風情が残っている
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