飛鳥への旅

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死者の書の旅 その4(小説「死者の書」第3-4章”老婆の語り”)

2006年08月25日 | 死者の書の旅
第3章は、二上山東麓の当麻寺の創建が語られる。

「万法蔵院の北の山陰に、昔から小さな庵室があった。昔からと言ふのは、
村人がすべて、さう信じて居たのである。荒廃すれば繕ひ\/して、人は住まぬ廬(イホリ)に、孔雀明王像が据ゑてあつた。当麻の村人の中には、稀に、此が山田寺である、と言ふものもあつた。」

伝承では、万法蔵院が焼失して百年後に当麻寺が再建されたという。山田寺は初期の山林仏教の道場であったようで、由緒ある寺を姫が女人結界を犯したことを強調しているようである。
荒れた小さな庵室で姫が結界を犯した償いのために暮らすことになる。そこに一人の老婆が登場する。老婆が藤原・中臣の遠祖が二上山の聖水を求めたという伝説を語る。姫はその尊さを知る。
第4章では、老婆が神懸りして謀反の罪によって討たれようとする大津皇子の執心を語る。

「とう\/池上の堤に引き出して、お討たせになりました。其お方がお死の際に、深く\/思ひこまれた一人のお人がおざりまする。耳面刀自(ミミモノトジ)と申す。大織冠のお娘御でおざります。・・・其時ちらりと、かのお人の、最期に近いお目に止りました。其ひと目が、此世に残る執心となったのでおざりまする。
もゝつたふ 磐余(イハレ)の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや、雲隱りなむ
この思ひがけない心残りを、お詠みになった歌よ、と私ども当麻の語部(カタリベ)の物語りには、伝へて居ります。」
大津皇子の辞世の歌である”もゝつたふ磐余の池”の”鳴く鴨”が、磐余の池に鳴く鴨ではなくて、池の向こうで泣いている耳面刀自であると、この小説では解釈している。そして、

「女盛りをまだ婿どりなさらぬげの郎女さまが、其力におびかれて、この当麻までお出でになつたのでなうて、何でおざりませう。」

と、耳面刀自への大津皇子の執心が、時代を経て若く美しい南家郎女への執心へと向けられていく。南家郎女も導かれてやってきた尊いお姿が大津皇子へと変わっていくのを感じてくる。
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写真①:二上山と当麻寺  手前左手は鐘楼
写真②:当麻寺東西両塔 東塔は天平期、西塔は平安期とそろっている
写真③:当麻寺中之坊中将姫剃髪堂 中将姫が剃髪したと伝えられている
写真④:当麻寺練供養 毎年5月14日に行われる、正式には「来迎会」という。
     本堂(極楽堂)から中将姫が極楽往生をねがっている小堂にむかって、「講」の人たちの仮装した
     二十五菩薩が来迎橋の上をねりながら来迎するのである。小堂で中将姫の小像を蓮台の上に
のせて、極楽堂へかえるのであるが、堂の背後に二上山が夕日に輝やいているのである。

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