飛鳥への旅

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万葉アルバム(奈良):天理、和爾下神社

2012年06月11日 | 万葉アルバム(奈良)

さし鍋に 湯沸かせ子ども 櫟津(いちひつ)の
檜橋(ひばし)より来(こ)む 狐に浴(あ)むさむ 
   =巻16-3824 長忌寸意吉麻呂=


 さし鍋に、湯を沸かせ、若い衆よ。『櫟津』の『桧橋』から『来ん』、キツネに(湯を)『浴び』せようじゃないか、という意味。

長忌寸意吉麻呂は、柿本人麻呂と同時代の歌人で、生没年は未詳。左注には、「言い伝えによれば、ある時多くの人たちが集まり宴を催した。時刻も夜半となり、狐の声が聞こえた。そこで一同が興麻呂(おきまろ)を誘って、この饌具(せんぐ)、雑器(ぞうき)、狐の声、川橋などの物にひっかけて、すぐに歌を作ってみろと言ったところ、即座にこの歌を作ったという」とある。

長忌寸意吉麻呂が、宴席で詠んだ即興歌で、物名歌(詩歌に物の名前を詠み込む)といわれ、ユーモアのある歌だ。
「さし鍋」はつぎ口と柄の付いた鍋で、左注にある「饌具(飲食のための器具)」に当たる。「檪津(いちひつ)」は地名で、奈良県の大和郡山市か天理市。その名の一部の「ひつ」が左注の「雑器」に当たる。「檜橋(ひばし)」は檜(ひのき)で作った橋。「来む」は狐のコンコンというのに掛けている。

天理市櫟本(いちのもと)町にある和爾下(わにした)神社は、古道竜田道(横田道)と上ツ道の交差地に鎮座する。延喜式に載る和爾下神社二座のうちの一座でもある。この鎮座地は東大寺領櫟荘で、上の歌の詠われた「櫟津」はこの辺りだという。

この神社境内は東大寺山古墳群のひとつ和爾下神社古墳の後円部にあたり、この古墳群は古代豪族和爾氏に関係があり、和爾氏一族に柿本氏・櫟井氏がいてその拠地がこの辺りと推定される。柿本人麻呂の一族、柿本氏がこの辺りに住んでいたということである。境内には柿本寺跡がある。和爾下神社の神宮寺で、寺跡からは奈良時代の古瓦も出土している。

この長忌寸意吉麻呂の歌碑は和爾下神社境内入ってすぐ脇の鳥居そばに立っている。


柿本人麻呂・歌塚
神社の境内に柿本氏の氏寺だった柿本寺跡があり、後世ここに人麻呂を偲んで歌塚と像を建てた。
歌塚は任地である石見の国で死んだ柿本人麻呂の遺髪を後の妻依羅娘女(よさみのおとめ)が生地に持ち帰って葬った墓所とされ、現在の碑は享保17年(1732)に建てられた。

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