飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去なば
君があたりは 見えずかもあらむ
=巻1-78 持統天皇=
明日香の里をあとにして藤原の新しい都へ去って行ったなら、あなたの眠っておられるあたりは見えなくなってしまうのでしょうねえ。という意味。
万葉集の題詞によると、和銅3年に藤原宮から奈良の都に遷都する時に、元明天皇が御輿(みこし)を長屋の原に停めて、古里を望んで詠んだ歌とされている。「飛ぶ鳥の」は「明日香」にかかる枕詞。「君があたり」の「君」とは亡き夫、草壁。藤原京を出発せざるを得ない元明天皇の、愛する夫の墓陵への万感をこめた別れの歌としている。長屋の原は藤原京と平城京の中ツ道の中間に当たる、現在の天理市西井戸堂(いどんど)あたりと考えられている。
しかし、『万葉集略解』の本居宣長説では、万葉集の題詞は誤伝と見て、持統天皇の歌とみている。
私も、明日香の里をあとにして、というのは藤原宮をあとにと見るより、飛鳥京をあとにと見たほうが素直な解釈であると思う。
「君があたり」は、この歌を持統天皇作とみる立場からは、この「君」は亡き夫天武天皇を指すと思われる。
この万葉歌碑は、明日香村の雷橋右岸上流堤に建てられている。
飛鳥京から藤原京に移る際に、この飛鳥川を眺めながら行ったであろうと思われる。
観光化された現在の飛鳥川で、当時の飛鳥川を忍ぶことができるだろうか。
郷土を愛し、その歌を愛した方々の記念碑でも有ります。
これからも貴blogを携帯し、歌を巡りたいと思います。