飛鳥への旅

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死者の書の旅 その2(小説「死者の書」第1章”死者の蘇生”)

2006年07月24日 | 死者の書の旅
小説「死者の書」は、昭和14年に折口信夫が発表したのであるが、当初はまったく注目されず、昭和47年に全集が出るにおよんで広く世に出たということである。読んで見るととても難解な小説であり、なにか新しさが感じられるのが、一因であろう。
第一章は、大津皇子の墓穴の中の死からの蘇生から始まる。

「彼(カ)の人の眠りは、徐(シズ)かに覚めて行った。まつ黒い夜の中に、更に冷え圧するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。
 した した した。耳に伝ふやうに来るのは、水の垂れる音か。たゞ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫(マツゲ)と睫とが離れて来る。・・・」

”折口学”という民俗学を作り出した著者が、古代に用いられていたと想われる日常語で書いているので、たいへん味が出ているがこれが難解にしている最大の要因である。
蘇生した大津皇子の独白で、磐余(いわれ)の池で刑死したした瞬間に耳にした泣き声の主が耳面刀自であることを思い出す。
姉の大伯皇女の歌が聞こえてくる。
「うつそみの人なる我や。明日よりは、二上山を愛兄弟(いろせ)と思わむ」
自分の墓が二上山にあることを知った。墓の中で手足をばたつかせながら、蘇ってきていた。
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二上山の雄嶽の頂上に大津皇子の墓がある。
一方、二上山の中腹にある鳥谷口古墳が大津皇子の墓とも推定されている。
万葉集に、大津皇子の辞世の歌が載っている。
「もゝつたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」
日本書記に、皇子の妃であった山辺皇女が髪をふり乱し素足のまま走っていって皇子の傍で殉死したと記している。小説ではあえて架空の耳面刀自としている。
磐余の池は今はないが、その名残りである東池が残り歌碑が立っている(桜井市池之内)。

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