飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
「リンクメニュー」(分類別目次)機能付。

死者の書の旅 その3(小説「死者の書」第2章”魂ごい”)

2006年08月12日 | 死者の書の旅
「死者の書」第二章は、九人の修験者の魂ごいである。
冒頭二上山の中腹から河内の方を見下ろした夜の風景描写が美しい。

「月は、依然として照って居た。・・・・山を照らし、谷を輝かして、剰(アマ)る光は、又空に跳ね返って、残る隈々までも、鮮やかにうつし出した。・・・・広い端山の群がった先は、白い砂の光る河原だ。目の下遠く続いた、輝く大佩帯(オホオビ)は、石川である。・・・・」

二上山の西側にある王墓の谷といわれる磯長(しなが)まで、飛鳥時代に柩をはこぶには、当麻路を通って河内側へ出なければならない。当麻路とは二上山の雄嶽・雌嶽の鞍部を越える道のことである。この当麻路を「こう こう こう」(来い、来い、来い)と魂ごいしながら下ってくる九人の修験者がいた。

「こう。こう。お出でなされ。藤原南家郎女の御魂。こんな奥山に、迷うて居るものではない。早く、もとの身に戻れ。こう。こう。」

神隠れした姫にとどかせるための声であるが、なんとこれに墓に横たわる死者が反応し、「をゝう」という異様な声を発する。修験者は驚いて散々と逃げ出していた。

************************************************************************
写真は二上神社口駅から傘堂→祐泉寺→二上山馬の背→山頂→鹿谷寺址→竹内峠→磯長へ、歩く会に参加した時のものである。
写真①:二上山東麓の傘堂付近からの二上山のながめ、祐泉寺へ向かう途中。
写真②:祐泉寺付近の山道。このあたりは、”関西の奥入瀬”とも呼ばれている。
写真③:二上山馬の背から雄嶽をみる。
写真④:二上山雄嶽から葛城・金剛山系を望む。手前は雌嶽。
写真⑤:二上山から河内方面を望む。
写真⑥:鹿谷寺(ろくやじ)址。古代の石切場。十三重石塔は奈良時代のものと推定され、我国最古のもの。大津皇子の墓石もここで切り出され運ばれたようだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿