飛鳥への旅

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万葉アルバム(明日香):飛鳥橋北

2010年10月11日 | 万葉アルバム(明日香)

明日香川 しがらみ渡し 塞かませば
流るる水も のどにかあらまし
   =巻2-197 柿本人麻呂=


明日香川にしがらみをかけ渡してせきとめんとしたら、流れる水もゆったりしているだろうに。という意味。

 奈良県高市郡の山中から、冬野川と合流して明日香村を北西に縦断するように飛鳥川は流れている。
「しがらみ」は、本来水量を調節したりする為のものだが、歌の中では「自然な流れを遮る物」として用いられる場合が多い。早世した皇女を悼んで、川にしがらみがあれば、流れはもっと緩やかであったであろうに、そのようにあってほしかったと詠っている。

この歌は、明日香皇女のきのへの殯宮の時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌一首并に短歌とある。
明日香皇女(あすかのひめみこ、生年不詳 - 文武天皇4年4月4日(700年4月27日))は、天智天皇皇女。飛鳥皇女ともいう。母は橘娘(父:阿倍内麻呂)。同母の妹は新田部皇女。忍壁皇子の妻とする説がある。
文武天皇4年(700年)、浄広肆の位で4月4日に死去。もがりの折に柿本人麻呂が、夫との夫婦仲の良さを詠んだ挽歌を捧げた。
明日香皇女は、持統天皇の訪問を受けたり、彼女の病気平癒のために108人の沙門を出家させたりなど、他の天智天皇皇女に比べて異例の重い扱いを受けている。

 この万葉歌碑は高市郡明日香村飛鳥の飛鳥橋北に建つ。
写真の手前にあるのが槻の木、背後に見えるのが甘樫の丘である。(2011/11/14写す)

またこの橋のたもとに最近(平成23年5月)「槻の木広場」が整備された。
日本書紀に飛鳥寺に西門外にあった広場に槻(ツキはケヤキのこと)の大樹があり、さまざまな行事に使われたとある。ここで行われた有名な中大兄皇子と中臣鎌子の蹴鞠の会での出会いのエピソードは有名である。

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