わが行きは久(ひさ)にはあらじ夢のわだ
瀬にはならずて淵(ふち)にあらぬかも
=巻3-335 大伴旅人=
私の大宰府の赴任暮らしも、もう長くはないだろう。吉野の夢のわだは、瀬に変ることなく、帰ってきたときも淵であってほしいものだ、という意味。
旅人は、728年に大宰帥(だざいのそち)に任命され筑紫に赴任したが、
奈良の都を愛してやまない旅人にとっては本意ではなく、また、60歳を過ぎた身には過酷でもあった。
大宰府に赴任する直前に、吉野のことを懐かしんで詠んだ歌。
私が「万葉の大和路を歩く会」に参加した時(1987年7月)の吉野川夢のわだ休憩の際の写真に、
万葉学者犬養孝さんと清原和義さんの元気な姿が見られる。
犬養先生には何回か同行させてもらい、独特のふしで万葉歌を朗詠するのを、
間近で接することができたのは、今となっては貴重な体験であった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます