飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
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万葉アルバム(関東):埼玉県、川越市 氷川神社

2012年10月22日 | 万葉アルバム(関東)

父母を 見れば尊し 妻(め)子見れば めぐしうつくし
世の中は かくぞことわり もち鳥の かからはしもよ
行方(ゆくえ)知らねば うけぐつを ぬぎ棄(つ)るごとく
ふみぬぎて 行くちふ人は 岩木より成りてし人か 汝(な)が名告(の)らさね
天(あめ)へゆかば 汝がまにまに 地(つち)ならば 大君います
この照らす日月(ひつき)の下は 天雲の むかぶすきはみ
谷ぐくのさ渡るきはみ 聞こしをす 国のまほらぞ
かにかくに 欲しきまにまに しかにはあらじか
   =巻5-800 山上憶良=

(反歌)
ひさかたの 天路(あまじ)は遠し なほなほに
家に帰りて 業(なり)をしまさに
   =巻5-801 山上憶良=


 序には、父母妻子を顧みず、いたずらに空想にはしり、本来の君臣・父子・夫婦の道にもとる一部の人をいましめ、惑える心を歌でひるがえさせようとしたという意が述べられている。

 この歌の大意、その長歌は、
父母を 見れば尊し 妻子(めこ)見ればまぐしうつくし 世の中は、かくぞことわり―と歌い出し、だから父母妻子を捨てて行く人は、人間ではない。天へ行くならば、お前の心のままにすればいいが、地上には天皇がおられる。その立派な国の中でしたい三昧にするのは道理に外れるぞ―と結んでいる。
そして、反歌は、
天への道は遠い。素直に家へ帰って生業に励み給え、という意味である。

 埼玉県川越市の総鎮守・氷川神社の境内に、この歌碑が建っている。
碑面の憶良の長歌は、序と反歌がついている。序は、漢文体、長歌反歌は万葉仮名で、その通りに筆写彫刻されている。

 碑面 <クリックで拡大>
「令反惑情歌(まどえるこころをかえさしむるうた)」 碑の表面は、上方に「令反惑情歌」と篆書で浮き彫りされ、その下に四角の縁で囲まれて隷書で刻されている。

「三芳野名勝図絵」の著者中島孝昌の孫、芳嶺の建てたもの。みずから揮毫した碑で、高さ1.7メートル、幅1メートル。明治十六年五月建立。碑陰記に、芳嶺は家号を絹屋といい、世々、鍛冶町に住し維新の際町役人となったが、老を以て職を辞し、家に清閑した。資性考順磊(らい)落奇敏、学を好んで詩を好くし、漢隷(れい)に妙を得、という意が記されてある。学者で、詩人、書家だった。


 歌碑の隣りに柿本人麻呂をまつる人麿神社がる。何故この地に人麿神社があるのか?
川越の旧家綾部家に伝わる家系図によると、同氏は石見国美濃郡戸田の出生とも伝える人麻呂の子孫で、平安期に丹波国何鹿郡綾部庄の下司となり、綾部氏を名乗った。下って永正2年(1505)に綾部庄から近江国を経て川越に移住、その際始祖人麻呂を氷川神社境内にまつったとある。


 この川越の地に柿本人麻呂と山上憶良の二人の歌聖がゆかりをもっているせいか、この神社を発祥とする川越まつりの山車は優雅で上品さを漂わしている。(2012/10/20)

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